詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

白鳥信也「東名運河」、小川三郎「波紋」

2019-02-08 20:02:37 | 詩(雑誌・同人誌)
 白鳥信也「東名運河」の書き出し。

水路はなめらかで静まっている
ここで
酷薄ななめらかさで静まっている
と書けば
私がここで過ごした時間と意識が
水に投影される

 「酷薄な」ということばが「時間と意識」ということになる。たしかに書けば、それは明確になる。しかし書かなくても、「時間と意識」は投影される。「静まっている」のなかに、すでに「時間と意識」は動いている。
 詩人は、書くか書かないかの間で揺れる。
 どこまで書くか。書いた「時間と意識」をさらに事象に変化させ、そこからもう一度「時間と意識」を書き、重ねていく。
 そうすれば時里二郎の文体が動き出すかもしれない。メタ言語をさらにメタ言語化する。メタ言語を増殖させ、自律運動にまで高める。このとき論理的であることを忘れなければ。
 このメタ言語化の過程で、ことばを「脱臼」させれば江代充になる。(貞久秀紀、かもしれない。)
 こういう世界はおもしろい。だから、いまは、こういう書き方が「主流」だ。

 一方、その逆もおもしろい。
 意識を投影しない。投影した意識を剥がしていく。「もの」をものとして存在させる。
 小川三郎の「波紋」に、そういうことばの運動を感じる。

池に浮かんだ蓮の下を
鯉がくぐって
夜が明けるのを待っている。

時間はゆっくり
朝の方へと
動いている。

私はできれば灰になりたい。

夜が薄まりはじめると
花は徐々に色をふるわせ
ゆらゆらとする。

朝だ、と
つぶやく声が聞こえる。

鯉は深く息を吸って
夜闇と一緒に消えていく。

 「吸って」「消えていく」。ほかのことばにも「時間と意識」は動いているが、このことばのなかで「肉体」そのものが動くからなまなましい。小川は鯉を見ているのか、鯉になってしまったのか。
 書くことは自分ではなくなることだから、鯉になったのだ。




*

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池澤夏樹のカヴァフィス(51)

2019-02-08 09:38:40 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
51 朝の海

 一連目で「朝の海」を「雄大に美しく輝きわたっている」と描写したあとの二連目。

ここで立停ろう、眼に映るのは真の自然であって、
(立停った一瞬には本当にそうだった)
常にわたしが見ている幻影、記憶の中にいつもある
悦楽の偶像ではないのだと思ってみよう。

 「立停ろう」と「立停った」の対比、あるいは呼応というのだろうか、これがおもしろい。同じ音が繰り返される。
 この「立停ろう」は一連目の書き出しにも書かれている。つまり二連目は、いまはやりのことばで言えばメタ風景である。
 ことばがことばについて言及するとき、どうしてもずれが生まれる。「立停まろう」「立停ろう」「立停った」と動くとき、そこには「時差」も入ってくる。そこが、とても刺戟的だ。
 その「ずれ」は「現実」と「記憶」の差異のようにも思える。
 一連目には書かれていないのだが、二連目最終行の「悦楽の偶像」を手がかりにすれば、その海には誰かが歩いていた(あるいは泳いでいた)かもしれない。その肉体(裸)はやはり「美しく輝きわたっている」だろう。あるいは、そういう肉体を見た記憶が、一瞬、蘇ってきたということかもしれない。
 そのために立ち停まった。
 あれは「真の自然だった」と思い返すのだ。海、空、陸を従える「自然」の核心だったと思い返しているのかもしれない。

 池澤の註釈。

 珍しくカヴァフヘスが自然を扱っていると思うと、それが第二聯で見事にひっくりかえされる。彼はいかに美しい自然をも一瞬しか見得ない官能の幻視者である。


















カヴァフィス全詩
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