詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

池澤夏樹のカヴァフィス(57)

2019-02-14 12:26:08 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」

57 よみがえる時

 詩法そのものを書いている。

 と池澤は書いている。
 私が注目するのは、後半三行の、

夜でも、昼間の眩しい光の中でも、
それらが頭脳のうちによみがえる時、
それを捕えるべく努力せよ、詩人よ。

 タイトルにもなっている「よみがえる時」。
 実際に見ているのではなく、「頭脳のうちによみがえる」、そのときに「詩句」を書けと言っている。
 この三行に先立って、

おまえが見たところの愛の姿を。

 という行がある。「見た」ということばがある。だから、これは「視覚」としてよみがえったということなのだろうけれど、私はその「視覚」を信じてはいない。
 「よみがえる」というのは「夢」と同じで、あくまで「ことば」だ。
 見たものが「ことば」になってよみがえる。それを即座に書け、とカヴァフィスは言っているように思う。

 池澤は、「愛の姿」の「姿」について、

もとの言葉は英語で言うならばvisionにあたり、現実であろうとなかろうと目に見えたものを意味する。

 と書いている。
 だから私の読み方は完全に「誤読」なのだが、誤読を承知で、私は「みたもの」ではなく「みたものがことばになってよみがえる」と「ことば」を挿入して読む。現実でないものは目に見えないを手がかりに。
 現実にはないものも、人間はことばにして言い、そのことばを聞くことができる。






カヴァフィス全詩
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池澤夏樹のカヴァフィス(56)

2019-02-13 09:30:47 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
56 セレウキデスの不興

過去の栄光をよりどころとしたデーメートリオスの誇り高い理想主義とプトレマイオスの現実的政治性の対比。

 と池澤は書いている。最終蓮がプトレマイオである。

この際、贅を尽くす必要は毛頭ないのだ。
彼は傷んだ服を着てつつましくローマに入り、
ある職人の小さな家に宿を借りた。
それから不運にみまわれ続けた
貧しき者という姿で元老院におもむき、
より効果的に乞うところを訴えたのだった。

 ここにも「つつましく」ということばが出てくる。カヴァフィスは「つつましさ」が好きだったのだろう。快楽の追求も、きっとつつましいものだったに違いない。どこかで自分自身を抑制している。
 「ある職人」というのは、原文ではどうなっているか知らないが、この「ある」は不定冠詞の「ある」だろうなあ。あえていえば「名もない職人」。そういう人は、きっと「つつましく」生きている。そこに立ち寄ったのは、もしかすると、自分の「つつましさ」がほんとうにつつましいものであるかどうか、それを確認するためだったかもしれない。傷んだ服を着て、つつましくしているつもり。でも、王家のひとり。どこかに、つつましさとは別なものが出ているかもしれない。それを消すために、名もない職人の家へ行った。それは自分をもう一度整えるためだろう。
 「つつましさ」とは自分をきちんと整えることでもある。

 カヴァフィスは自分を整え続けた詩人だったのだろう。





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池澤夏樹のカヴァフィス(55)

2019-02-12 08:10:07 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
55 マヌエル・コムネノス


 死期を間近にした皇帝マヌエル・コムネノスを描いている。皇帝は、

そして僧院から教会の衣裳を
取り寄せるようにと命じた。
皇帝はよろこんでそれを身につけ
僧か司祭のようなつつましい姿になった。

 「つつましい」という形容詞が気持ちいい。
 僧、司祭の衣裳は皇帝の衣裳に比べればつつましいだろうが、それでも豪華なものもあるだろう。わざわざ「つつましい」と書き加えているのは、それがほんとうに「つつましい」ものだったからだろう。
 もちろんカヴァフィスはその衣裳を見ているわけではない。
 だから、この「つつましい」はカヴァフィスのフィクションである。フィクションには詩人の「事実」が反映される。
 カヴァフィスがどんな衣裳で死期に臨んだだのかわからないが、この皇帝のような姿を望んだのだろう。
 池澤は、ギボンを参照しながら、マヌエル・コムネノスは

