詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

岡島弘子「アイロン」

2015-09-05 10:31:25 | 長田弘「最後の詩集」
岡島弘子「アイロン」(「つむぐ」11、2015年08月15日発行)

 岡島弘子「アイロン」は、いわゆる「主婦の詩」?

網目にからんだ想いのみれんをとりのぞき
ぬめりをふきとり
泡だてて金属タワシでみがき
流し台をよみがえらせる手

 ここまでは、流し台を磨いている主婦の「日常」。一行目の「想いのみれん」ということばに岡島の「過去」と「現在」がこめられているのかもしれないけれど、まあ、それにしたって「主婦のみれん」だろうなあ、具体的に知りたいという欲望も起きないなあ、と思っていると、五行目。

をささえる足のうら

 唐突に「足のうら」が出てくる。これ、何? 
 二連目。

買い物メモをとり
今晩の献立をかんがえ
特売品をすばやく計算する脳
きのうの記憶をはんすうする海馬
をうけとめる足のうら

 たしかに人間のいちばん底(?)は「足のうら」かもしれないけれど、ふつうは「足」としか言わないなあ。体をささえる足。台所仕事をするとき、その体をささえる足。考え事をするときも、その脳を含め、体をささえる足。
 なぜ「足のうら」なんだろう。
 そう思っていると、

南北東西 喜怒哀楽
親指も小指もかってな方向にとびだしてしまった
外反母趾をもつつむ
足のうら

だから足のうらをアイロンにかえて

わたしの全生涯をかけた重みと
たいおんといういのちのほてりをもったアイロンにかえて

新雪に まずアイロンがけをしよう
人間じるしのアイロンをあててみようか

 あ、新雪に足跡を印したいのだ。
 そのことがわかって、それから「アイロン」という比喩に、ええっと驚く。
 私は野ぎつねになって足跡をつけてみたい、鳥になって足跡をつけてみたい、という具合には思う。(ついでに、小便で自分の似顔絵を描いてみたいとも……。)
 「アイロン」なんて、思いもつかない。
 そうか、岡島はいつもアイロンをかけているのか。アイロンがけは流し掃除や夕御飯をつくることと同じように、日常に組み込まれた「主婦の仕事」なんだな。
 でも、少し変じゃないかなあ。
 アイロンというのは、しわをのばすもの。洗濯で入り乱れた繊維をきちんとととのえ直すこと。「新雪」に「しわ」はないぞ。生まれたての、なめらかな肌。ととのえる必要はない。足跡をつけるのは、むしろ、汚すこと。汚して遊ぶこと。
 でも、それを岡島は「アイロンがけ」と呼ぶ。
 そうか、「新雪」にアイロンがけをするということは、自分自身にアイロンがけをすること、「足のうら」にアイロンがけをすること。そういう相互作用(一体化)のことを言っているのだな。
 たとえば台所をみがく。それは単に台所を美しくするということではない。岡島自身を整理し直すこと、美しくすることなのだ。献立を考え料理を作り、家計の計算をするというのは、自分をととのえ直すことなのだ。どうすれば、自分がいちばん美しくなるか。ととのうか。ととのった暮らしが、ととのった岡島の「肉体(思想)」そのものなのだ。
 あ、こんなふうに書いてしまうと、「主婦礼賛」のようになってしまう。女性を「主婦」に閉じ込めてしまうことになるかもしれないが。誤解をまねきそうだが……。
 「アイロン」というのは「もの」だが、「アイロンがけ」というのは「アイロンがけをする」という「動詞」として生きていて、そこに「肉体」がある。「アイロン」は隘路をかける」という「動詞」によって、岡島には「肉体」になっている。「肉体」になっているから、新雪と直接触れるのだということがわかり、とても新鮮なのだ。
 岡島が「足」と言わずに「足のうら」と言っているのは 、岡島にとって「アイロン」とは「アイロンの底面(うら)」であることを語っている。「アイロン」はそんなふうに岡島の「肉体」になっている。「肉体」として動いている。だから岡島はすぐに「アイロン」になることができた。
 比喩の強さ、比喩の絶対性がここにある。「アイロン」の比喩をこれから読むことがあるとしたら、私はそのたびに岡島のこの詩を思い出すに違いない。


ほしくび
岡島 弘子
思潮社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平木たんま

2015-09-04 09:58:46 | 詩(雑誌・同人誌)
平木たんま「形見」「眠れないときは」(「つむぐ」11、2015年08月15日発行)

