詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

石毛拓郎『ガリバーの牛に』(14)

2022-05-15 18:20:22 | 詩集

石毛拓郎『ガリバーの牛に』(14)(紫陽社、2022年06月01日発行)

 14篇目「母語について」。ここで言われる「母語」は生まれ育ったところで聞いたことば、ということ。「方言」のことである。

---おしまいな!

夕闇を 断ち切って
〈おしまいな!〉の声がする
仕事を手を とめて
声の主を 確かめる

---いつまで やっているんだあ!
   いい加減で やめなさい!

そういうことだと 祖母の背中で教わったのだ

 いいねえ、この「おしまいな!」。
 似たことばが私の田舎にもあったと思うが、忘れてしまった。「からだを壊したら、なんにもならんよ」くらいの意味だった。何をするにしても、そのことばがついてまわった。私は病弱だったから、田畑の仕事はほかの友人に比べると少なかったが、それは学校の宿題やなんかをしているときにもついてまわった。これは私にはなかなかおもしろいことに思えた。勉強しろ、と言われたことはない。もう、やめておけ、とは何度も言われた。それこそ繰り返し繰り返し、言われ続けた。私は医者に「朝6時に起きて、夜は9時には寝なさい」と言われ、それを就職するまでつづけた。寝る時間は、たいてい9時よりも早かった。それでも「もう、寝ろ」と言われた。ほんとうにからだが弱かったのである。貧乏だから、病気になられたら医者代がかかる。困るというのが親の本音だったのかもしれないが。
 でも、そのことばには「お」がついていなかった。石毛が育ったところでは「お」がついている。ていねいなのだ。相手に対する思いやりがある。それは、自分自身への、きょうはよくがんばった、という労りも含まれているのかもしれない。互いに、一生懸命にやった。だから、きょうはここまで、と互いに納得しあう、労りあうための「おしまいな!」。これは、悪く言えば(?)、「私はもう疲れた。おしまいにするよ。おまえも、さっさとおしまいにしてもらわないと、私は困るよ」くらいのニュアンスが含まれていると思う。
 言い直すと、ちょっと「ずるい」のだ。
 この「ずるさ」は小さいころは、わからない。疲れるといっても、ほんとうに疲れたことがないからだ。子どもの疲れは、30分眠ればとれてしまう。でも、親たちの肉体労働は、なかなか、そうはいかない。ときには「からだに鞭打ち」というようなこともあるだろう。だから、「おしまいにしなさい」は、「おしまいにしたい」でもあるのだ。微妙に、相互に、意識が動いている。誰のためでもない。きっと「みんな」のため。
 「ずるさ」の落ち着く先は、いがいと「健全」なのである。
 そういうことを、石毛は、違う「場面」で思い出している。「違う場面」と書いたが、それは明確には書かれていないので、私の「誤読」かもしれないが、こういうことである。

おれには いま
〈お終い〉にすることなどないのに
耳障りで 凡庸で 一様な悪態に酔っぱらった
未来への希望を 戦力でまかなうなんて
そのしとやかな獣の匂いすら
感じさせないで 酔わせる
案隠な協力要請を にくむ

 「未来への希望を 戦力でまかなうなんて」ということばから、私は、いま石毛が「肉体労働」の場ではなく、どこかの「会議」かなにかの場にいるのだと思う。そこで議論が白熱してくる。結論が出ないまま、もう「お終いにしろ」と誰かが言う。もう主張するな、と言う。そこにも「お」がついているが、この「お」は「おしまいな!」の「お」とは違うのだ。
 肉体労働の現場では、互いにいたわりあうことばだったのに、議論の場では違う。特に、そこに「戦力」が絡んでくる議題のときは、違う。とうてい「お終い」にはできない。だが「お終いにしろ」と誰かが言う。
 ああ、あのなつかしい「おしまいな!」はどこへ言ったのか。