きわめて勇猛な戦士王であると同時に快楽の追求者であり、

 と紹介している。
 カヴァフィスは官僚であると同時に快楽の追求者。快楽の追求は、どこかに「つつましい」何かを隠している。つつましさがないと快楽は快楽にならないのかもしれない。つつましい、というのは、きっと「信仰」に対してつつましいということだろう。
 最後の三行は、そう感じさせる。

信ずる者は幸いである。
そしてまた皇帝マヌエルの如く
つつましい信仰の衣裳を着てみまかる者も。

 「信仰」はあくまで「個人」のものである。個人の尊厳の問題である。快楽もまた個人のものであり、他人が口をはさむ必要はない。他人の批判を気にすることはない。





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池澤夏樹のカヴァフィス(54)

2019-02-11 09:45:12 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
54 マグネシアの戦い

良いことが一つ最後まで残る、記憶は失せないのだ。
母なるマグネシアが廃塵に帰した時、シリア人が

どれだけ嘆いてくれたか、どんな悲しみを味わったか--
さあ、食事をはじめよう、奴隷よ、管弦よ、照明よ。

 「記憶は失せない」は「私は思い出せる」と読み直したい。
 カヴァフィスは歴史を題材に書くが、それは歴史が失せないからではなく、自分のこととして思い出せるということだろう。カヴァフィスは、たとえばマグネシアの戦いを生きたわけではないから、それをそのまま思い出すわけではない。
 何もかもが破壊され、失われた時、ある人が「どれだけ嘆いてくれたか」、そして自分は「どんな悲しみを味わったか」。
 池澤の訳では「悲しみを味わった」ひとがシリア人ということになるのだろうけれど、私は自分(カヴァフィス)と誤読する。そうすると、そこに「対話」があり、自分の声がそのまま「さあ、食事をはじめよう、奴隷よ、管弦よ、照明よ。」へとつながっていく。思い出しながら、自分を奮い立たせている。
 この最後の行も、「意味」としては「食事をはじめるから、奴隷よ食事をもってこい、音楽をかきならせ、明かりをつけろ」ということなのだが、私には「音楽よ鳴り響け、明かりよもっと輝け」と聞こえる。音楽も照明も、「自動詞」として、自分自身を奮い立たせよ、自分たちの栄光の瞬間の「思い出」を思い出せ、と言っているように聞こえる。( 「食事」ということばが、この場合、豪華さに欠けると思うが。)
 動詞を書かず、名詞だけを書いているので、そんな気持ちになる。

 池澤の註釈。

カヴァフィスは人にせよ国にせよ勢力の頂点にあるところを描くのを好まない。彼が扱うのは常にその後の凋落期の姿であり、そこではじめて見られる生地こそが詩材となる。

 「生地」か。いいことばだなあ。カヴァフィスは歴史を借りて、彼自身の「生地」を出している。
 きのう書いたことに強引に結びつければ、つかいこまれた「生地」の美しさががカヴァフィスの魅力だ。真新しい生地ではない。つかいこまれて、生き残る生地の強さとしての、ことば。音楽。






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池澤夏樹のカヴァフィス(53)

2019-02-10 08:17:04 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
53 オロフェルネス

 「四ドラクマ貨幣に描かれた」青年のことを書いている。「ほっそりして整った顔だち」で、

イオニアの素晴しい夜から夜へ、
彼はためらいもなく、まるでギリシャ人のように
快楽のすべてを学んでいった。

 いかにもカヴァフィスの詩の主人公だなあ、と感じさせる。しかし、そういう描写よりも、私は次の部分が好き。

後に、シリア人がカッパドキアに入り、
彼を王座につけると、
彼はすっかり王になりきって、
一日一日を新しいやりかたで楽しみ、
黄金と銀を貪欲に集め、
目の前に積みあげられて輝く富を
ただひたすらながめて喜んだ。