 平木たんま「形見」「眠れないときは」に「おにぎり」と「卵焼」が出てきた。どちらも、ごくありきたりの食べ物である。その「ありきたり」が、とてもいい。「肉体」にしっかりと結びついている。「肉体」と「おにぎり」「卵焼」がしっかり結びついているので、つくったひとと食べるひともしっかり結びついている。その「強い結びつき」がとてもいい。

すこし痩せて
蜜柑を剥く手があなたに生きうつしだ
形も色も大きさも指先の使い方また
あなたはあの世でさっぱりしていると思っていたのに
手になってこんな姿になって
この世にいたのね
あなたの握ったおにぎりはおいしかった
同じお米なのに新米のようになった

してもらいたいことがあったら
ほんとうはねと言えばいいのに
そんなつもりもないらしい
この世では言えないことなのだろう
はにかんで
骨ばっている                           (「形見」)

 「おにぎり」の前に「手」が出てくる。それも、とてもいい。
 この詩は幸福な詩ではない。悲しい詩である。「あなた」はもうこの世にいない。そして「あなたの形見(息子だろうか)」もこの世から去っていこうとしている。でも、悲しい、さびしい、だけではないものがここに書かれていて、それが私をうれしくさせる。ひとの悲しみを「うれしい」と言っていいのかどうかわからないが、私は「うれしい」といいたい。
 夫と息子、そのふたりを「手」がつないでいる。それはまた平木ともつながっている。ふたりの手をつないでいるのは、平木の「記憶」なのだ。
 蜜柑を剥く手、指先の使い方--そういうものを平木は知らず知らずに見て覚えている。「肉体」が覚えている。「手になってこんな姿になって/この世にいたのね」がとてもいい。「手」が「この世」に生き続けているというのは、うれしい。
 「肉体」が覚えていることは、自然に、ほかの覚えていることを呼び覚ます。「手」が「おにぎり」を思い出させる。「おいしい」を思い出させる。ありきたりのものが、とびきり「おいしい」ものになる。そういう不思議を引き起こす「手」。
 「おにぎり」を食べたのではなく、それをつくった「手」の何かを食べたのかもしれない。そうとは知らずに。
 息子のつくるおにぎりもきっとおいしいだろう。
 「してもらいたい」「してやりたい」ということは、なかなかことばではつたわらない。
 でも、おにぎりをつくる、蜜柑の皮をむく--そういうことのなかにも、きっと「してもらいたい」「してやりたい」何かが動いている。それを平木は「肉体」で、そのまま感じている。

こんな寒い夜中は
もしものことやら後悔やら
次から次へときれめなく浮かんでくる
涙さえ浮かび
この世でもあの世でもない空間から
抜けだせなくなる
そばに人がいたら
地のある場所にもどれるのに
目をひらくと眠気はあとかたもない

まだひとりで抜け出せる
夜が明けたら
お稲荷さんを作って届けることを考えよう
卵焼それからほうれん草のおひたし

こんな寒い夜中に目が覚めて
どうにもならないことに
引き込まれないように
卵焼のことを考えよう                 (「眠れないときは」)

 これは平木が「してやりたい」こと、「したい」こと。そして「しつづけた」こと。「肉体」で「しつづけた」ことは「肉体」が覚えている。「肉体」は「肉体」がおぼえていることを、いつでも、覚えているままに繰り返すことができる。「肉体」をつかうことができる。それも、意識せずに。
 その「無意識」。
 「無意識」になりたいのだ。
 「してやりたい」などと思わずに、つまり「無意識」で、いつも卵焼をつくりおひたしをつくり、息子に(あるいは夫に)食べさせた。ふたりはやはり「してもらいたい」「してもらっている」などとは考えずに、ただ食べた。おいしいと思いながら食べた。ふたりもまた「無意識」だった。
 「無意識」のとき、そこに、ただ「肉体」があった。「いのち」があった。しあわせが、美しさがあった。「肉体」は、それを覚えている。「しあわせ」とか「美しさ」というような抽象的なものとしてではなく、「おむすび」として「卵焼」として、覚えている。その覚えていることを、平木は、ただ繰り返そうとしている。「肉体」でつないでいこうとしている。
 「生きる」ことは切ないねえ。でも、美しいなあ、と思う。「肉体」があるということは、すばらしいことだなあ。



