詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

冨岡郁子「しゃれこうべ」、夏目美知子「セイタカアワダチ草やヒメジョオンやら」

2015-09-07 10:21:34 | 長田弘「最後の詩集」
冨岡郁子「しゃれこうべ」、夏目美知子「セイタカアワダチ草やヒメジョオンやら」(「乾河」74、2015年10月01日発行)

 きのうは書きすぎた。詩を壊してしまった。きょうはなるべく少なく書いてみよう。
 冨岡郁子「しゃれこうべ」。

しゃれこうべが二つ
白い地面に
離れすぎず近からず
微妙な空間を置いて
転がっている

どこかに光があるのだろう
地面はまばゆく白く輝き
二つはそれぞれ
影をうすく作って
カラン
コロン と呼応している

それが
コロンが
まるで
カランの方へ
すり寄るように
頭を少しかしげて

 最終連がとてもおもしろい。コロンは女の頭蓋骨? カランは男の頭蓋骨? と読むのは、私が男だからだろうか。女は、すり寄る方が男の頭蓋骨と思うだろうか。冨岡は、どう読んだのだろう。
 一連目の四行目の「空間」が、また、とてもおもしろい。「離れすぎず近からず」というのは「距離」のこと。だから、微妙な「距離」を置いて、でも「意味」は同じ。
 でも、「空間」の方がはるかにおもしろい。「距離」は二つの頭蓋骨のあいだだけを指し示すのに対し、「空間」はそのまわりも含んでしまう。「線」であらわすことのできる「距離」ではなく、「面」としての「空間」。あ、「空間」は「立体」なのだけれど……。
 「まわり」というものがあるから、最後の「すり寄る」というのも効果的なのかもしれない。単に二つの頭蓋骨の問題ではなく、なんとなく「まわり」の人間(ふたりをとりまく人間関係)のようなものが、見える。ふたりを見ている視線になって、その「空間」のなかに入り込んでしまう。



 夏目美知子「セイタカアワダチ草やヒメジョオンやら」。その書き出し。

「木漏れ日」と言う言葉は美しい
そこから想起される情景も美しい
けれど、初夏の午後
道幅いっぱいの木漏れ日の中に実際に立った時
それは何倍も美しかった
両腕を広げ、同化する
その幸せな時間につける名はない

 このあと「言葉と現実に差はある」という具合にして、夏目の「思い」が語られるのだけれど、その思っていることよりも、思いはじめの、ことばを探している感じの部分が自然でとてもいい。「美しい」ということばが三回も出てくるのは、すこし安易かもしれないが、その「安易」がいい。気楽に考えはじめている。気楽にことばを動かしはじめている。かまえていない、自然がそこにある。
 特に、

両腕を広げ、

 これがいい。ことばを探す前に「肉体」が「木漏れ日」に反応している。ことばでとらえるよりも「何倍も美しい」。それは「肉体」でつかむしかない。
 もちろん両腕を広げたからといって、木漏れ日の美しさをつかまえることができるわけではない。「同化する」と夏目は書くが、「同化」できるわけでもないかもしれない。それでも「両腕を広げ」るのである。自分を広げるのである。
 ここに「ことば」にならない「ことば」がある。
 冨岡の書いている「すり寄る」に通じるものがある。
 「肉体」の領域をはみだすものがある。
 「両腕を広げ」ても、人間は「肉体」より大きくなれない。頭蓋骨は自分自身では「すり寄る」ことはできない。その不可能が、ことばによって、すばやく乗り越えられる。この瞬間が、詩なのだ。

H(アッシュ)―冨岡郁子詩集
冨岡 郁子
草原詩社
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クリスティアン・ペッツォルト監督「あの日のように抱きしめて」(★)