案隠な協力要請を にくむ
どうして 晩方の労働停止の挨拶なのに
おしまいな! と
「御」を抱いた優しさなの?
どうして 挨拶のことばのことなのに
そんなに 哀しむのですか?
その たおやかなことばが 消えていく
戦時 飢えて 首をくくる寸前のときに
その〈おしまいな!〉の声に 助けられた
復員兵もいたというのに---。

 「たおやかなことばが 消えていく」は、先に引用した「未来への希望」
つかっていえば、「未来への希望が 消えていく、戦力に頼るという思想(考え方)によって」ということになる。「戦力による安全(未来の保障)」には「互いへの思いやり」を欠いている。ただ自分のことしか考えていない。自分の安全のために、他人を殺す。殺される前に、相手を殺す。そういうことからはじまる「終末」は「おしまいな!」からは、はるかに遠い世界である。

 母語とは何か。単に生まれ育ったところで聞き覚えたことばではないだろう。「ことば」ではなく、そこには人間関係があったのだ。人間関係が「ことばの肉体」となって動いているのだ。
 いま、人間関係を含んだ「ことばの肉体」というか、そういう「ことば」がどんどん減ってきている。ロシアがウクライナに侵攻して以来、その動きは恐ろしいくらい加速化している。
 きょう(2022年5月15日)私は読売新聞で社会部長・木下敦子の「作文」を読んで、そういうことを感じた。(ブログにも書いた。)「正義」を装って「正論」を書いているが、その「ことば」からは、日本人の(日本の)隣人である朝鮮半島や台湾(中国)への思いが完全に消し去られているし、いま日本で起きている「朝鮮学校」への差別の問題、外国人労働者、その子どもたちへの配慮もない。「母語」のことを書きながら、「ウクライナ人の母語」という世界で完結している。「日本人」がいないのである。木下敦子は「日本人」であるはずなのに。

 

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「ことば」の持つ意味(新聞の読み方)

2022-05-15 09:26:44 | 考える日記

 2022年05月15日の朝刊(西部版・14版)の「コラム面」の「広角多角」というコーナーで、社会部次長・木下敦子が、「「認知症」と「キーウ」呼び名を変えた意味」という作文を書いている。
 「認知症」は、それまでつかわれていた「痴呆」や「ぼけ」が侮蔑的であるという理由で「認知症」に改められた。そうした日本の現実を踏まえた上で、ウクライナ問題に関して「キエフ」が「キーフ」に改められたことに書いている。木下自身のことばではなく、在日ウクライナ人、ソフィア・カタオカ語らせている。彼女は、こう語っている。
↓↓↓↓
 今回の呼称変更は、私たちにとって非常に大きな、尊厳の問題につながります。
↑↑↑↑
 これは大事な問題である。「尊厳の問題」である。これを、木下は、こう言い直している。
↓↓↓↓
▽ウクライナには固有の歴史と文化があり、固有の言葉がある▽にもかかわらず、長年にわたり、ロシアによって言語を含めた『ロシア化』を強いられてきた▽ウクライナについてウクライナ語で証言することは、ウクライナという国を尊重し、その歴史や文化を応援する(=ロシアの深更を認めない)ことになる。
↑↑↑↑
 この木下の「自説」(とても正しい)を補強するために、木下はさらにソフィアのことばを引用する。
↓↓↓↓
もし日本で日本語が話せなくなったらどんな気持ちがするか、考えてほしい。言葉を奪われることは国を奪われること。
↑↑↑↑
 そして、論をこう展開する。
↓↓↓↓
ウクライナの人たちは武器を手に取って侵攻に立ち向かうだけでなく、言語でも戦っている。
↑↑↑↑
 とても「感動的」な作文である。
 だからこそ、問題がある。
 この「感動」を演出するために、木下は、ある事実、ある歴史を隠している。
 日本は、ロシアがやっているのと同じことをしてこなかったか。台湾や朝鮮半島で何をしてきたか。日本語を押しつけたことがなかったか。そのひとの固有の名前さえ否定し、日本人風の名前を強要しなかったか。
 このことを隠し、いまのロシアの政策が間違っているとだけ指摘するのは(さらに、そのために在日ウクライナ人の声だけを引用するのは)、どう考えてもおかしい。こういうことを「歴史修正主義」というのではないのか。この木下のような「隠れた歴史修正主義」は非常に危険である。語られていることだけを取り上げれば「論理」として完結し、その論理自体には矛盾がないからである。だから、深く考えないひとには、そのまま「間違いのない論理」として広がって行ってしまう。
 そして、この「ことば」の問題に関して言えば、たぶんプーチンは同じ論理で反論するだろう。実際、それに類似することを「侵攻」にあたって語っている。ウクライナ東部にはロシア語を話す市民がいる。彼らは人権的圧迫を受けている。ウクライナ人の一部がナチス的行動をしている。そういうことからロシア系の市民を守るために侵攻した。ナチス的行為をやめさせるためだ、と言っていたのではないか。
 このプーチンの主張がどれだけ正しいか、私は判断するだけの知識を持っていないが、「論理的」には木下やソフィアの言っていることと同じである。

