マイク・ミルズ監督「カモンカモン」(★★★★)(2022年05月01日、中州大洋、スクリーン4)
監督 マイク・ミルズ 出演 ホアキン・フェニックス、ウッディ・ノーマン
「ジョーカー」でアカデミー主演男優賞をとったホアキン・フェニックスが、わがままな子役を相手にどういう演技をするか。それを期待して見に行ったのだが、おもわぬ収穫もあった。物語の舞台が次々にかわっていくのだが、モノクロの映像が、登場人物の表情に焦点を当てるので、見ていて意識が散らばらない。舞台(都市)の変化をきちんととらえながらも、それがうるさくない。都市の表情、その情報量が抑制され、人間の心理の変化が際立つ。画面の切り替えが多いし、「字幕情報」も多いのだが、モノクロの映像が、そのままストーリーの中心になる感じがする。モノクロ映画は、やっぱりすばらしい。
ホアキン・フェニックスは演技をしているというよりも、子役のウッディ・ノーマンにあわせて反応している感じ。自分で演技し、世界をつくっていくという感じではない。「ジョーカー」と正反対の演技をしている。しかも、それがこの映画にはぴったりなのだ。なんといっても、ストーリーは感情の起伏が激しい子ども(甥)にふりまわされるおとなという役所なのだ。しかも彼は単に子どもにふりまわされるだけではない。彼は自分なりの信念をもっていて、その信念ゆえに妹とも対立している。いわば「理想」をもった頑固者なのだが、それが子どもに揺さぶられて、かわっていく。
しかもね。ホアキン・フェニックスの映画の中での職業が、子どもをインタビューしてまわるラジオ局員というのも、とてもおもしろい。子どものことをある程度わかっているはずが、わかっているつもりだが、実際に子どもと暮らしてみると、知っている子どもとはぜんぜん違う子どもが大暴れする。どう対処していいかわからない。そういう、なんというか、大人の「自信」を打ち砕かれる過程を描いているのである。「自信」というのは、他者に対して、おうおうにして「殻」のような働きををしてしまう。それが破れたとき、彼自身も解放される。その、不思議な幸福感。
さらに、その変化の結果として、子どもとの信頼関係ができ、一線を越えるというと変だけれど、まるで「理想の父親」のようになってしまう。しかし、そこから「叔父」にもどらなければならない。そうしないと、ほんとうの父の方が不幸になってしまう。で、当然のことだけれど、そこから引き返す。その瞬間に広がる、彼の世界の幸福の多様さ。これが、とてもいい。
そこから耳を澄ませてみれば、それまでにインタビューしてきた子どもたちの「未来」に対する考えの、なんという美しさ。子どもがインタビューに答えたことばに変化があるわけではないが、子どもの声が「純粋」に響いてくる。ラストのクレジットで、その声がかなり長く紹介されるのだが、とてもいい。
それにしても、ホアキン・フェニックスの、自然な演技のすばらしさ。「クレイマー、クレイマー」のダスティン・ホフマンの演技よりも自然に感じられる。そして、この演技を自然なものにしているもうひとつの理由が別にある。「ジョーカー」では非常に痩せた肉体で、存在の異様性を前面に打ち出したホアキン・フェニックスだけれど、今回はシャツの上からも(背中からの映像だけでも)、でっぷりと太った「ふつうの中年男」になっている。このふつうの感じが、ほんとうに、とてもいい。ここに描かれているのは、どこにでもあり、またどこにもない幸福である。どこにもない幸福が、どこにでもある(どこででも実現できる)ように具体的に描かれている。その細部の美しさ、確かさ(存在感)がホアキン・フェニックスのだらしない(?)太った肉体にあると書くと、叱られるかな? ホアキン・フェニックスのファンからは。しかし、太っても、美形だね。