詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

池澤夏樹のカヴァフィス(52)

2019-02-09 08:47:24 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
52 描かれたもの

わたしは自分の仕事を愛しており、おろそかにはしない。
しかし今日、創作は遅々としか進まなかった。

 ここで書かれている「仕事」とは何だろうか。あとに出でくる「ものを語るよりはむしろ見ることをわたしは欲した。」から考えるなら、「ものを語る」ことが仕事、カヴァフィスの詩人としての仕事を指しているように感じられるが。
 私はあえて「誤読」する。「わたし」は画家だと。誰かの描いた作品を見ている。

この絵の中にわたしは今見る、
泉のそばに美しい一人の少年が
走り疲れてか、横になっているさまを。
なんと美しい子供、なんと天上的な真昼が
眠っている彼を包むことか。--

 絵をことばで反芻する。詩人ならば、絵をことばで描写する(再現する)だが、画家ならば「反芻する」になる。眼と手が自然に動く。画家は仕事が進まず疲れているので、眠っている少年を「走り疲れて」と反芻してしまう。絵なのだから、少年が走ってきたかどうかなどわからないのに、「疲れて」意識が「走り」をひっぱりだす。
 「疲れて」ということばの一方に「天上的な真昼」ということばがある。「包む」ということばがある。画家は「天上」のひかりに「包まれて」、この少年のように眠ることを夢の中で反芻する。想像するのではなく、それはあくまでも反芻である。

 池澤は、こんなことを書いている。

オスカー・ワイルドの「官能によって魂をいやし、魂によって官能をいやす」という有名な表現をカヴァフィスは知っていただろうか。

 私は、「画家は絵(色と形)によって官能を癒し、詩人は詩(ことばと音)によって官能を癒す」と思う。
 画家が絵について語るという詩を書くときも、カヴァフヘスは絵ではなく、ことばを書いている。ことばによって自分を癒している。あるいは欲望している。欲望することだけが官能を癒すと知っている。





カヴァフィス全詩
クリエーター情報なし
書肆山田


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