 さらに、ここから「国家」における「言語の多様性」という問題を考えるとどうなるか。日本の政策を見つめなおすとどういうことが浮かび上がるか。
 きょう5月15日は「沖縄復帰50年」にあたる。「編集手帖(筆者不明)」はNHKの「ちむどんどん」を引き合いに出しながら、沖縄のことばについて触れている。その沖縄で、日本はどういうことをしてきたか。標準語(?)/共通語(?)の使用を強要するために、学校で「方言」を話したものに対して、首から札をかけさせるということをしたのではないか。沖縄では特にそういう政策が厳しく取られたのではないのか。そういう差別があったことを忘れてはならない。(現在の基地対策も、きっとこの差別の延長にある。)
 差別。
 アイヌ語については、どうなのか。日本政府は、その言語の存在を認めようとしたのか。さらにいえばアイヌ人の存在を認めようとしたのか。アイヌ人の文化と尊厳についてどれだけ配慮をしてきたか。アイヌ人を、日本に住んでいた人たちであると認めるようになり、保護対策を進めるようになったのは最近のことである。
 日本政府は、日本国外においても、日本国内においても、それぞれのひとがつかっている「ことば」に対して弾圧を加え、「日本語」を強制してきた。それなのに、そういうことがまるでなかったかのように、ロシアだけが(プーチンだけが)、ウクライナから「固有のことば」を奪っている、それは許せないという論を展開することは、あまりにも「恣意的」である。
 木下が、台湾や朝鮮半島でとってきた日本の政策について知らない、沖縄の人やアイヌ人について取ってきた政策について知らないために(たぶん、私などよりも随分若いはずである)そう書いたのなら、そう書いたことに対して、誰かが(編集局内の誰かが)、日本にはこういう問題が「歴史」としてあった、ということを知らせ、何らかの形で、そういうことを書き加えさせるべきだろう。
 さらに、過去の「歴史」だけではなく、いま日本で起きている問題からも同じことがいえる。日本には、正式な名称は私はよく知らないが朝鮮半島に出自の基盤を持つひとがいる。その人たちの「学校」もある。その「学校」に対して政府はどんな対策をとっているか。「祖国」について学ぶこと、その人たちの教育に口出しをしていないか。多くの学校が「教育無償化」の対象になっているのに、その対象から除外していないか。教育の自由を否定し、教育を受ける権利を侵害している。
 これが日本の現実なのだ。
 これは、もっと問題を広げることができる。いまはコロナ禍のために、外国人の入国が制限されているが、日本で働いている外国人は多くいる。そして、彼らには子どもがいる。その子どもの「言語教育/文化教育」はどうなっているか。彼らが自らの尊厳を守りながら共存できるように政策をとっているか。多くのひとの「文化」を剥奪し、「日本化」させようとはしていないか。

