中原秀雪『モダニズムの遠景』(思潮社、2017年11月30日発行)
中原秀雪『モダニズムの遠景』には「現代詩のルーツを探る」というサブタイトルがついている。
私は、私の祖父母を知らない。私は両親が年をとってから生まれたので、私が生まれたときすでに父方の祖父母も母方の祖父母も死んでいた。母方の、母の兄弟だと思っていたのは、実はいとこだった。いとこだと思って遊んでいた少女はまたいとこだった。そういうこともあって「ルーツ」というものにもまったく関心がない。「歴史感覚」というものも、きっと欠けている。
だから、これから書く私の感想は、きっと中原の「狙い」とは無関係なことになってしまう。
丸山薫についての文章は、こう始まる。
丸山薫がソウルに赴任する父に従い、一家と玄界灘を渡ったのは、明治三十八年満五歳の初夏であった。
ごく普通の紹介の仕方なのかもしれないが、私は、ここでつまずいてしまう。
つまずきは、ふたつ。
ひとつは、それを中原は目撃したのだろうか、ということ。つまり「肉体」で覚えていることなのか。いろいろなものを読んで「知った」情報なのだろうか。もちろん後者だろう。こういう「知ったこと(情報)」を「事実」のように書くということが、私にはよくわからない。その「事実」に対して、疑問をもたなかった? どうして、それを「事実」と信じる? まあ、さまざまな「資料」がそう語っているから「事実」である、というのだろうけれど。
これは、まあ、「歴史嫌い」の人間のいちゃもんである。
もうひとつ。
丸山薫がソウルに赴任する父に従い、
この書き出しの「従う」という動詞に、私はとても疑問をもつ。もし、私が丸山薫で五歳だったら、こういうとき「従う」という動詞は私の肉体のなかでは動かない。「従う」には「わかる」が含まれている。「了解/納得」が含まれている、と思う。五歳ならば「従う」ではなく、単に「連れて行かれた」である。ほかの行動がとれない。「従う」に丸山薫の「気持ち」が含まれてるとは思えない。こういう動詞のつかい方に、私は、ついていくことができない。
丸山薫と「一体になっていない」。丸山薫と「交渉していない」と感じ、これから始まるのが、「ストーリー」に過ぎないと思ってしまう。
「一家と玄界灘を渡った」も同じである。それは「客観的事実(歴史)」かもしれないが、「主観的事実」とは違うだろう。
「主観的事実」と違うからこそ、中原は、直後に「緑の大砲」という丸山薫の随想を引用し、丸山薫自身に「記憶(覚えていること)」語らせるのだが。
どうも、私は落ち着かない。むずむずする。
次の文章は、むずむずを通り越して、ぎょっとする。
父は(略)統監府参与官兼警視総監を拝命することになる。
「拝命する」というのは、どういうことだろう。命令によって、その任務につくこと、か。それを「任命される」ではなく「拝命する」と書くとき、その「拝」に何がこめられているか。それを思い、ぞっとする。こんなところで「父」のかしこまった気持ちを語るくらいなら、「父に従い」ではなくもっと五歳の子どもの気持ちがあふれる動詞をつかうべきだろう。
登場人物(対象)に対する「向き合い方」が、どうもおかしい。中原自身が向き合っているのではなく、他人が語ったことを、その語りのまま書いている感じがする。中原は、「何を聞いた(何を読んだ)」のか。
過去の人物について書くときは、その人について書かれたものを読むしかないのだが、読みながら中原が「何を聞いた」のか、それがわからない。「父に従い」も「拝命する」も、誰かが「語ったこと」であり、そこに中原が「聞いたこと」があるとは感じられない。中原の「受け止め方」がわからない。
誰かが「語ったこと」をそのまま口移しで繰り返すのと、「聞いたこと」を自分のことばで語ることは違うと私は思う。
それは、次のような部分でも感じる。
中原は、「イメージ=映像の論理で詩を構成し物語性を付与している」と書いたあとで、村野四郎の文章を引用する。
「もう詩の抒情は『歌われること』によらず『思い浮かべること』によってなされる、いわば、歌うことによる陶酔の美学から、イメージによる思考による美学へと変わった」(「近代抒情詩の形成」)。この一文は、まさに丸山薫の詩についての解説にもなり得るし、また所謂「現代詩」の変革という歴史的な位置づけと課題を見通した記述にもなっている。
