詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

読売新聞を読む(2023年03月23日)

2023-03-26 21:37:54 | 読売新聞を読む

 2023年03月2 3 日の読売新聞(西部版・14版)。読売新聞の記者ではないが、山内昌之・富士通FSC特別顧問が「ウクライナ戦争」に関する「作文」を書いている。読売新聞は、どうしても「台湾有事(中国の台湾侵攻)」を望んでいるらしい。「台湾有事」がないかぎり、日本経済は立て直せない、と思っているらしい。「台湾有事待望論」としか、いいようがない。山内の「作文」は、そういう意向を汲んでの「作文」である。「ウクライナ戦争」というタイトルなのに、最後は「台湾有事」で終わっているのが、その「証拠」といえるだろう。
 だいたい「ロシアの侵攻」ではなく「ウクライ戦争」というところが、すでに今回の「戦争」が、アメリカがウクライナにけしかけて引き起こした戦争であることを暗示しているのだが(こういうところに読売新聞の「正直」が出ている)、それは「わき」においておいて、山内「作文」の問題点を指摘しておく。
 最後の方の部分に、こう書いてある。
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 中国は台湾侵攻作戦を、数日で決着がつく「小戦争」と見ているのではないか。だが、米国はウクライナ戦争を意識し、台湾軍の抗戦能力を高めるための軍事援助を強化する構えだ。中国はこうした情勢を直視するべきだ。
↑↑↑
 この文章に「米国はウクライナ戦争を意識し」ということばがあるが、「台湾有事」はあくまでも「アメリカの意識」のなかにある「戦争」である。山内はアメリカと読売新聞の意向を汲んでことばを動かしているのだが、山内が決定的に見落としている「事実」がひとつある。それは「台湾」はウクライナと違って、他の国と「陸地」でつながっていないという点である。ここがウクライナとは決定的に違う。
 アメリカはウクライナへの軍事支援(武器支援)をNATOを通じて「陸地経由」で続けることができる。しかし、台湾に対しては、それができない。もちろんアメリカ以外の国もそれができない。つまり、中国は簡単に台湾への他国からの武器供与を遮断できる。だからこそ、アメリカは台湾に非常に近い日本の南西諸島に基地をつくらせ、そこから台湾支援をしようとしている。
 陸地で、支援する国(地域)とつながっていないと「軍事支援」は非常にむずかしいのだ。
 それはアメリカが、中国のチベットや新疆ウィグル自治区に対する政策を批判しながら、軍事支援をできないことからもわかるし、なによりも香港で問題が起きたとき、香港を支援できなかったことからもわかる。香港は中国と「陸続き」である。中国は簡単に軍隊を香港に派遣できるが、アメリカはそれができない。(当然、NATOもできなかった。)
 さらに山内は、台湾のもうひとつの「地理的条件」を無視している。台湾はウクライナと違って、非常に「狭い」。つまり、あっと言う間に全土を中国軍が支配してしまうことができる。ロシアが東部から侵攻し、キーウにまでたどりつけなかったのとは、地理的に条件が違いすぎる。中国が台湾に侵攻するとしたら、「陸地」からは無理で、どうしても海、空からしかないのだが、これはアメリカが支援するとしたら、やはり海、空から支援するしかないのと同じである。NATO諸国は、中国が台湾に侵攻したとしても、その軍隊がヨーロッパまで押し寄せてくる可能性はないと知っているから、わざわざ海、空から台湾支援をするはずがない。
 どうしたって中国が台湾を侵攻すれば、それは「数日」で解決するだろう。
 それが「数日」で終わらないようにするために、アメリカは、日本に対し南西諸島に基地をつくれとせっついているのである。北朝鮮がアメリカ大陸までとどくミサイル開発を進めているのと同じだ。日本の南西諸島から攻撃できるんだぞ、というわけである。

 さらに山内は、世界の動きも見落としている。読売新聞ウェブ版は3月26日づけで、「中米ホンジュラス、台湾と断交し中国と国交樹立…蔡英文政権で9か国目」というニュースを伝えている。山内はこのニュースの前に「作文」を書いているだが、「9か国目」は別にして、それまでに「台湾と断交し中国と国交樹立」した国があることを知っているはずだが、それを「なかったこと」として書いている。そして、この「台湾と断交し中国と国交樹立」した国のなかに「パナマ、ドミニカ共和国、ニカラグアなど中米・カリブ海の国々が5か国を占める」ということを無視している。
 アメリカ周辺では、「台湾離れ=中国接近」が進んでいるのである。これに対抗する手段としてアメリカができることは「台湾有事」だけなのである。
 この「状況」は、ロシアがウクライナ侵攻をはじめる前の、ヨーロッパとロシアの関係に非常に似ている。ヨーロッパの多くの国は天然ガスや小麦などをとおして、ロシア依存を深めていた。ロシアとヨーロッパの経済関係は非常に緊密になっていた。それはつまり、アメリカとヨーロッパの経済関係が疎遠になるということを意味していた。それを打開するために、つまり、アメリカとヨーロッパの経済関係を協力にするために、ロシアとヨーロッパの関係を切り離すという政策を打ち出したのである。それがウクライナをあおって、ロシアのウクライナ侵攻を誘い出すという作戦である。
 ヨーロッパでは、それが「成功」したようにみえる。少なくとも、アメリカよりの報道しかしない日本の報道からは、そう見える。
 これに味をしめて、アメリカは「台湾」を舞台にして、アジアでも同じことをしようとしている。岸田はアメリカの言いなりになって、それに従っている。
 アフリカ諸国や中南米諸国はアメリカの政策をどうみているか。私は何も知らないが、世界に存在するのはアメリカとヨーロッパだけではないということを忘れないようにしたい。