 批判が書かれているのだが、そのことばの調子が「俗っぽい」、庶民の口語そのままというのがおもしろい。
 「頭」で書いたことばではなく、「街中」で集めてきたことば、耳で聞いたことば(音)だ。
 カヴァフィスのことばは、みんな、そうである。
 引用の最初の部分「イオニアのすばらしい夜から夜へ、/彼はためらいもなく、まるでギリシャ人のように/快楽のすべてを学んでいった。」も街中で聞いたことばを整えたものにすぎない。「ほっそりして整った顔だち」という描写や、「彼はイオニアの青年の中でも/最も美しい理想の若者だった。」も同じ。
 カヴァフィスはシェークスピアのように、街中で話されていることばを集め、整えて詩にしている。「ギリシャの慣用句」で詩を書いている。「慣用句」のなかには人間の「つきあい」が隠れている。つまり「つかいこまれた人間」が生きている。
 池澤の翻訳は、「つかいこまれた人間」ではなく、「知性的な人間」のことばが前面に出てくる。それが池澤のとらえるカヴァフヘスなのだと思うが、私の感じでは、少し物足りない。
 でも、この作品では「ただひたすらながめて喜んだ。」の「喜んだ」ということばが、図太くていいなあと思う。






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池澤夏樹のカヴァフィス(52)

2019-02-09 08:47:24 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
52 描かれたもの

わたしは自分の仕事を愛しており、おろそかにはしない。
しかし今日、創作は遅々としか進まなかった。

 ここで書かれている「仕事」とは何だろうか。あとに出でくる「ものを語るよりはむしろ見ることをわたしは欲した。」から考えるなら、「ものを語る」ことが仕事、カヴァフィスの詩人としての仕事を指しているように感じられるが。
 私はあえて「誤読」する。「わたし」は画家だと。誰かの描いた作品を見ている。

この絵の中にわたしは今見る、
泉のそばに美しい一人の少年が
走り疲れてか、横になっているさまを。
なんと美しい子供、なんと天上的な真昼が
眠っている彼を包むことか。--

 絵をことばで反芻する。詩人ならば、絵をことばで描写する(再現する)だが、画家ならば「反芻する」になる。眼と手が自然に動く。画家は仕事が進まず疲れているので、眠っている少年を「走り疲れて」と反芻してしまう。絵なのだから、少年が走ってきたかどうかなどわからないのに、「疲れて」意識が「走り」をひっぱりだす。
 「疲れて」ということばの一方に「天上的な真昼」ということばがある。「包む」ということばがある。画家は「天上」のひかりに「包まれて」、この少年のように眠ることを夢の中で反芻する。想像するのではなく、それはあくまでも反芻である。

 池澤は、こんなことを書いている。

オスカー・ワイルドの「官能によって魂をいやし、魂によって官能をいやす」という有名な表現をカヴァフィスは知っていただろうか。

 私は、「画家は絵(色と形)によって官能を癒し、詩人は詩(ことばと音)によって官能を癒す」と思う。
 画家が絵について語るという詩を書くときも、カヴァフヘスは絵ではなく、ことばを書いている。ことばによって自分を癒している。あるいは欲望している。欲望することだけが官能を癒すと知っている。





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白鳥信也「東名運河」、小川三郎「波紋」

2019-02-08 20:02:37 | 詩(雑誌・同人誌)
 白鳥信也「東名運河」の書き出し。

水路はなめらかで静まっている
ここで
酷薄ななめらかさで静まっている
と書けば
私がここで過ごした時間と意識が
水に投影される

 「酷薄な」ということばが「時間と意識」ということになる。たしかに書けば、それは明確になる。しかし書かなくても、「時間と意識」は投影される。「静まっている」のなかに、すでに「時間と意識」は動いている。
 詩人は、書くか書かないかの間で揺れる。
 どこまで書くか。書いた「時間と意識」をさらに事象に変化させ、そこからもう一度「時間と意識」を書き、重ねていく。
 そうすれば時里二郎の文体が動き出すかもしれない。メタ言語をさらにメタ言語化する。メタ言語を増殖させ、自律運動にまで高める。このとき論理的であることを忘れなければ。
 このメタ言語化の過程で、ことばを「脱臼」させれば江代充になる。(貞久秀紀、かもしれない。)
 こういう世界はおもしろい。だから、いまは、こういう書き方が「主流」だ。

 一方、その逆もおもしろい。
 意識を投影しない。投影した意識を剥がしていく。「もの」をものとして存在させる。
 小川三郎の「波紋」に、そういうことばの運動を感じる。