 詩の感想になるかどうかわからないが、私は、この世には「肉体」しかないと思っている。
 平木は「手になって(略)この世にいたのね」と書いている。よく「魂」になってこの世にいるという言い方をするが、私は「魂」よりも、平木の書いている「手になって」の方が納得ができる。
 そして、その「手」というのは、私の考えでは「夫の手」であると同時に、平木が「生み出した手(平木の手)」なのだと思う。平木が息子を産んだように、「夫の手」もまた平木が生み出したもの。平木の「肉体」を通って生まれてきたもの。
 平木と息子は「別個」の人間。けれども「血(遺伝子)」がつながっているように、何か「見えない」ものでつながっている。私は、すべての「肉体」はつながっていると思う。そのつながりを感じるとき、世界から「さびしさ」が消える。さびしくても、さびしくない、と感じる。不思議な静けさを感じる。
 平木の書いている「おにぎり」や「卵焼」には、そういうもの中心になっている。核になっている。

おばさんの花―平木たんま詩集
平木たんま
七月堂
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

四元康祐『詩人たちよ!』

2015-09-03 09:08:30 | 詩集
四元康祐『詩人たちよ!』(思潮社、2015年04月25日発行)

 四元康祐『詩人たちよ!』に、少し気になる表現がある。わざわざ書こうとしているのだから「少し」ではな、とてもかもしれないのだが。
 巻頭の「初めに言葉・力ありき」。ゲーテの「ファウスト」、ダンテの「神曲」を題材にしている。そこに井筒俊彦の「言語哲学」が出てくる。その59ページ。

表層言語から深層言語へ、井筒理論にいう分節Ⅰの言語から分節Ⅱの言語へ、私たちの慣れ親しんだ言葉でいえば、「散文から詩」への変質です。

 私は井筒俊彦の文章をあまり知らない。「分節/未分節」については、いま流行の「言語哲学用語」らしく、しょっちゅう見かける。私も知ったかぶりをしてついつい借りてしまうのだが……。
 私が疑問に思ったのは、

(1)井筒は、「分節Ⅰの言語」「分節Ⅱの言語」と詩を関係づけて何か書いているのだろうか。ダンテやゲーテをテキストにして言及しているのだろうか。同じことを言っているのだろうか。
(2)四元は、井筒の「言語理論」を借りてきて、自分の解説を補強しているのだろうか。井筒の理論があてはまるから、四元の解説も正しいと言おうとしているのか。

 これは「意地悪」な見方かもしれないけれど、こんな疑問をもつのは、

(3)「散文から詩」への変質という四元が言うとき、それは詩を「特権化」することにならないか。

 と思うからである。井筒も詩を「特権化」しているのかな? 詩のことばが「分節Ⅱ」のことばであると呼んでいたのかな? 散文には「分節Ⅱ」のことばは存在しないと言っていたのかな? それが気になるからである。

 もうひとつ、同じ59ページ、先の引用よりも前に出てくる。

なにしろこの世界は、キリスト教においては一にして全なるものであると同時に、仏教哲学では「無」とも「空」とも呼ばれているのですから。

 こう書くとき、四元はキリスト教徒? 仏教哲学者? 仏教徒? どちらの立場? もし四元に自分の「立場」が明確にあるのなら、なぜ、ここでふたつの「世界観」を取り上げたのだろう。自分の「立場」の「世界観」で押し通さないのだろう。
 私は宗教については何も知らないが、イスラム教では「世界」はどうとらえられているのだろうか。キリスト教でも仏教でもない、小さな(信者の少ない)宗教では、どうとらえられているのだろうか。
 「文学」というのはきわめて個人的なことがらだと思う。自分の「立場」をどちらであるか書かずに、キリスト教と仏教だけを取り上げて、その「世界観」を書いても四元の考えを書いたことにはならないのではないだろうか。
 どこに四元の考えが書かれているのだろうか。
 井筒の言語理論が詩の定義にあてはまるというのが四元の考え方なのか。そうだとすれば、それは四元が考えた定義になるのか、それとも井筒が考えた定義になるのか。それが、どうも私にはわかりにくい。
 そして、その「わかりにくさ」に反して、そこに書かれている「理論/論理」そのものは、とてもわかりやすい。その「理論/論理」に賛成するかどうかは別にして、詩の分析としてとてもよくわかる。
 でも、それが、何と言うか、とても「疑問」なのである。信じていいかどうか、わからない。