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中井久夫集4

2023-03-26 13:38:39 | 考える日記

中井久夫集4(みすず書房、2017年09月25日発行)

 中井久夫集4の「統合失調症の陥穽」に次の文章がある。

いずれにせよ、血液の選択的供給低下という事態は何らかの中枢神経内の血液分布を制御している機能があることを仮定している。             (70ページ)

 わたしは、はっとして、思わず傍線を引いた。「いずれにせよ」。これが中井の思想を雄弁に語っていると思った。
 世界の見え方は「複数」ある。「事実」はひとつかもしれないが「真実」は複数である。複数の人間が生きているのだから、それは「複数」になるしかない。中井は、このことを前提として「いずれにせよ」というのである。つまり、「複数」から、そのひとつを選んで生きる。
 そのとき、その「ひとつ」を選ばせるものは何か。中井の場合、それは何か。

だからこの陥穽は相当部分が心理的なものであり、決して宿命的なものではないと仮定しておくほうが、その反対の仮定よりもよいだろう。         (72ページ)

 「真実」は「仮定」にすぎない。つまり「宿命的」(決定的)ではない。そう「仮定するほうがよい」。
 ここには「事実」を自分で引き受ける「覚悟」がある。
 「いずれにせよ、私は、これを選ぶ」という覚悟である。

 それは同時に、中井以外の人間が、中井とは「反対の仮定」を選んだとしても、その選択を拒絶しないということである。中井の選択に従わせる、ということはしない、ということである。
 これは、実際に、私が経験したことでもある。
 中井はギリシャの詩人の作品を翻訳している。詳細な註釈も併記している。私はその註釈を無視して、ただ中井の訳(日本語)だけを読んで、私の感想を書いている。だから私の感想は、中井の「解釈」と合致しないことがある。
 リッツオスの詩について私が感想を書いたあと、中井がその翻訳の一部を変更したことがある。当然、私の感想も変わる。私が感想を書き換えると、中井が再び翻訳の一部を変更した。私もさらに書き換えた。
 『リッツオス詩選集』(作品社、2014年07月15日発行)の編集過程で起きたことである。
 これは「いずれにしろ」の「複数の仮定」の「複数」を具体的に提示して見せるということである。リッツオスの書いたことば、「事実」は変わらないが、それをどう読むかはそれぞれの読者によって違う。あらゆる解釈は「仮定」であり、同時に「真実」である。「仮定」「真実」は、いつでも変更が可能である。それは、一種の「交渉」である。中井がしていた別の仕事に関連づけて言えば「治療」ということかもしれない。それは、患者自分自身で生きる方法を探すということに似ている。中井は、それに立ち会う。立ち会うということを中井は選んでいる。
 この「交渉」の結果、中井の「真実(解釈/仮定)」と私の「真実(感想/仮定)」は一致したか。一致などしない。中井は中井の「読み方(解釈)」を私に押しつけない。中井の註釈と私の感想を読み比べてもらえばわかるが、そこには「一致」はない。
 こんなことで、いいのか。
 たぶん、ふつうの翻訳者なら、そういうことを受け入れない。ふつうの出版社なら、そういうものを受け入れない。しかし、中井は、それでいいと言った。
 はっきりとは言えないのだが、一緒に本を出そうという誘いが中井からあったとき、私は、「私の詩は、詩の背景を無視している。いわば、誤読だらけだ。中井の翻訳を邪魔することにならないか」と質問した。中井は「詩なのだから、どんな読み方があってもいい。ギリシャ語の詩、中井の訳、谷内の感想を一冊にできれば楽しい」と言った。ギリシャ語の原典を収録するという中井の夢は実現しなかったが、あのときの電話で、中井は「詩なのだから」のまえに「いずれにしろ」と言ったのではなかったか。突然、中井の「声」が耳に読みがえったのである。「いずれにしろ」を読んだとき。
 私は、実際に中井と話したことは少ない。だから推測するしかないのだが、中井はふつうの会話のなかで、ときどき「いずれにしろ」に似たことばをつかっているのではないだろうか。それは中井の「キーワード」ではないだろうか、と思ったのである。「キーワード」とは、無意識に、しかたなくもらしてしまうことばであるのだが、そして、だからこそ私はそれを「思想」と考えているのだが。 

 

 

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