 きょうの木下の「作文」は、露骨に「アメリカの世界戦略応援」という形の論ではないだけに、逆に、非常に危険である。日本が過去に何をしてきたか、日本政府がいま日本でどういうことをしているか。問題が何もないかのような印象操作である。

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石毛拓郎『ガリバーの牛に』(13)

2022-05-14 09:25:50 | 詩集

石毛拓郎『ガリバーの牛に』(13)(紫陽社、2022年06月01日発行)

 13篇目「峠の墳墓にて」。国木田独歩が出てくる。あ、石毛は独歩を読んでいたのか。私は独歩をまともに読んだことはないが、透明なひとだと思う。硬質の透明さが、古さと、古いものだけが持つ確かさをもっている。それは石毛のことばを媒介にして、こんなふうに噴出してくる。

潮垂れるからだを もてあまし
武蔵野の山林を かけのぼる
雲山千里の 峠の墳墓に
感傷的な思いを ふき懸けると
みどりの隙間に 古里の海がせまる

 いま、こんな描写をする詩人はいないだろう。まるで時代小説の文体ではないか。と書いて思うのだが、石毛のことばの奥には、何か「通俗小説」と書いてしまうと語弊があるのだが、気取りきっていない文学との交流がある。そして、その水脈は「細々」というのではなく、妙に「太い」のである。ときどき太すぎて水脈と気づかないときがある。たとえば、ラプラタ川が川なのか海なのかわからないようなものだ、と、私はふとデタラメな比喩を書くのだが(ラプラタ川を見たこともないのに)、それは紛れもない「水脈」なのだ。石毛は、いつも、そういうものに触れている。それから離れることができない。そのために「時代に乗り遅れる」ということがあるかもしれないなあ。しかし「時代」というのはあてにならない、うさん臭いものである。そんなものに「乗る」必要もないだろうし、石毛は、むしろ時代に乗ることを拒んでいるかもしれない。そこに硬質の透明が輝いている。
 独歩は、時代に乗ることを拒んだというよりも、遅れて存在している時代に対して怒りをもっていたと思う。いままでなかった時代を見てしまったために孤立していたように思う。ある時代の作家の多くがそうであったように。
 もしそうだとすると、硬質な透明感(硬質ゆえに近づきがたく、敬遠されてしまいがちな透明感)が共通する石毛は、独歩と同じように時代に乗り遅れているのではなく、時代より先に進んでしまっているために、不特定多数の読者には届きにくい存在なのかもしれない。
 どこがいい、ということを「説明/解説(?)」するのはむずかしいのだが、山本育夫の詩がそうであったように(そうであるように)、ちょっと宣伝の仕方を変えれば大ヒットするのになあと思う。いま、山本育夫の詩集が人気でしょ? 40年ほど前は人気があって、一時期どこに行ったのかという状態だったけれど、いまは誰もが山本育夫と言っている。石毛も、そういう感じ。
 脱線したが。
 独歩を描写した次の連が、私は大好きだ。