 こういう疑問をもつのには、また別の理由もある。
 四元は中原中也のことについても書いている。「感傷的なダダイスト・中也」のなかに、次の文章がある。

 中也の詩論のうちでもっとも有名なものは「「これが手だ」と、「手」といふ名辞を口にする前に感じてゐる手、その手が深く感じられてゐればよい」(「芸術論覚え書」)だが、これなども短歌的な認識論と言えなくはない。(略)名辞以前の世界、言うに言われぬ感慨、失われてしまった全体性、それをもどかしげに指し示す仕草は終生中也につきまとった。

 ここに書かれている「名辞以前の世界」というのは、井筒の書いている「未分節の世界」のことではないのだろうか。「名辞」とは「ことば」という意味だろう。「ことば以前の世界」に「全体」がある。「名辞以前の世界」について、井筒は何も言っていないのだろうか。「名辞以前の世界」について井筒は何と言っているのだろうか。(四元の好きな谷川俊太郎は、これを「未生のことば」という具合に言っていると思う。)
 「井筒理論」が四元の基本的な考え方(ことばに対する出発点)なら、なぜ、四元は、中也について書くときに「分節Ⅱの言語」を持ち出さないのだろうか。それが疑問である。(ほかの伊藤比呂美、多和田葉子について書いた文章でも、「井筒理論」を出せばいいのに、と不思議に思うのだが……。)
 逆に、中也の詩に長く親しんでいたのなら、「名辞以前の世界」という視点から「ファウスト」「神曲」の世界をとらえ直せばいいのに。なぜ、四元は「名辞以前の世界」という考え方を持続させて「ファウスト」「神曲」を読まなかったのか。「名辞以前の世界」を持続していけば、四元の「肉体」があらわれてきただろうに、と思う。

 で、こういうことを書くのには、もうひとつ「理由」がある。
 伊藤比呂美、多和田葉子などについて書かれた文章は、「初めに言葉・力ありき」に比較すると、とても「わかりにくい」。しかし結論は何? 要約しにくい。
 「初めに言葉・力ありき」の方の「結論」は、「分節Ⅰの言語から分節Ⅱの言語へ、私たちの慣れ親しんだ言葉でいえば、「散文から詩」への変質です。」に要約されている。「分節Ⅱの言語が詩である」というのが「結論」である。
 ほかの文章では、そんな簡単に「結論」を言えない。けれど「結論」などなくても、そこには詩人に向き合っている四元がいるということが、「わかる」。四元が何を考えたか要約できないけれど、四元が四元自身の「肉体」で詩人に向き合って、その瞬間瞬間にことばを動かしているということが「わかる」。四元が見える。
 四元自身の「翻訳体験」(外国語と出合い、日本語と折り合いをつけるときの、ことばになりにくい何か、あいまいだけれど、抵抗感のあるあれこれ)を動かしながら、伊藤、多和田に向き合っていることが「わかる」。四元の「肉体」が「わかる」。そこに生きている、存在しているということが「わかる」。
 「初めに言葉・力ありき」では四元の「肉体」ではなく、「井筒理論」が見えた。ただし、それはほんとうに「井筒理論」であるかどうか、私は知らない。井筒が同じことを「ファウスト」「ダンテ」について言うかどうか、わからない。「井筒理論」が見えた、というかわりに、四元の「頭」が見えた、ということもできるかもしれない。

 私は「頭」が見える文章よりも、「肉体」が見える(「肉体」を感じる)文章が好きだというだけのことかもしれない。

詩人たちよ!
四元康祐
思潮社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

須藤洋平『真っ赤な傘を突き刺して』(2)

2015-09-02 14:21:54 | 長田弘「最後の詩集」
須藤洋平『真っ赤な傘を突き刺して』(2)(思潮社、2015年07月30日発行)

 須藤洋平『真っ赤な傘を突き刺して』について、もう一度書く。「サバイバルスキル」という作品。

私たちは落ち合い実家へと向かった。半分水に浸かった車で。
橋がおちたところが多々あり、遠回りをしなければならず、
そのうちに夜も更けてしまった。前方に見える灯りはどうやら体育館のもののようだった。
避難者はざっと百人はいただろうか。
レトルトの麻婆丼に涙し(食して泣いたのは初めてのことだった)
ポカリスウェットで全身を浸し、一週間ぶりに布団に入ることができた。
(それでも寒さに突き刺されたようだった)
私はしばらく眼を閉じてみたが眠気は一向にやってこない。