池に浮かんだ蓮の下を
鯉がくぐって
夜が明けるのを待っている。

時間はゆっくり
朝の方へと
動いている。

私はできれば灰になりたい。

夜が薄まりはじめると
花は徐々に色をふるわせ
ゆらゆらとする。

朝だ、と
つぶやく声が聞こえる。

鯉は深く息を吸って
夜闇と一緒に消えていく。

 「吸って」「消えていく」。ほかのことばにも「時間と意識」は動いているが、このことばのなかで「肉体」そのものが動くからなまなましい。小川は鯉を見ているのか、鯉になってしまったのか。
 書くことは自分ではなくなることだから、鯉になったのだ。




*

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嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
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あかむらさき
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七月堂
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池澤夏樹のカヴァフィス(51)

2019-02-08 09:38:40 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
51 朝の海

 一連目で「朝の海」を「雄大に美しく輝きわたっている」と描写したあとの二連目。

ここで立停ろう、眼に映るのは真の自然であって、
(立停った一瞬には本当にそうだった)
常にわたしが見ている幻影、記憶の中にいつもある
悦楽の偶像ではないのだと思ってみよう。

 「立停ろう」と「立停った」の対比、あるいは呼応というのだろうか、これがおもしろい。同じ音が繰り返される。
 この「立停ろう」は一連目の書き出しにも書かれている。つまり二連目は、いまはやりのことばで言えばメタ風景である。
 ことばがことばについて言及するとき、どうしてもずれが生まれる。「立停まろう」「立停ろう」「立停った」と動くとき、そこには「時差」も入ってくる。そこが、とても刺戟的だ。
 その「ずれ」は「現実」と「記憶」の差異のようにも思える。
 一連目には書かれていないのだが、二連目最終行の「悦楽の偶像」を手がかりにすれば、その海には誰かが歩いていた(あるいは泳いでいた)かもしれない。その肉体(裸)はやはり「美しく輝きわたっている」だろう。あるいは、そういう肉体を見た記憶が、一瞬、蘇ってきたということかもしれない。
 そのために立ち停まった。
 あれは「真の自然だった」と思い返すのだ。海、空、陸を従える「自然」の核心だったと思い返しているのかもしれない。

 池澤の註釈。

 珍しくカヴァフヘスが自然を扱っていると思うと、それが第二聯で見事にひっくりかえされる。彼はいかに美しい自然をも一瞬しか見得ない官能の幻視者である。


















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池澤夏樹のカヴァフィス(50)

2019-02-07 09:41:22 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
50 一夜

その部屋はいかがわしい料理店の上に
隠れていて、貧しく、俗っぽく、
窓からはうすぎたない細い
路地が見える。下の方から
のぼってくるのは労働者たちが
トランプの勝負に熱中する声。

 二連で構成されているのだが、私は、この前半がとても好きだ。特に、後半。「下の方から/のぼってくるのは労働者たちが/トランプの勝負に熱中する声。」がカヴァフィスらしいと思う。
 耳の詩人。
 単に声を聞いているのではない。「下の方から」聞こえてくるのではなく、「のぼってくる」。その「動き」を聞いている。この「動き」のために、恋人の姿も見えてくる。
 その日、カヴァフィスと同じ部屋にいたのは、そうした労働者のひとり。彼と一緒にカヴァフィスは二階へのぼった。恋人はカヴァフィスと快楽をともにしながら、こころは下のトランプ勝負に引き返していたかもしれない。かるいはカヴァフィスは一緒に来なかった別の男の声を探していたかもしれない。
 つまりその瞬間も、カヴァフィスは裏切られていた。そして裏切っていた。
 「一夜」は「ある一夜」というより、「一夜かぎり」の「一夜」だろう。
 そういうことも感じさせる。

 池澤の註釈。

 昼間灌漑局で働いた詩人は夜毎かかる「いかがわしい」料理店の類へ足を運んだらしい。/その一夜の具体的な記憶がずっとあとになって詩人を襲う。細部が保存されているだけにこの記憶はこころを動かす。


粗末な安物の寝台の上に
わたしの愛の肉体、わたしの快楽と
陶酔の薔薇色の唇があった--
その陶酔の薔薇色は歳月を隔てて、
家で一人これを書いている今も!
わたしをまた酔わせる。