風に吹かれて
若葉にくすぶる 峠の墳墓にたつと
そこに 民権運動が眠っている
独歩は 口を手で隠して
なにごとか
海外にむかって 叫んでいる

 「口を手で隠して」。何と、意味深長なことばか。つまり、「誤読」の可能性をたくさん含んだことばであることか。
 「口を手で隠す」のは何のためか。「叫ぶ」ということばと結びつけると、ここに書かれていることの複雑さが、それこそ「硬質な透明さ」で噴出してくる。ひとは叫ぶとき、おうおうにして口のまわりを両手でおおう。手をメガホンのようにしてつかう。山の上で「ヤッホー」と叫ぶとき、多くの人は、知らず知らずのうちに、そういう行動をする。それは決して「口を手で隠す」ということではない。「声」が散らばらないようにするためである。「声」を少しでも遠くへ届けたいからである。
 さて。
 どんなにがんばってみても、人間の「声」は「海外」にまでは届かない。しかし、なぜ、独歩は海に向かって、海を越えて「海外」に向かって叫んだのか。それは、彼の周囲にいるひとには聞かせたくなかったのだろう。聞かせても理解されないと判断したからなのだろう。いまはまだ周囲には理解されないと判断したからなのだろう。
 ほんとうは「周囲」にこそ、「日本」にこそ、その「声」をつたえたい。だが、それができない。むしろ、日本では「秘密」にしないといけない声かもしれない。
 あるいは、周囲には理解されないということを明らかにするために、石毛は「口を手で隠して」と書いたのかもしれない。そこには石毛の認識が色濃く反映されているのである。こういうことばの動きを批評という。海外で流行している「新しい思想」に乗っかりことばを動かすことだけが批評ではない。石毛のことばは、批評性が強いのである。真の批評が動いている。
 そして、このことは石毛の「ことばの運動」の「自己解説/自注」になるかもしれない。石毛も「口を手で隠して」、ことばを発している。比喩を通して、ある人物を通して(他者を利用することで、自分の口の動きを隠すことで)、「声」を遠くまでとどけようとしている。「海外」にむかって叫んでいるかどうか知らないが、大事なのは、どこに向かってというよりも「口を手で隠して」という肉体の運動なのだ。ことばと肉体の関係なのだ。屈折した批評がいつも動いている。
 詩の終わりがとても美しい。独歩は自分の「声」だけをつたえようとしたのではない。単なる「自己主張/わがまま」ではない。その「声」は太い太い「水脈」を引き継いでいる。そのことに石毛は共感しながら、最終連を書いている。このとき石毛は、やはり「ことばの肉体」を支える太い「水脈/者たち」を生きている。

山林をのぼり
峠を 越えた者たち
峠で 息絶えた者たち
峠の 変哲もない墳墓で
ひと口 喉を濡らしていたら
黒い外套の独歩が
匕首を抜いて 墳墓の塵をはらい
虚栄の自由を 切り裂き
駆け下りていった。

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石毛拓郎『ガリバーの牛に』(12)

2022-05-13 12:23:30 | 詩集

石毛拓郎『ガリバーの牛に』(12)(紫陽社、2022年06月01日発行)

 12篇目「植民見聞録」。後注で、石毛は、こう書いている。

 ヤン・ソギル原作。崔洋一監督の映画『月はどっちに出ている』を観戦。そこから、屑のひかり、その生き方に、共振した。

 「観戦」か。書き間違えかなあ。たぶん意識的に書いていると思う。「屑のひかり」という表現も、意図的だろう。石毛は、映画を見ながら、何と戦ったのか。
 そこに描かれているのは「屑」だ。しかし、「屑」はただ汚いもの、捨てられたものではない。「屑」と呼ばれても、生きている。「屑」と呼ばれたことを自分の支えにして生きている。人間は、そうやって生きるということをはじめなければならないのかもしれない。そう感じて「共振」したのか。
 しかし、詩には、こういう表現がある。

階下の初老の男が 死にかけている
その隣の家では 夫婦喧嘩がはじまった
向かいの家では 赤子の喉に火がついた

 というような描写につづいて、こう書いている。

世間の悲嘆は さまざまだが 共感できぬものだ
おれは ただただ うるさいと思うだけだ

 世間の悲嘆はうるさい。共感できぬ。と書くとき、石毛は、何を考えていたのか。何を感じていたのか。「共感できぬ」に共感していたのだ。「うるさい」と言ってしまえるこころに共感していたのだ。
 これが「屑のひかり」である。
 死にかけた老人、夫婦喧嘩、泣きわめくだけの赤ん坊。自分にとっては何の関係もない。「屑」と呼びすてたい。しかし、その「屑」の、なんとうるさいことか。みんな自己主張している。それが、たとえば「ひかり」と呼ばれるものだ。まだ正式な名前(?)はつけられていない。「屑」でありながら「屑」であることを拒絶していく力のようなもの。
 これを何と呼ぶべきか。

植民に 悲憤を感じることもなく
すでに はじめから
在日への おれの思春期は 病んでいたのか!