 東日本大震災のときの、避難の様子を書いている。一語一語、ことばが強い。ゆるみというものがない。なぜだろう。「肉体」と「精神(意識)」が強く絡み合っているからである。
 一行目は、きのう読んだ「ケダモノ」の書き出しと動揺に「倒置法」である。この一行はなぜ「倒置法」なのか。「実家へ向かった」、実家へ向かうという肉体の動き、意識がいちばん重要だからである。車が半分水に浸かっている、ということは実家へ向かうという動きに遅れてやってくる。よくみると車は水に浸かっている。いや、よく見なくたって車が水に浸かっているのだが、そんなことを問題にしている場合ではない。実家へ向かう(帰る)ことがいちばん大事であり、そのために車を選んだ、その車がたまたま水に浸かっていた、ということなのだ。
 阪神大震災を体験した季村敏夫は『日々の、すみか』(書肆山田)で「出来事は遅れてあらわれる」と書いた。その「遅れてあらわれる」が須藤の、この一行にも刻み込まれている。
 時系列からいうと地震が起きた。津波がきた。車が浸水した。何人かの家族の無事を確認した。一緒に車に乗って実家へ向かった、ということになる。しかし、ここでは、まず実家に向かった、ということが書かれる。それから車の様子が書かれる。車が水に浸かった方が時間的には先なのに、実家に向かうという行為のあとに、遅れてやってくる。大地震があって、津波があって、車が水浸しになった、ということが、「事実」して、「いま」のなかに出現してきて、「いま」を「過去」と結びつける。ああ、この車は津波で水をかぶったのだという「出来事」が、もういちど「ことば」として「やってくる」。そして「肉体」に刻み込まれる。車が津波の水をかぶったときは、まだそれは車と津波の関係であり、須藤にとっては「出来事」ではなかった。実際に車に乗って実家に向かうとき、「出来事」は「事実」になって、須藤の「いま」にぶつかってくる。そんなふうにして「事実」は「人間の出来事」になる。
 それにつづく行(ことば)も同じである。須藤が車で実家に向かうことよりも前に、津波で橋は落ちている。しかし、その「事実/出来事」が、実家へ帰るという動きのなかに、いま、大地震から「遅れて」やってくる。私たちはすべて「遅れて」出来事を知るのである。「肉体/ことば」は「遅れて」何かを自分の「出来事」にする。その「出来事」が自分のものになったとき、「遠回りをしなければならず」という「出来事」があらたに発生する。この新たな出来事の発生もまた「遅れて」発生する、「遅れてやってくる」と言い直すことができる。「そのうちに夜も更けてしまった」も同じである。須藤たちを追いかけて夜がやってくる。夜さえ「遅れてやってくる」。遅れてやってくるのに、それが「いま」を邪魔して、「いま」がその先へ進めさせてくれない。つまり、簡単に実家に帰れないということが生じる。
 この一連の動きが、何と言えばいいのか、非常に「粘っこい」文体(ことばの運動)で描かれている。この「出来事が遅れてやってくる」ということと粘っこい文体は密接な関係にある。たとえば、

橋がおちたところが多々あり、遠回りをしなければならず、

 この一行の前半は「理由」を書いている。「最初にわたろうとした橋が落ちていて、その次の橋も落ちていたために」ということなのだが、その「理由」をあらわすことば「……のために」を省略し、「多々あり」と「事実」だけを書き、それを追いかけて「遠回りしなければならなかった」とつなげる。「遠回りした」ではなく、「しなければならなかった」と、そこに「影響(遅れてあらわれるもの)」をつないで、文章としてつないでしまう。

橋が多々おちていたために、遠回りをした

 という文章と比較してみるとわかりやすいかもしれない。「理由(原因)」があって「結果」が生じるのではない。「事実」があって、そのことをあとから(遅れて)振り返ってみると、その影響を受けたことがわかる。「影響」によって、「原因」の「大きさ」をはっきりと理解する。つまり、「肉体」で受け止めて、それをことばにすることによって、そこで起きた「出来事」がどういうものであったか、意識のなかに「遅れて」刻み込まれる。
 この「遅れ」を、須藤は「遅れ」のまま、ぐいぐいとひきずるようにたぐりよせる。「遅れ」をなんとしても「いま」に引き寄せる。その力が「粘着力」になっている。「理由」を先に書いて、それから結果を書く、というのはことばにとって「経済的」な書き方ではあるが、それでは「事実」ではなくなる。「……なので、……した」というのは、「言い訳」のような文体である。ととのいすぎている。「出来事」は「言い訳」のようには、ととのえることができない。

