詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

高橋順子「あら」

2017-12-22 10:57:22 | 詩(雑誌・同人誌)
高橋順子「あら」(「森羅」8、2018年1月9日発行)

 高橋順子「あら」を読む。

亡くなった夫が恋しいというような詩は
書くまいと思っていた
と書くと 不機嫌な声が聞こえる
「恋しい 恋しい」
なんてわたしには書けないよ 恥ずかしいよ
そう言うと さあっと身の周りが涼しくなる
そのへんに もやっていた
くうちゃんが離れるからだ 離れていく先は
わたしの東北の女友達のところみたい
「あら、車谷さん」
と言ってほしいのだ
先日も時ならぬときに鐘が鳴ったそうだ
くうちゃん
詩が終わらないよ
どうしてくれるの?
「知らないよ!」

 4行目が、なかなかむずかしい。
 だれの声か。
 車谷が「恋しい 恋しい」と書けばいいじゃないかと責めている。「亡くなった夫が恋しいというような詩は/書くまい」というようなことは書かずに、「恋しい 恋しい」と書けばいいじゃないか、と車谷が不機嫌に抗議している。「恋しい 恋しい」は高橋の「声」を代弁する車谷のことばである。
 そううながされるのだけれど、「恋しい 恋しい」と書くのは「恥ずかしいよ」。
 口答えした瞬間、周りの雰囲気がかわってしまう。
 不機嫌な声を発していた車谷の気配が消えてしまう。

 ここで、私はもう一度思う。
 4行目の「恋しい 恋しい」はだれの声なのか。高橋の「声」の代弁ではなく、車谷自身の声なのではないか。車谷が「恋しい 恋しい」と言っている。叫んでいる。
 「恋しい」とか「愛している」とか言われたとき、ひとはどうするのだろう。
 「恋しい」「愛している」と、おうむ返しに繰り返す。繰り返すことで「恋しい」「愛する」気持ちと、行動を共有する。
 それは対話というよりは、単純な共有だ。
 「恋しい 恋しい」は高橋のことばでも、車谷のことばでもない。ふたりのことばである。共有されたとき、初めて意味(力)をもつ。共有されなければ、存在しないことばなのだ。
 高橋が「恥ずかしいよ」と言って共有を拒んだとき、そのことばは消える。ことばを共有しようとしていた車谷も消える。
 後半に、

「あら、車谷さん」
と言ってほしいのだ

 という行が出てくる。さびしがり屋の車谷の姿を描いているのだが、この行の、「言ってほしい」がキーワードだ。
 車谷は高橋に「恋しい 恋しい」と言ってほしい。
 3行目の「不機嫌な声」というのは、「言ってほしい」と言っている声だ。してほしいことがあり、それがかなえられないから「不機嫌」。
 「恋しい 恋しい」と高橋が言えば、車谷はそれにあわせて「恋しい 恋しい」とおうむ返しでことばを共有できる。
 言い換えると、車谷こそが「恋しい 恋しい」と言いたいのだ。
 言い残したことばというと変だけれど、それは言い残したことばだ。いつでも「言い残されている」ことばなのだ。
 「対話」が、いつでも「言い残されている」。
 
 だからこそ、(というのは端折った論理なのだが)、

くうちゃん
詩が終わらないよ
どうしてくれるの?
「知らないよ!」

 と、この詩は口げんかのような「対話」で終わる。
 最後の「知らないよ!」は車谷のことば。途中に出てきた「あら、車谷さん」は友達のことば。カギ括弧のなかのことばは、高橋のことばではなく、高橋以外のひとのことば。このことから4行目の「恋しい 恋しい」は車谷のことばであることが証明される。
 高橋は、いつでも車谷の「声」を聞いている。「対話」している。

 ひとつだけ、疑問に思うこと。
 一行目「亡くなった夫」という表現がある。いつごろからこういう言い回しがふつうになったのかわからないが、私は、どうもなじめない。「敬意」(愛情)をあらわしているのかもしれないが、「身内」なら「死んだ」だろうなあ、と思う。
 昔は、身内には「死んだ」、身内以外には「亡くなった」とつかいわけていたと思う。身内以外でも、親身につきあっている人間に対しては「死んだ」と言ったと思う。非常に親しい友達の場合は、知らず知らず「死んだ」と言う。それほど親しくなかったら「亡くなった」と言う。
 谷川俊太郎の「父の死」は「私の父は九十四歳四ヶ月で死んだ」で始まる。詩に登場する教え(?)子は「先生亡くなった」ではなく「先生死んじゃったァ、先生死んじゃったよォ」と叫んでいた。このときの「死んじゃったァ」は尊敬をはるかに上回る。自分の身を切られる悲しみである。「死んだ」は「なくなる」よりも「関係が強い」。
 「敬意のことばは」は「敬い」をあらわすと同時に、「私はあなたとは無関係(同列ではない)」という感じがする。「上下関係」のようなものを抱え込んでいる。上下関係はあっても「共有」はあるのだろうけれど、「対等」の方が、私にはぴったりくる。
 夫婦の、「ごちそうさま」とでも言いたくなるような親密感に「上下関係」(敬意)はどうもしっくり来ない。「亡くなった」では、親身になれない。高橋が車谷と「共有」しているものが、「ひとごと」、言い換えると「芝居」のように見えてしまう。

夫・車谷長吉
クリエーター情報なし
文藝春秋


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林和清『去年マリエンバートで』15   夏目美知子「雨についての思索を一篇」18
北川透「「佃渡しで」を読む」21   野木京子「小石の指」31
疋田龍乃介「ひと息に赤い町を吸い込んで」34   藤本哲明『ディオニソスの居場所』37
マーサ・ナカムラ『狸の匣』40   星野元一『ふろしき讃歌』46
暁方ミセイ『魔法の丘』53   狩野永徳「檜図屏風」と長谷川等伯「松林図屏風」58
暁方ミセイ『魔法の丘』(2)63   新井豊吉『掴みそこねた魂』69
松本秀文『「猫」と云うトンネル』74   松本秀文『「猫」と云うトンネル』78
山下晴代『Pale Fire(青白い炎)』83   吉田正代『る』87
福間明子『雨はランダムに降る』91   清川あさみ+最果タヒ『千年後の百人一首』95
川上明日夫『白骨草』107



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