 「悲憤」。ひとは誰でも「悲憤」を持つ。「悲憤」と「悲嘆」に似ている。「悲」という文字が共通する。嘆きを、怒り(憤怒)に、怒りを力に。だが、この怒りを力にするというときには、いくつものしなければならないことがある。怒りは孤立していては力にはならないのだ。団結が必要だ。
 だが、団結ほどうさん臭いものはない。「個人」をどこかで抑制しないと「団結」が機能しないときがある。
 だから、である。
 というのは、飛躍なのだが。
 「悲憤/悲嘆」の奥へとおりていかなければならない。なぜ「悲憤/悲嘆」が生まれるのか。それは、それぞれの「個人」がもっているものが何者かによって破壊されるからだ。個人の尊厳が奪われるからだ。
 個のその深層へおりて行き、そこから戻ってくる。そのとき、「悲嘆」はたぶん「悲憤」にかわるのだ。そうやってあらわれてくる「悲嘆/悲憤」と、どう向き合うべきか。
 石毛は「戦う」ということばをつかっている。「観戦」ということばのなかに「戦う」がある。
 これは、どういうことか。
 石毛自身への問いだろう。自分は、どんな悲嘆の奥底までおりていったことがあるか。そこから「悲憤」を噴き上げることができたか。「戦う」ということは、相手と正直に取り組むことである。自分とも正直に取り組むことである。
 こう書きながら、ここでも私は、石毛の隣にはいつも魯迅がいると感じてしまう。私は石毛ほど正直にはなられない。

---おい! 月はどっちだ。
---夢の島のほうだ。
おまえは そのまま月をめがけて 走れ!
おれは 車を止めて 怠ける。

 いいなあ、この最後の「怠ける」。
 ここにも何とも言えない「正直」がある。私がこれまで書いてきたことを「うさん臭いもの」にしてしまう「正直」がある。統合/団結、あるいは結論を拒絶する力、個に帰る力が動いている。

 

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Estoy loco por espana(番外篇165)Obra, Joaquín Llorens

2022-05-12 18:05:24 | estoy loco por espana

Obra, Joaquín Llorens

Otro ángulo de la obra compartido el 8.
Sería extraño llamarlo baile flamenco de los delfines?
Pasión, ritmo y dinamismo.
El ritmo es más tridimensional desde este ángulo.
El "espacio" que existe en lugares inesperados es un fuerte acento.
La intersección de la horizontal y la vertical es dinámica.

8日に紹介した作品の別角度。
イルカのフラメンコダンス、というと変だろうか。
情熱とリズムと躍動。
この角度の方がリズムに立体感がある。
思いがけないところに存在する「空間」が強いアクセントになっている。
水平と垂直の交錯がダイナミックだ。

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野木京子「小舟と声」、北川朱実「コンクール」

2022-05-11 15:14:08 | 詩(雑誌・同人誌)

野木京子「小舟と声」、北川朱実「コンクール」( 「ダンブルウィールド」11、2022年03月01日発行)

 野木京子「小舟と声」は、一連目が魅力的だ。

今朝 カーテンを開けると
窓の向こうの湾に
いくつもの小舟が
少しずつ離れて浮かんでいた
それは釣りをするひとたちの舟だったけれど
わたしが知らない夜のうちに
異界の海から浮かび上がってきたように思えた
そのひとたちは
水からなにかを釣り上げるときに
境界を越えるおそろしさを感じるだろうか

 「異界」ということばが何か安易につかわれている気がする。私が「異界」というものを感じないせいだろうか。つまり、私は野木の書いている「異界」を実感ではなく、「頭」で書いたことばとして受け取ってしまうので、そこでつまずくのである。
 しかし、そのあとの三行がとてもおもしろい。私は釣りをしないが、子どものとき遊びで魚釣りをした。人間とは違うものが、水のなかからあらわれてくる。つまらない餌に食いついてくる。それは、ある意味では一種の「恐怖」だった。それは魚の「ぬるぬる」感じと一緒に私の「肉体」にしみこんでいる。それを思い出させてくれた。
 野木の詩は、このあと、こうつづける。いや、飛躍する。