レトルトの麻婆丼に涙し(食して泣いたのは初めてのことだった)

 この一行の書き方も、また「遅れ」をそのまま書いている。麻婆丼を食べて泣いた。そのあとに「食して泣いたのは初めて」という「ことば(意識)」がやってきて、麻婆丼を食べて泣いたということを「出来事」にする。

ポカリスウェットで全身を浸し、一週間ぶりに布団に入ることができた。
(それでも寒さに突き刺されたようだった)

 この二行では、「寒さ」という「出来事」がやはり「遅れて」やってくる。「寒さ」は布団に入る前からあった。しかし、布団に入ることによってはじめて「寒い」と言えるようになった。それまでは「寒い」は、怖くて言えなかった。そういうことが、ことばと一緒に生まれてくる。
 「出来事」は「ことば」が「やってきて」、はじめて「出来事」になる。「ことば」が「やってくる」までは何が起きたかわからない。
 
 これは逆に言えば、「ことば」によって、「出来事」を生み出すということでもある。その「生み出す」という動きが、粘り強く、再現されている。
 私たちは、さまざまな情報をとおして東日本大震災があったことを知っている。しかし、その知っているは「わかっている」ということとは違う。
 被災者がたいへんな思いをした(している)ということは「知っている(つもりになっている)」。しかし、「わかっている」わけではない。「わかる」ことはできない。「わかる」ということは、それを「つかえる」ということ。つまり、自分のことばで言い直すことができるということ。そんなことは、私にはできない。
 「分節/未分節」という「便利なことば」がある。私は、そのことばをつかうと、どうも「世界」が簡単に整理されすぎてしまう気がして、いまはつかわないようにしているのだが……。
 須藤は、自分の体験したことを「分節」して「出来事」として整理しているのではない。「未分節」の震災直後の状況を「分節」して語り直しているのではない。自分の「肉体」で「出来事」を生み出しているのだ。須藤は大震災を「わかっている」から、それをもう一度「生み出す」ことができるのだ。

橋がおちたところが多々あり、遠回りをしなければならず、

 これは、橋が落ちていたという「世界」そのものの「混沌」から、「遠回りをする」という「肉体の運動」を「生み出す」ことなのだ。「遠回りする」という自分を「生み出し」、生まれ変わって、動くということなのだ。
 「分節する」というのは単なる「認識(ことば/言語学)」の問題ではなく、「肉体」そのもののことだ。「世界」が変わるのではなく「人間(肉体/いのち)」そのものが変わること。「生み出す」ということは「生まれ変わる」こと。そして、それはいつでも「最初の肉体」から「遅れてあらわれる」。「生む肉体」があって、そのあとで「生まれる肉体」がある。

 ちょっと脱線したかもしれない。

 自分の「肉体/ことば」をとおして「出来事」を生む。自分を「生む」。「ことば」をとおして生まれ変わる。
 そういうことができる「肉体/ことば」を生きている須藤は、後半にとてもおもしろい「いのち」を書いている。
 避難した体育館の天上、その鉄骨のあいだにバレーボールがいくつも挟まっている。

あの挟まったバレーボールが落ちてきて人々の頭に当たったらどうだろう。
「アイサー!」
「ホヤサー!」
そんな映像が頭に浮かびにやりとし、眼を閉じ開くと、
朝になっていた。

 眠れなかった須藤が、一瞬、眠っている。その一瞬は、熟睡である。
 つらい状況のなかで、須藤は「生き抜いていく人間」を生み出している。「アイサー!」「ホヤサー!」という掛け声を私ははじめて聞いたが(知ったが)、須藤の「肉体」がなじんでいる掛け声なのだろう。そういう声を発しながら、避難した人たちがいっしょになってバレーボールをする。そういうことができる。そういう人間を「ことば」で生み出しながら、須藤はその夜を生き抜いた。 
 あ、すばらしい。美しい。人間がいきているということは輝かしい。
 須藤のことばは、こういう人間を生み出すことができる。
 須藤は避難者を「肉体」として「わかっている」。だから、そこから生きる人間を生み出すことができる。

真っ赤な傘突き刺して
須藤洋平
思潮社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

須藤洋平『真っ赤な傘を突き刺して』

2015-09-01 10:34:36 | 詩集
須藤洋平『真っ赤な傘を突き刺して』(思潮社、2015年07月30日発行)