 「陶酔の薔薇色」の繰り返し。抽象が「音楽」になって肉体に入り込んでくる。












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齋藤健一「自身」「物事」、夏目美知子「ぎゅっとでなく、ふわっと」

2019-02-06 20:49:01 | 詩(雑誌・同人誌)
齋藤健一「自身」「物事」、夏目美知子「ぎゅっとでなく、ふわっと」(「乾河」84、2019年02月01日発行)

 齋藤健一の詩は、短い。「自身」は五行だ。そして、「意味」ではなく、ただ「存在」だけがほうりだされている。

こうやって午後が来た。忘れるときのつめたい牛乳瓶。
それだから言葉にしたくないのだ。蜜柑のひとつひとつ。
温めるひかりだ。退屈とは違う茶色。腐蝕した扉。錫の
におい。水に沁むように陽はかたむく。立ったまま咳き
込んでいる。

 存在だけがほうりだされている--と書いたが。
 たとえば「忘れるときのつめたい牛乳瓶。」はほんとうに「存在」なのか。「忘れるときの」ということばが「つめたい」と結びつき、「意味」をつくろうとする。その「意味」はもちろん齋藤の意味ではなく、私がかってに誤読する意味である。
 誤読の瞬間、私は齋藤に近づいているか、それとも拒絶されることがここから始まるのか。緊張感がある。この瞬間が好きだ。
 「それだから言葉にしたくないのだ。」は「意味」をもっている。だが、その意味すらも、齋藤のことばの動きの中では「存在」だ。「したくない」という拒絶が屹立している。その感じが、「存在」そのものを感じさせる。「意味」を拒んでいる。このときの「意味」とは「情」のことである。つまり、ここには「非情」がある。
 そのため非常に清潔に感じる。
 漢詩を読んでいるような気持ちになる。

 「物事」は四行の詩だ。

塩からい海水。濡れた皮膚があらわれる。浪のうちに動
揺は離れる。鳥のはばたきがのぼる。緑に染まる石と両
手と爪。それでも私を背負っている。そして半身が沈む。
直上を廻る日輪。映じる旗。くっきりとした三角形。

 「塩からい海水。」は「意味」が強すぎる。塩辛くない海水などない。しかし、この「意味の強さ」が次の「濡れた皮膚があらわれる。」を引き立てる。「濡れた皮膚があらわれる。」にも「意味」があるはずだが、「塩からい海水。」が奪ってしまう。その結果、「濡れた皮膚があらわれる。」は事件になる。「存在」が動いている。動くことで「存在」になっている。これが「動揺」を呼び込み、それを「離れる」という動詞が突き放す。一直線の動きではない。ぶつかり合い、拡散する。短いことばなのに、広い世界を感じるのはそのためだ。



 夏目美知子「ぎゅっとでなく、ふわっと」は散文風の部分と行替えの部分がある。散文風のことばの方が私は好きだ。

朝、新聞を取る時に見た黒い毛虫が、夕刊を取る時にも同
じ場所にいたので、やっと私は、毛虫が死んでいることに
気づく。むくむくして艶があって、毛虫は、ただ動かない
でいるだけにしか見えなかった。そのまま何日も、生きて
いるかのように死んでいて、ある日、突然、消えた。

 「ある日、突然」がいい。夏目は「消えた」と書くが、「消えたことに気づいた」である。死んでいるのに「気づく」ように、「消えた」ことにも気づく。
 気づいた瞬間、夏目は「存在」になる。書かれている「対象(毛虫)」が詩になるのではなく、夏目が詩になる。





*

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池澤夏樹のカヴァフィス(49)

2019-02-06 08:01:27 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
49 彼は誓う

彼はいつも誓う よりよき暮らしを送ると。
しかし夜がやってきて 忠告をささやき
妥協をちらつかせ 約束をほのめかすと、
夜がやってきて 懇願しまた慫慂し
肉体の力をもって迫ると、彼は負け
運命的な快楽へと戻ってゆく。

 私はカヴァフィスの、こうした短い詩が好きだ。
 短いけれど、そのなかに「夜がやってきて」が二回繰り返されている。この音楽が、「快楽」そのもの。最終行の「快楽へと戻ってゆく」を、そのまま暗示している。というより、先取りして言ってしまっている。繰り返すしか、ほかに方法はないのだ。