遠い部屋では
嬰児が声を上げていた
甘い 楽しげな声
拒絶の声
声を出すことなどを
どこで覚えてきたのだろう

 一連目の「おそろしさ」が「声を出すことなどを/どこで覚えてきたのだろう」と言い直されている。あるいは「境界を越える」が、そう言い直されている。とても刺戟的でおもしろい。嬰児の声が聞こえてきそうだ。
 しかし、この後の展開が、かなり抽象的である。「頭」で書いている気がするのである。一生懸命すぎる、といえばいいのか。一連目、二連目で書いたことを、「論理」にしようとしている。それが窮屈でつらいなあ、と私は感じる。
 書いていることは、わかる(と、私の「頭」は言う)が、どうもその「わかる」が「苦しい」。解放感がない。「頭」ではなく、「肉体」で動いていくことばが読みたいなあという気持ちになる。
 北川朱実は、むりに「論理」を求めない。というか、北川は、ことばを感覚的に散らすのが得意な詩人のように思える。その散らし方に、ちょっと「ずるい」ものを感じるときがある。「コンクール」の全行。

ひたすら練習にあけくれた
年月の先で
ピアニストの指が

一瞬 宙を泳いだ

パリの水が
大きく蛇行し
水鳥がいっせいに飛び立った

静謐な夜の森を歩くような
二百年のノクターン

長い指は その
何にとらわれたのだったか

こぼれた音に
私は
なぜこうも魅かれるのだろう

父は人前でよく口ごもった

ほんとうのことを
かけがえのないことを話そうとして
空ばかり見上げていたが

言葉にするだけで雨になる日がある

父が 今も
つかのまの差し色となって
一日のはずれに立っている気配がする

夜明け前の空の下
こぼれた音を抱いて
ピアニストは
最初に渡ってくる鳥の声を聞く

響きはじめた
いくつもの空をめくって

 北川がほんとうにコンクールの演奏を聞いたのかどうかわからない。そのときピアニストが間違えたのかどうかもわからない。しかし、間違えた一瞬を逆に「美の暴走」のようにしてとらえるところがとても美しい。(あるいは、これはピアノコンクールに出たときの北川自身の体験かもしれないが。)
 そして、その間違いというか不協和音というかつまずきというか。そこから父を思い出す。しかも、その父は「口ごもっている」。うまく言えない。それがピアニストの「失敗」と重なる。ピアニストの「失敗」が美の暴走を引き起こしたように、もしかしたら父の「口ごもり」も美の暴走のような「真実」を隠していたかもしれない。それをほんとうは聞き取るべきだったかもしれない、と北川は思い出している。
 とてもいい詩である。
 ピアニストから始まり、父を経て、ふたたびピアニストでしめくくる。完璧な詩の「見本」のような気がする。そして、その「完璧な見本」ということろで、私は、立ち止まる。この「完璧さ」はやはり「頭」がつくりあげたものではないのか。そして、その「頭」は何か「熟練」ということと関係している感じがするのである。
 北川は「父の口ごもり」をピアニストとの「失敗」と結びつけているが、「父」ではなく「母」ならどうだろう。母もいくらか似た感じでことばを動かすことができるかもしれない。「母はときどきことばを飲み込んだ」とか。でも「姉」や「弟」、「親友」「恋人」ではどうか。何か「父の口ごもり」が「予定調和」を含んでいるような気がするのである。
 コンクールを聞いた、ピアニストの失敗に気づいた。父を思い出した。ということが、現実の体験というよりも、「頭のなかの体験」という感じがしてしまう。「頭」のなかだから全部整理されている。未整理のことばが、肉体を突き破っていく感じ、もがく感じがしない。
 で、そういう感じを抱いたまま、もう一度野木の詩を読む。先に引用しなかった後半分は、こうつづいていた。