 須藤洋平『真っ赤な傘を突き刺して』のことばに私はどう向き合うことができるだろうか。何を言うことができるだろうか。長い間自問してきたが、わからない。私は弱い人間なので、おののいてしまう。遠ざかってしまう。

メシを喰らう。
この静かなる海に向かって。
いつかその真黒い穴に
自ら飲み込まれるとしても。

 「ケダモノ」の、この書き出し。たとえば、この「静かなる海」を東日本大震災の津波を引き起こした海と読み直すことができる。多くのひとが飲み込まれた。だから「真黒い穴」と言い直されている。もしかすると「私(須藤)」も飲み込まれたかもしれない。そう思いながら、メシを食っている。そう読んでみる。
 しかし、そういう「意味(ストーリー)」では向き合えないものがある。「ストーリー」だけなら、何度も聞いてきた。しかし、ここには「聞いた」こと以外のものがある。何かわからない。そのわからない何かが、私を怖がらせる。
 たぶん、リズムなのだ。
 「共通語」になっていない、リズムがある。須藤自身の「肉体」のリズムがあって、それが、あまりにも「異質」なのだ。
 どこが「異質」なのか。これが、また、わからない。ただ、私は直感的に「異質」と感じ、おびえてしまう。
 短い一行か。ことばを断ち切ってしまう句点「。」の強さか。

メシを喰らう。
この静かなる海に向かって。

 これは「共通言語(共通文体)=ストーリー(意味)」に言い直せば、

この静かなる海に向かって、
メシを喰らう。

 となる。「倒置法」の語順を入れ換え、「向かって。」の「。」を「、」に変えると、「意味」になる。
 しかし、須藤は、それを「意味」にはしていない。「意味」以前にしている。
 「メシを喰らう。」とまず「肉体」を動かしている。「いのち」に結びつく形で動かしている。ひとはメシを食わないことには生きていけない。「いのち」を守ってゆけない。これは単純なことであるけれど、こういう単純は忘れてしまう。須藤はそれを忘れずに、まずそこから出発する。そこに強さを感じる。「肉体」の強さ、「欲望(本能)」の強さを感じる。「真剣」を感じてしまう。「真剣」にものを食べているひとには何か近付きがたいものがある。そういう「肉体」の存在をはっきりと感じさせるリズムがある。
 それには「倒置法」と「静かなる」という少し「文語風」のことばが影響しているかもしれない。「喰らう」は激しく口語、一種の野卑(野生/本能)を感じさせることばなのに対して「静かなる」は日常語では口にしない、何かあらたまった感じがある。その衝突が「肉体」にエッジ(輪郭)を与える。エッジを強調する。輪郭といっても、「肉体」を保護するための「輪郭」ではなく、「肉体」の表面を剥がしてゆく、「肉体」をむき出しにするような線である。ふつうは見えない線、「肉体」を「風景」のなかからえぐり出すような線である。
 それをさらに「えぐる」のが「この静かなる海」の「この」である。(「この」から書くべきだったのかもしれないが、ことばが書かれている順序どおりには書けない。思いついたところから、少しずつ近づいていくしかない。「怖い」ものに近づくときは、「安心」と思えるところから近づくしかない。私の「本能」が、「ことばの順序」どおりに読むことを妨げる。--脱線した。)
 「この」というとき、須藤は目の前の海を見ている。目の前の海を見ているが、それは目の前にあるのではなく、「あの日」の海である。「あの」海を見ている。「この」海なのに、「この」海ではなく、「あの」海。須藤が「見てきた」海。それは須藤の「肉体」のなかでは接続している。いや「一体」になっている。その強い「一体感」が、私には「断絶」として迫ってくる。
 私は須藤の書いている「この/あの海」を自分の肉体として「体験」していない。傍から「傍観」していた。「すごい。映画よりもすごい。これは現実なのか」と思いながら見ていた。9・11のツインタワーが噴水のように崩れていくのをテレビで見ていたように、そこにあるものを自分の肉体に引きつけられないまま、「映像」として見ていた。
 この違いが、深い深い「断絶」として見えてくる。私の知らない「深淵」が「エッジ」となって須藤の「肉体」をえぐっているのを感じる。
 「この」という指示詞、須藤の「意識/肉体」のなかにあるものが、「静かなる」という「逆説(?)」によって、あの日の「意識」と「肉体」を、「いま/ここ」にあるものとして生み出している。
 その新しく生み出された「意識/肉体」が、次に「その」ということばを引き出す。「その黒い穴」と呼ばれる「海」は「静かなる海」ではない。「いま/ここ」に「現実」には存在していないが、須藤の「意識/肉体」のなかで、「この静かなる海」を揺さぶるものとして、いつも動いている。抑えることのできない「本能」のように、暴れている。
 この感じが、怖い。
 こういうことは、もちろん私の「感覚/直観の意見」であり、「論理的」でも何でもない。
 須藤のことばが、私の「肉体」とは断絶した、須藤の「肉体」と絡み合って動いていると感じること、そしてその「肉体」に「怖さ」を感じることが、「許される」ことなのかどうか、私にはよくわからない。つまり、そういうことを「怖い」と言っていいのかどうか、私にはよくわからない。もう書いてしまったのだが……。
 須藤のことばは、私の知っている「共通語」を叩き壊すように動いている。どのことばも私は知ってはいるが、須藤の「肉体」が掴み取っている「強さ」とは違っている。須藤のことばは一語一語が強靱で、その強靱に触れると、私の知っている「共通語」は叩き壊され、なくなってしまう。だから、どうしても身を引いてしまうのだ。離れようとしてしまう。離れたところから見ていようと思ってしまう。私が叩き壊されてもいい、というところまで、私は覚悟ができていない。