2015-09-07 09:24:15 | 映画
監督 クリスティアン・ペッツォルト 出演 ニーナ・ホス、ロナルト・ツェアフェルト、ニーナ・クンツェンドルフ

 人が人を認識するとき(識別するとき)、何を手がかりにしているのだろう。この映画では「顔」がひとつのテーマになっているが、どうもよくわからない。
 アウシュビッツで顔を大怪我した女(ユダヤ人)が、顔を手術する。そのあと、夫を探す。そして夫と出会う。夫は女が妻とは気がつかない。しかし、似ている。その似ていることを利用して、妻の財産を狙う。女の一族は資産家であり、その財産を「夫」であることを理由に手に入れようとする。女に妻を演じてくれ、と頼む。
 なかなかおもしろいストーリーなのだけれど。
 夫が女が妻であることに気がつかない、最後に「スピーク・ロウ」を歌うまで気がつかないという設定が、どうも腑に落ちない。顔はたしかに整形して変わっているが、人が誰であるかを識別するときの判断材料は「顔」だけ?
 途中に「歩き方が妻とは違う」というようなことを言うシーンがあるが、それを言うなら最初にであったとき、歩き方で妻と感じてもいいはずだ。女の方は妻であることを気づかせようとしているのだから。体型に識別の手助けになるだろうし、目の表情、声の具合、話し方でもわかっていいはずだ。筆跡を「真似る」シーンもあるが、そのときに気がついてもいいはずだ。赤の他人が、ちょっと見ただけの筆跡を正確に真似ることなどできない。口頭で文章を読み上げ、書かせて筆跡を比較する。その筆跡が「同じ」になるなんて、同一人物でないとできないだろう。そこだ彼女が妻だと気づかないのは、どうみてもおかしい。気づかないにしろ、妻かもしれないと思わないということは、あまりにも不自然。
 こんなことは、映画だから、どうでもいいのかな? ストーリーさえ緊迫感をもって動けばいいということかな?
 でもねえ、そうすると、ベルリンに帰り着いたときの駅のホーム。そこで出迎える親族が、女が「ほんもの」であるとすぐに気づくのはなぜ? 化粧で「顔」がまとも(?)になっているから? 声も聞かず、歩き方もそんなにじっくり見るわけでもない。ホームに立っているだけで、女とわかる。女が帰ってくる、という「情報」が、女を探し出す力になっている? たしかに、そこに「知った人がいる」と知っていれば、記憶を総動員して似た人間を探し出すということはある。しかし、親族の全員が、だれひとりとして「この女は偽物かもしれない」と思わない。「ほんもの」と信じ込むというのは、ちょっと不思議。
 映画は、最終的には、女が男の「裏切り」に気がつく、財産目当てであって、愛されて結婚したのではない、ということを悟るという形で終わるのだが、この映画を、逆に見てみたらどうなるだろうか。
 男は女が妻であると気がついた。気がついたけれど気がつかないふりをして、財産を手に入れるという「芝居」を演じる。ほんとうに愛しているなら、男のために芝居を演じつづけてくれるのではないか。男がしたこと、妻がユダヤ人であると密告し、自分だけナチスの迫害を逃れた、ということを許してくれるのではないか。女は自分を許してくれる、もういちど愛してくれるということを確認したかったのではないのか。試されているのは男ではなく、女の方ではないのか。
 まあ、そんなことはないのだろうけれど、そんなふうに見たみたいと思わせるのは、この男がなかなかいい男だからである。「金目あて」という野卑な感じがない。下品な印象がない。つまり、ストーリーにそぐわない顔をしているのである。キャスティング・ミスかもしれないなあ。(アラン・ドロンのような、野卑な美貌だと、この映画はぐっとおもしろくなる、真実味が出てくるのだが……。)
 この映画を分かりにくくしているのは、もうひとつ、最初に女を助ける別の女の存在。彼女はナチスの追及はもちろん、ナチスへの協力者をも断罪しようとしている。そのために働いている。主人公の夫が「裏切り者(ナチスの協力者)」であると認識している。けれども主人公が夫を「裏切り者」として追及するのを拒んでいることを知り、絶望して自殺してしまう。これが、どうも私には唐突に感じられる。彼女は主人公を助けたいというよりも、「ナチスの協力者」を探し出し、追及したいがために主人公を「利用」しているとも受け止めることができる。ほんとうに「ナチスの協力者」を追及したいのだったら、主人公を説得し、夫の正体を暴けばいいのに、そうしない。これは、なぜ? 追及を諦め、自殺してしまうのは、なぜ? 彼女もまた主人公の「財産」が目当てだったのだろうか。イスラエル建国の資金にしたかったのか。
 主人公は女が主人公の財産目当てであることを知ったので(二人は何度も財産の話をしている)、彼女よりも夫の方を選んだのか。そんなことさえ思わせてしまう。
 最後の親族の会合も、妙に空々しい。家族を亡くした男は主人公に冷たい。「おまえだけ生き残って」という反発だろうか。もしかすると、全員が「彼女がいなければ、その財産を相続できるのに」と思っているのかもしれない。だれもかれもが主人公の財産を狙っている、ということに主人公は気づいたのか。だから、全員を集めて、そこで「スピーク・ロウ」を歌ったのか。主人公が求めているのに愛なのだ、と全員に告げて、その場を去るのか。
 よくわからない。
 男は、主人公が「世界」の「真相」を知るための、途中経過だったのか。「よかった。問題が解決した」という爽快感のない、暗い映画だった。映画に「ハッピーエンド」を期待しているわけではないが、いやな映画だなあ。
                     (KBCシネマ1、2015年09月06日)




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