 この詩の主人公は「彼」になっているが、カヴァフィス自身だろう。自分のことを「彼」ということばで、「客観的」に繰り返す。「客観的」が繰り返され「事実」になる。そして、その事実というのは……、私のことばで言いなおせば「主観的事実」。主観の声、欲望の声だ。
 客観と主観が交錯する。
 たぶん、詩とは、そういう錯乱の瞬間に生まれる。

 「48 カフェの入口にて」と同じように、この詩でもことばは「抽象的」だ。ことばのなかで詩人はさまよう。

 池澤は、「運命的な」ということばに註釈をつけている。

 運命によってあらかじめ定められ、避けがたいということ。














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池澤夏樹のカヴァフィス(48)

2019-02-05 09:54:52 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
48 カフェの入口にて

あたりの人々の言葉に耳をとめて、
わたしはカフェの入口に目をむけた。
そして見た、エロスがその技のかぎりを
尽して作ったような美しい姿態を--

 このあと「美しい姿態」の描写がつづく。描写の特徴を池澤は、こう説明している。

人物を直接に形容する言葉はない。修飾はすべてその部分にむけられ、そのため形容詞にも性の区別のあるギリシャ語で書かれてなおかつ、この美しい人物は男とも女とも限定されない。

 私はそのことよりも、「美しい姿態」にもかかわらず、そのことばが「視覚的」ではないことがおもしろいと感じる。書き出しの「言葉に耳をとめて」がそのままカヴァフィスの詩の特徴だ。耳で聴く美しさだ。目をむけても、目で見ているのではなく、「ことば」で聞いている。「声」で確かめている。ことばの動きを追っている。ことばの動きが詩だ。

四肢は均整も見事に形造られ、
彫像を思わせ丈高く、
顔は情感豊かに作りなされ、
しかも神の指はその額と、眼と、唇に、
ある想いを残していた。

 「均整」「見事」「情感豊か」。これはことば(抽象)であって、具体ではない。「彫像」が視覚を刺戟する比喩かもしれないが、どんな彫像かは具体的にはわからない。ことば(声)は与えるが、視覚は与えない。あくまでも「音楽」なのだ。
 最後の二行は「指」によって、「触覚」を刺戟する。
 「美しさ」は、カヴァフィスにとって「耳」で聞いて、「指」で触れて確かめるものだ。
 「聴覚」と「触覚」は不思議だ。
 耳は全方向に開かれていて、どの方向の音も聞き取る。眼には死角があるが、聴覚には死角はない。そして耳と「音」は距離的に離れている。眼は対象と接触してしまうと見えないのに、耳は対象と接触しても聞こえる。聴くために耳をくっつけることもある。
 一方、指(触覚)はかならず対象に触れる。離れたまま指で感じることはできない。





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安藤元雄『安藤元雄詩集集成』(2)

2019-02-04 09:44:43 | 詩集
 安藤元雄『秋の鎮魂』(1957年)からもう一篇。「血の日没」。ここにも海が出てくる。

僕らのためらいの上を過ぎて
鳥たちは海へ奔った
防風林よりも背の高い海へ

死んだ瞳孔を見開いたまま 鳥たちは
めぐるのだ
大きな肉体の内壁のように閉ざされた
触れることのできない空の奥の
古くから刻まれた一つの名前
の周囲を狂おしく

 これは前半の二連。そして二連目の方が「現代詩」っぽい。言い換えると「意味」を求めてことばが自律運動をしている。「意味」はもちろん書かれた瞬間には存在していない。存在していないから、それを探すというより、生み出そうとしている。
 「見開いた」と「閉ざされた」の対比。「空の奥」という空間と、「古くから」という「時間の奥」(このことばは書かれていない、私が勝手に読み替えたもの、誤読したもの)の対比。その「間」を鳥は飛ぶ、つまり「渡る」のだが、実際に書かれることばは「周囲」と「めぐる」である。
 ここには一種の、「まだ見えない」ものが書かれているのだが。
 私はこの部分よりも、一連目の

