詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

野沢啓「発熱装置(3)」

2019-02-01 10:18:35 | 詩(雑誌・同人誌)
野沢啓「発熱装置(3)」(「走都」第二次3、2019年01月01日発行)

 野沢啓「発熱装置(3)」はいくつかの断章で構成されている。(と、私は思ったが、つながっているのかもしれない。)そのなかに、ヒュームの文章を引いたあと、感想を書いたことばがある。

そこまで言いますか
ほんとうはそんなこと思ってないでしょう

 この二行から、思うことがある。
 書く、というのは、どういうことなのか。

 他の人はどんなふうにしてことばを書き始めるのかしらないが、私はいつも結論を考えずに書き始める。きょうも、あ、ここから何かを書いてみたいなあ、と思って書き始めているだけだ。
 書きながら考える、というとカッコイイが。
 書き始めないと、ことばが動かない。そして、そのことばはどこへゆくかわからない。どこまで動くかなあ。見当がつかない。
 で。
 私が、この行に引かれたのは「ほんとうはそんなこと思ってないでしょう」に「同感」したからだ。ただし私の言う「同感」は、私の「誤読」かもしれない。野沢のことばに「同感」したのか、野沢の書いているヒュームに「同感」したのか、わからない。
 私は書けるだけ書いて、そこでことばをやめる。そのとき(あるいは、その直前)、あ、きょうはなかなかいいことばが出てきたな(結論っぽいな)と思うことがある。そして、それはいつも、「そんなことまで思っていない」ことなのだ。言い換えると、その「なかなかいいことば(結論)」は、私が考えたものではない。ことばが勝手につかまえてきたものだ。
 だから、私は、そういうときは、急いで終わりにする。
 このまま書くと、とんでもないことになるぞ。うさんくさいぞ。
 そして、次は、なんとかいま書いたこととは違うことを書かないと、と思う。

 そんなようなことを、野沢は、こういう具合に展開している。

そこまで言いますか
ほんとうはそんなこと思ってないでしょう
そう言ってみただけで
偏屈なおやじだ
でもそこがいいんだな
ひとをあざむくには
まず自分からだ
そこまでいくからひともいい気になる
一杯食わされる
なかなかできることじゃない
ことばはいのち
深く考えなければ
翔ぶことはできない
ときには嘘でもいい
嘘から出たまこと
そうして思考の糸は伸びる
どこにたどりつくのでもない
からみついたところが次のバネになる
気が向いたところで着地するだけだ
意味はあとからついてくる
かもね

 「そんなようなことを、野沢は、こういう具合に展開している。」と引用に先立って、私は書いた。だから、私の文章を読んだ人は、私の思ったことを野沢が書いているように誤解するかもしれないが、これは、逆。
 私はすでに野沢の詩を、先の二行だけではなく最後まで読んでおり、その記憶と交渉しながら、私が感想を書いた、というのが時系列的には正しい。
 でも、時系列なんて、関係ないな、と私は考えている。
 野沢のヒュームに対する批評も、時系列的にはヒュームがことばを書き、それを野沢が読んで、批評した。でも、野沢がいろいろ考えていることがあって、考えている途中でヒュームを読んだら、それに誘われるようにことばが動いたということもある。ヒュームは野沢のことばを定着させる効果があった。もし野沢が先にいろいろ考えていなかったら、こんな形の詩にはならなかったかもしれない。
 ことばと出会って、ことばがあふれてきて、形になってしまう。そういう運動があるだけなのだと思う。こういう出会いの「時系列」というのは、私の感じでは、出会った人がたまたま「年上」だった、ということくらいの意味しか持たない。その人がずーっと昔から考えてきたことであっても、それは私には関係がない。私の中に、そういうことばが、ことばにならずに生きていて、それがたまたまその人にであって動き始めたということだと思う。そして、大事なのは、これから先もことばが動き続けるかどうかであって、「年上」の人が有名なヒュームかどうか、そういうことは、とはでもいいなあ、と思う。
 大事なのは「思考の糸は伸びる」ということ。私のことばで言いなおせば(誤読を重ねれば)、「ことばが動き続ける」こと。たどりつこうが、絡みつこうが、同じこと。ことばは、ある瞬間、動けなくなる。
 で。
 野沢は「意味はあとからついてくる/かもね」と書いているが、私の認識では、「意味はあとからいくらでも捏造できる」。「意味」なんて、すべて自分の都合に合わせた「捏造」にすぎない。あとからしか作れないものなのだ。
 と、付け加えておく。





*

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池澤夏樹のカヴァフィス(44)

2019-02-01 09:11:52 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
44 シャンデリア

 緑の壁に囲まれた部屋。そのなかに輝くシャンデリア。でも、これはシャンデリアの描写だろうか。

その炎の一つ一つの中で官能の熱病が、
淫蕩な欲望が、燃えている。

シャンデリアの強い光によって
明るく照らされた小さな部屋の中から
通常の光は外へ漏れない。
快楽の熱は、臆病な
肉体のために作られてはいない。

 私は「シャンデリア」をカヴァフィスが恋した男の「比喩」と読む。
 部屋の中には男がいる。官能の熱病で、肉体は発光している。美しさにカヴァフィスは動けないでいる。
 二連目の「シャンデリアの強い光によって/明るく照らされた小さな部屋の中から/通常の光は外へ漏れない。」は日本語の文法としておかしな感じがする。シャンデリアの光が強いなら、その光は外に漏れるかもしれない。その強い光は漏れるが、「通常の光(凡庸な光)」は漏れない。つまり、「強い光」のなかに吸収されていて(一つになっていて)、識別できないということだろうか。
 論理的ではない、というべきなのか、論理的すぎる(理屈になりすぎる)というべきなのか。
 部屋を「肉体」、シャンデリアを「欲望」と読み替えてみようか。
 肉体を突き破ってあふれてくるもの(漏れてくるもの)は、快楽を知っている強い欲望の熱(光)である。熱は(病気の熱は)、肉体をむしばむ、傷つけるが、この欲望の熱は肉体を輝かせる。快楽の熱は肉体を強靱にする。
 その肉体にカヴァフィスは圧倒されている、ということか。
 しかし、同時に、その強靱な光を見る視力をカヴァフィスは持っている、と自慢しているのかもしれない。

 池澤は最後の二行について、こう書いている。

詩人は官能の面で自分が一般の人々と違うこと、快楽の戦士たち(41「わたしは行った」)の一人であることをかく表明する。






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