「まさに……」の部分が「聞いたこと」になるかもしれないが、あいまいである。
中原は「イメージ=映像の論理」と言い、野村は「イメージによる思考」と言う。中原は「構成」と「物語性」ということばをつかい、野村は「美学」ということばをつかっている。「物語性」は「美学」と、どう関係しているのか。
野村が語ったことをそのまま転写するのではなく、聞いたものを語りなおすというのなら、「物語性」と「美学」の関係をもっと語ってもらわないとわからない。中原は「考える」ことをやめて、野村のことばを借りて、自分を代弁させているという感じがする。
ここに書かれているの野村の文章は「野村が語ったこと」であり、中原が「聞いたこと」ではない、という印象がする。
だから、私は、こんなふうに中原に問い直したい。
音に酔う(陶酔する)ように、イメージに酔うということはないか。目が酔うということはないか。さらにイメージといっても、ことばには「音」がともなう。イメージ(映像)と思われているものが音楽であるということはないか。
たとえば中原が引用している丸山薫の詩のなかで、丸山薫は「三檣帆船」に「パーク」というルビをふっている。なぜ、ルビをふったのか。読み方(音)を限定したのか。そのことを考えると、「イメージ」には「音のイメージ」もあることがわかる。これを、どう説明するか。それを聞きたい。
中原の「現代詩批判」を語る次の部分にも疑問を持った。
現代詩は(略)ありふれた言葉や陳腐な表現を避けたいという想いから、表現の袋小路に入り込み伝えたいことを喪失している。(略)自己の表現に満足することと、他者に伝えたいことが確かに伝わっていることは別な話である。自分の表現に納得できないということよりも、他者に伝わるものの確かさを大事にするという意識が希薄である。(29ページ)
ことばは「伝える」ためのものなのか。私は、簡単には断言できないと思う。「伝える」前に、まず「考える」。「考える」ためにことばはある。「考える」というのは自己のなかで完結する行為だから「自己中心/自己満足」になってしまうかもしれない。けれど、「考える」ことをやめてしまえば、どうなるのか。
最初に引用した文章にもどろう。
「丸山薫がソウルに赴任する父に従い、一家と玄界灘を渡った」「父は統監府参与官兼警視総監を拝命する」と書くとき、中原の「伝えたい」事実は伝わる。そして、そのとき中原が丸山薫の「実感」については「何も考えていない」ということも、私には伝わってくる。それは中原が「伝えたい」こととは違うだろうが、言い換えると私の「誤読」だろうが、「誤読」ゆえに、ひしひしと伝わってくる。
「客観的表現」「流通言語としての表現」は「伝える」ことには適しているかもしれないが、「考える」ということには適していない。
詩を読む、あるいはほかの文学(ことば)を読む。私は、何かを「知りたい」から読むのではなく、むしろ「知っている」と思っていることを忘れるために、言いなおすと「考える」ために読む。「考える」ために読みたいと思っている。
中原の文章を読みながら「知った」ことではなく、私は私の「考えた」ことを書いた。
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目次
カニエ・ナハ『IC』2 たなかあきみつ『アンフォルム群』11
林和清『去年マリエンバートで』15 夏目美知子「雨についての思索を一篇」18
北川透「「佃渡しで」を読む」21 野木京子「小石の指」31
疋田龍乃介「ひと息に赤い町を吸い込んで」34 藤本哲明『ディオニソスの居場所』37
マーサ・ナカムラ『狸の匣』40 星野元一『ふろしき讃歌』46
暁方ミセイ『魔法の丘』53 狩野永徳「檜図屏風」と長谷川等伯「松林図屏風」58
暁方ミセイ『魔法の丘』(2)63 新井豊吉『掴みそこねた魂』69
松本秀文『「猫」と云うトンネル』74 松本秀文『「猫」と云うトンネル』78
山下晴代『Pale Fire(青白い炎)』83 吉田正代『る』87
福間明子『雨はランダムに降る』91 清川あさみ+最果タヒ『千年後の百人一首』95
川上明日夫『白骨草』107
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