防風林よりも背の高い海

 ということばが好きだ。「へ」がついているのだが、私は「へ」ではなく、まず「防風林よりも背の高い」という海の描写に引きつけられる。
 実際には海の高さは「0メートル」であり、どんなに低い防風林よりも低い。防風林の方が背が高い。けれども、遠くから海を見るとき、防風林よりも高い位置に水平線が見える。そういう「位置」がある。海に近づくに従って水平線は下がってくる。防風林より背が低くなり(防風林の間から海が見え)、波打ち際に立てば海に人間よりも背が低くなる。
 この「防風林よりも背の高い海」は「僕ら」と海との距離を表している。遠いところにある。けれども、それは「見える」。
 だからこそ「へ」ということばが動く。
 「ここ」ではなく、「遠いところ」、「遠い」けれど「見える」何か。
 「海」ではなく「何か」と書いてしまうのは、見ているのは「海」というよりも「距離」を超えてゆく力だからだ。
 「海へ奔った」のは「鳥たち」ではなく「僕(ら)」の視力、想像力だ。
 一連目の「具象」から二連目の「抽象」への飛躍が、一連目にきちんと書かれている。一連目で整えられた運動が、必然として二連目以降のことばを誘い出している。いや、生み出している。

 「意味」は、三、四連目に書かれているのかもしれない。
 その「意味」を私のことばで語り直すのではなく、この一連目から二連目への飛翔に私の肉体をまかせてみる。ああ、ここに書いてある防風林と海を見たことがあるなあ、安藤がそういう風景を見ながら「鳥」になったように、あのとき私も瞬間的に鳥になっていたのかもしれない、と錯覚する(誤読する)。



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池澤夏樹のカヴァフィス(47)

2019-02-04 09:43:33 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
47 テオドトス

おまえの喜びと勝利は長く続くものではなく、
自分が人に秀でているという思いは--何が秀でている?--消滅しよう、
アレクサンドリアで、テオドトスが
血まみれの盆に載せた
ポンペイウスの生首をもたらすその時に。

 引用部分は詩の中程なのだが、ことばのリズムが「論理的」すぎる感じがする。
 「自分が人に秀でている」を「何が秀でている?」と反論(?)したあと、「消滅しよう」と否定する。この否定は、しかもそのあとに「倒置法」のように条件が説明される。そのため、「血まみれの盆に載せた/ポンペイウスの生首」さえも、劇的な感じがしない。「説明」を聞いている感じになる。あるいは「註釈」を読んでいる感じといえばいいのだろうか。

 池澤は、

 この詩におけるカエサルへの呼びかけの手法は25「三月十五日」の場合とまったく同じ。(略)最も強力な対抗者であったポンペイウスの悲惨な最後がカエサルに対する一つの警告であったとカヴァフィスは見ているのか。

 と書いている。
 「歴史」とその「意味」はいつもあとでつくられる。でも、それだけなら、やはりそれも「説明」で終わってしまう。
 「警告」を引き継ぐのではなく、「事件」を反芻するというだけでいいのではないか、と思う。
 「意味」の方が伝わりやすいが、「意味」ならば詩にする必要はない。

おのが人生にあまり自信をもつな。
節制と秩序をこころがけて地面を踏んで歩めば
そのような恐しくも劇的なことは起こらぬ、と思うな。

 「節制と秩序をこころがけて地面を踏んで歩めば」は、ギリシャ的慣用句かもしれない。そこにカヴァフィスのことばのおもしろい部分がある。「ほら、言ったじゃないか」という声が聞こえる。しかし、その直後の「そのような」が「論理的」過ぎる。「恐しく」と「劇的」のことばの積み重ね(追い打ち)のリズムにはあわない。
 現場を目撃しているという感じがしない。 





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安藤元雄『安藤元雄詩集集成』

2019-02-03 11:32:17 | 詩集
安藤元雄『安藤元雄詩集集成』(水声社、2019年01月25日発行)

 安藤元雄『安藤元雄詩集集成』は読み始めたばかりなのだが、『秋の鎮魂』(1957年)「初秋」について書きたくなった。書いてしまわないと、先に進めない。

 草に埋もれた爪先上がりの道が、その白壁に尽きている。
 もしも空の美しい日、ひび割れた漆喰に影を落して佇むなら、お
まえはどうしても気づかずにはいないだろう、午後の日ざしがあら
ゆるものを睡らすとき、その壁からかすかに磯波の音がとどろき、
海鳥の声が落ち、遠く潮が風のように匂うのを--