粘る舌が尻の穴まで嬲ってゆく。
歌っては戦慄き、
歌っては戦慄き、
仰向けに虐げられたわれら
張りつめた斜面を転がり続け
肉塊の重さを罵りながらも
その重さを頼りにするしか他なく
今夜もまた懸命に目をつむる。

 眠ろうとして眠れない。それでも「目をつむる」。その「懸命さ」。それは私の「肉体」にはたどれない「真剣さ」である。
 しかし、その前に書かれている、

肉塊の重さを罵りながらも
その重さを頼りにするしか他なく

 この、強靱な「論理思考」というか、「論理」になろうとする(「論理」をつくろうとする)ことばの動きは、「肉体」というよりも「ことばの肉体」に属するので、たどることができる。もちろん、それは私の「誤読」かもしれないが……。
 私は「肉塊の重さ」を「肉体の重さ」と置き換えることで自分の「肉体」と結びつけているので、正確に須藤のことばを受け止めているとはいないのだが、ひとは「肉体がいきていること(いのち)」を嘆くという形で「罵り」ながらも、「いのち(肉体があること)」を頼りにするしかない。その「矛盾」のなかに「いのち」の「重さ」がある。
 そんなふうに読んできて、須藤のことばのなかにある「その」という指示詞に再び気がつく。一連目に「この」「その」があったことを思い出す。
 あ、須藤は、須藤が体験した「肉体」をえぐるように書いているが、その書き方は「肉体」頼みではなく、とても「論理的」なのだ。「意識」は常に「前(すでに書いたこと/体験したこと)」を踏まえ、それを手放さない。「意識」は「連続」している。
 「肉体」というのは「ひとつ」で、何が起きようと「ひとつ」のまま「連続」している。けれど「意識」は「いくつ」にも分裂する。それはいつでも「切断」されてしまう。私の書いているこの文章にしても、いつも「切断/断絶」を含みながら「飛躍」してしまう。「意識」とは「切断」してしまう弱いものなのだ。けれど、須藤はその「切断」を許さない。「接続/連続」を維持しつづける。
 あ、これが、ことばの「エッジ」になっているのだ。「肉体」の「輪郭」をえぐるように、「肉体」の表面を剥がすように動いているのだ。「肉体」をむき出しにさせているのだ。「メシを喰らう。」とか「粘る舌が尻の穴まで嬲ってゆく。」という野性的なことばは「意識的言語」とは遠い感じがするが、そうではなく、すぐに「断絶」してしまう意識を鞭打つ一種のカンフル剤のようなものなのかもしれない。肉体の野生が精神(意識)に野生の力、生々しいエネルギーを与えるのかもしれない。

歌っては戦慄き、
歌っては戦慄き、

 この繰り返しも、ことば自身の動きをととのえ、励ますリズムなのだ。

 私のことばでは須藤のとうてい追いかけることはできない。私の文章は、須藤の詩の魅力を壊してしまうことしかできない。だから、補う形で書くしかないのだが、この詩集は2015年の大傑作。ことばが強靱で、正直だ。

真っ赤な傘突き刺して
須藤洋平
思潮社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする