徳弘康代『音をあたためる』(思潮社、2017年8月28日発行)
徳弘康代『音をあたためる』にはいろいろな詩がある。「おとしましたよ」は代表作ではないかもしれない。「現代詩」の「味」はしない。でも、好きだなあ。
ドアごしに
さしだされる
かたいっぽうのてぶくろ
降りた人が
乗った人に
おとしましたよ と
さしだされた
てぶくろは
持ち主にもどって
右てぶくろと
左てぶくろは
用済みになるまで
いっしょに
いられる
この「いっしょに/いられる」が、いい。
これは、誰のことばだろうか。右てぶくろか、左てぶくろか。どちらかの手袋がそう思ったのか。あるいは、落とした人(拾ってもらった人)、拾った人が思っているのか。それとも、この現場を見た人が思っているか。
徳弘は、誰なのだろう。拾ってもらった人なのか、拾った人なのか、それともその現場を見た人なのか。
そして、読むとき、私はどちらにいるのだろうか。
落とした人ではない、拾った人でもない。かといって、それを目撃した人でもない。だけれども、ことばを読んでいるとき、私はそのなかの誰かである。「肉体」でその人のだれかになっている。
「おとしましたよ」は言ったのか、聞いたのか。
これもよくわからない。
まあ、これは区別をしなくてもいいのだろう。
区別をしなくなったとき、「いっしょに/いられる」が聞こえるのだろう。
誰が言ったのでもない「誰かの声」が聞こえる。「声」は、どこから生まれているのかわからないが、たしかに、その「声」はある。
ここが、あたりまえのようで、あたりまえではない何かである。
朝の地下鉄で
車掌さんは
手渡されるまでの
ほんの二秒
ドアを閉めるのを
おくらせる
誰のものでもない「声」なので、それは車掌にも「聞こえる」。
と書いて、私はきのう読んだ以倉紘平の「馬」を思い出す。「澄んだ」を思い出す。きのうはちょっと書くのをためらったのだが、その「澄んだ」は「色即是空」の「空」ではないだろうか。「現実(形あるもの)」は「空しい」ではなく、「現実(世界)」は「澄んでいる」、「澄んでいる」ことによってつながっている。
徳弘が「いっしょに/いられる」という「声」を聞くとき、その「聞いたこと」が世界に共有されていく。「聞いたこと」を妨げるものが何もない。それくらいに「世界」が「澄む」。そういう瞬間がある。
この感じを、いまはやりの「現代詩」の文体で構成しなおすと、たとえば
りんごが壊れるときの
ふしぎな空気を
みみなりといってもいいですが
ひとがとても好むのを
おぼえておいていただけますか (りんごの崩壊)
ということになる。
ここに「みみなり」ということばがあるが、この詩に限らず、「耳」というか「声」というか、「対話」を含んだ詩が、どれも楽しい。
*
「詩はどこにあるか」11月の詩の批評を一冊にまとめました。
詩はどこにあるか11月号注文
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
ここをクリックして1750円の表示の下の「製本のご注文はこちら」のボタンをクリックしてください。
オンデマンド形式です。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
目次
カニエ・ナハ『IC』2 たなかあきみつ『アンフォルム群』11
林和清『去年マリエンバートで』15 夏目美知子「雨についての思索を一篇」18
北川透「「佃渡しで」を読む」21 野木京子「小石の指」31
疋田龍乃介「ひと息に赤い町を吸い込んで」34 藤本哲明『ディオニソスの居場所』37
マーサ・ナカムラ『狸の匣』40 星野元一『ふろしき讃歌』46
暁方ミセイ『魔法の丘』53 狩野永徳「檜図屏風」と長谷川等伯「松林図屏風」58
暁方ミセイ『魔法の丘』(2)63 新井豊吉『掴みそこねた魂』69
松本秀文『「猫」と云うトンネル』74 松本秀文『「猫」と云うトンネル』78
山下晴代『Pale Fire(青白い炎)』83 吉田正代『る』87
福間明子『雨はランダムに降る』91 清川あさみ+最果タヒ『千年後の百人一首』95
川上明日夫『白骨草』107
*
詩集『誤読』を発売しています。
1500円(送料250円)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
オンデマンド形式なので、注文からお手もとに届くまでに約1週間かかります。
ここをクリックし、「製本の注文はこちら」のボタンを押してください。
徳弘康代『音をあたためる』にはいろいろな詩がある。「おとしましたよ」は代表作ではないかもしれない。「現代詩」の「味」はしない。でも、好きだなあ。
ドアごしに
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かたいっぽうのてぶくろ
降りた人が
乗った人に
おとしましたよ と
さしだされた
てぶくろは
持ち主にもどって
右てぶくろと
左てぶくろは
用済みになるまで
いっしょに
いられる
この「いっしょに/いられる」が、いい。
これは、誰のことばだろうか。右てぶくろか、左てぶくろか。どちらかの手袋がそう思ったのか。あるいは、落とした人(拾ってもらった人)、拾った人が思っているのか。それとも、この現場を見た人が思っているか。
徳弘は、誰なのだろう。拾ってもらった人なのか、拾った人なのか、それともその現場を見た人なのか。
そして、読むとき、私はどちらにいるのだろうか。
落とした人ではない、拾った人でもない。かといって、それを目撃した人でもない。だけれども、ことばを読んでいるとき、私はそのなかの誰かである。「肉体」でその人のだれかになっている。
「おとしましたよ」は言ったのか、聞いたのか。
これもよくわからない。
まあ、これは区別をしなくてもいいのだろう。
区別をしなくなったとき、「いっしょに/いられる」が聞こえるのだろう。
誰が言ったのでもない「誰かの声」が聞こえる。「声」は、どこから生まれているのかわからないが、たしかに、その「声」はある。
ここが、あたりまえのようで、あたりまえではない何かである。
朝の地下鉄で
車掌さんは
手渡されるまでの
ほんの二秒
ドアを閉めるのを
おくらせる
誰のものでもない「声」なので、それは車掌にも「聞こえる」。
と書いて、私はきのう読んだ以倉紘平の「馬」を思い出す。「澄んだ」を思い出す。きのうはちょっと書くのをためらったのだが、その「澄んだ」は「色即是空」の「空」ではないだろうか。「現実(形あるもの)」は「空しい」ではなく、「現実(世界)」は「澄んでいる」、「澄んでいる」ことによってつながっている。
徳弘が「いっしょに/いられる」という「声」を聞くとき、その「聞いたこと」が世界に共有されていく。「聞いたこと」を妨げるものが何もない。それくらいに「世界」が「澄む」。そういう瞬間がある。
この感じを、いまはやりの「現代詩」の文体で構成しなおすと、たとえば
りんごが壊れるときの
ふしぎな空気を
みみなりといってもいいですが
ひとがとても好むのを
おぼえておいていただけますか (りんごの崩壊)
ということになる。
ここに「みみなり」ということばがあるが、この詩に限らず、「耳」というか「声」というか、「対話」を含んだ詩が、どれも楽しい。
音をあたためる | |
クリエーター情報なし | |
思潮社 |
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「詩はどこにあるか」11月の詩の批評を一冊にまとめました。
詩はどこにあるか11月号注文
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オンデマンド形式です。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
目次
カニエ・ナハ『IC』2 たなかあきみつ『アンフォルム群』11
林和清『去年マリエンバートで』15 夏目美知子「雨についての思索を一篇」18
北川透「「佃渡しで」を読む」21 野木京子「小石の指」31
疋田龍乃介「ひと息に赤い町を吸い込んで」34 藤本哲明『ディオニソスの居場所』37
マーサ・ナカムラ『狸の匣』40 星野元一『ふろしき讃歌』46
暁方ミセイ『魔法の丘』53 狩野永徳「檜図屏風」と長谷川等伯「松林図屏風」58
暁方ミセイ『魔法の丘』(2)63 新井豊吉『掴みそこねた魂』69
松本秀文『「猫」と云うトンネル』74 松本秀文『「猫」と云うトンネル』78
山下晴代『Pale Fire(青白い炎)』83 吉田正代『る』87
福間明子『雨はランダムに降る』91 清川あさみ+最果タヒ『千年後の百人一首』95
川上明日夫『白骨草』107
*
詩集『誤読』を発売しています。
1500円(送料250円)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
オンデマンド形式なので、注文からお手もとに届くまでに約1週間かかります。
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