 いぶかしげに見まわすおまえの目に、しかしむろん海もその波も
映りはしないだろう。ここは落葉松の林にかこまれた山あいのひっ
そりした村はずれ、おまえの吸う空気にも樹の肌の匂いがするばか
りで、鳥たちの啼声もとだえがちのようだ。だが、そこには少しか
しいでその廃屋の白壁がある……
 ああ、おまえは信じるだろうか、この壁に遥かに海が秘められて
いるということを。

 私は海から離れた山の中で育った。子供の頃は虚弱体質で、泳ぐことは禁じられていた。海は知ってはいるが、遠いあこがれだった。
 山の中の集落なので、どの家も貧しい。白壁というのは、めったにない。白壁を見ると、その白壁の向こう側に「異界」がある、と感じる。私が思い出すのは白壁の「蔵」。だから、よけいに、その奥には「宝物」がある、そこは「異界」だという感じがする。
 私は、「海」を感じなかったが、安藤のことばを読むと、ああ、海だったのかもしれないと思い出すのだ。
 その白壁の蔵の横には小さな池があった。その池に、ある日、その家の幼い子供が落ちて死んだ。そんなことも思い出した。
 あこがれと、近づいてはいけない禁忌のようなものが、ある。

 安藤の詩では、白壁の蔵ではなく、「廃屋の白壁」。
 でも、この「廃屋の白壁」はほんとうにあったのだろうか。
 詩には、「もしも空の美しい日、ひび割れた漆喰に影を落して佇むなら」とある。この「もしも」が、私の「誤読(幻想)」を刺戟する。
 廃屋の壁に自分の影を落として佇む。その壁が「もしも白壁だったなら」。そう想像している「少年」を思う。そこには、何することがなくて、納屋の板壁に自分の影が映るのを見て、「もしもこの納屋が白壁の蔵だったなら」と思った私の少年時代がいるのかもしれない。「もしもこの納屋が白壁の蔵だったなら、私は違う世界へ行くことができる」と思っていたかもしれない。その違った世界は「海」だったかもしれない。禁じられた、遠い海。海鳥が鳴いている。波の音が聞こえる。潮の匂いもする。
 安藤の詩が「もしも」ということばを持たずに「空の美しい日、ひび割れた漆喰に影を落して佇むんだとき、私は気づいた」とはじまり、「壁から磯波の音がとどろき、海鳥の声が落ち、潮が匂った」ということばで文章が完結するなら、私は、そんなことを想像しなかっただろう。
 現実が夢(あこがれ)を運んでくるのではなく、空想(想像力)が現実を変えてしまうということが、ここでは起きているのではないか。こういうことは、少年時代には多くの人が体験することだと思うが。
 それを証明するというと強引になりすぎるだろうが、この詩の主人公が「おまえ」と呼ばれているのも、とてもなつかしいものを感じさせる。「少年」時代を思い出させる。
 「私(ぼく)」なのに、それを「おまえ」と呼んで、空想の中で動かしている。
 これは空想を語るための空想なのだ。
 「午後の日ざしがあらゆるものを睡らすとき」というのも、私の現実としては、昼前の農作業でつかれた父や母が昼飯のあと昼寝をしている。自分だけが眠らずに起きている。ぼんやりと幻想を見ている、幻想を動かしている、という感じだ。
 「落葉松の林にかこまれた山あいのひっそりした村はずれ」、つまり海から遠いからこそ、海が語られる。

 行ってごらん、足音をしのばせて。
 --藻の香り漂う浜の風が、季節を過ぎたおまえの夏帽子のリ
ボンを、ふとそよがせるかも知れないのだから。

 現実から出発してことばを動かすのではなく、ことばを動かして現実をととのえていく、夢想の動きを美しくする。
 詩人は現実よりも先に、ことばにつかまえられてしまう人間のことかもしれない。ことばを解放するというよりも、ことばによって自分をととのえていくという安藤の詩のスタイルの原点がこの詩にあると感じた。



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