異界にいたときは水に浮かんでいた
水の中でも
音は聞こえた
ふいに鼓の音が始まりを告げた
掛け声のように

声を出せるというのは
どこにもない世界から訪れた生命にしては
上出来のことで
ない世界では声を出すものなどどこにもいなかった

無から現れ出て
その後はこちら側で急速に成長し
声にも 顔にも
表情を獲得しはじめる
表情と変化こそが
生きているものが生きていることの命綱

 ことばが懸命に動いている。どこへいくかわからずに動いている。野木に「予定調和」の「結論」はないのだ。
 「ない世界では声を出すものなどどこにもいなかった」「生きているものが生きていることの命綱」という二行の「まだるっこしさ」のなかに、北川のことばの展開にはない「真実」がある。その「真実」は北川のように「完璧」ではない。むしろ、「真実になりきれていない真実」とでも呼ぶべきものであって、それをことばにしたいという欲望が先走りしている。
「無」という生々しい概念に、書かなければならないことがあるという気迫がこもっている。「異界」について、安易につかわれていると私は最初に書いたが、この「無」も「異界」も安易ではなくどうしようもない何かかもしれない。一生懸命としかいいようのない「正直」が噴出している。
 最初に読んだときは、この欲望の先走りも「頭の欲望の先走り」という感じで、窮屈に感じたのだが、北川のことばと比較すると、野木の場合は、「ことば自身のもっている欲望/ことばの肉体の欲望」という感じがしてくるのである。
 不満なところはいっぱいある。しかし、そういう不満を引き起こさせてくれる力が野木のことばにはある。もし詩のコンクールがあるとして、そこに野木と北川の作品が提出されているのだとしたら、私は、いったん捨てた野木の作品を、北川の詩を読むことで、もう一度引っ張り上げる感じだろうか。野木の作品を選ぶ。

 

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前田利夫『生の練習』

2022-05-10 10:46:49 | 詩(雑誌・同人誌)

前田利夫『生の練習』(モノクローム・プロジェクト、2022年04月11日発行)

 前田利夫『生の練習』の巻頭の「距離」。

凍るような闇に
おおわれている
もう先が見えなくなっている
私は手さぐりで
広い歩道にでるが
そこには夜はない

誰もいない路上
灰色の靴音を
ききながら歩くと
乾いた響きのなかに
はじめて 夜が生まれる

 「夜はない」から「夜が生まれる」への変化。「広い歩道」にではなく「乾いた響きのなかに」「夜が生まれる」。
 このときの「乾いた響きのなかに」の「なかに」がこの詩のポイントだろう。「響き」はもちろん「広い歩道」に響いているとも言えるが、むしろ「私(話者/前田)」の「肉体のなか」に響いている。前田は「響き」になっている。それが「生まれる」ということならば、この「生まれる」は前田の再生であり、それは前田の「肉体のなか」での変化である。人によっては「肉体」のかわりに「精神」ということばをつかうかもしれないが、私は「肉体」と呼んでおく。
 「生まれる」は、つづく三、四連で、こう変化していく。

街路灯が
私を照らして
影をつくっている
その跨るような私に
しずけさはない

私が影のなかに
街路灯のひかりをみつけたとき
その距離の間に
やがて
しずかさは生まれる

 「私が影のなかに」とここでも「なか」がつかわれているが、それはさらに細分化される。「距離の間に」。「なか」のなかにも「距離」があり、「距離」によって明示される「間」がある。「間」は「なか」を再言語化したものである。そこに、今度は夜ではなく「しずけさ」が「生まれる」。
 その「間」が再言語化されたものであるなら、「生まれる」もまた再言語化された動詞ということになる。それは、どう言い直すことができるか。

私の背に
聳えている街は
脈を打ちながら
いつまでも高々として
私を威圧して
夜をつくり
そして
しずかである

 たぶん「生まれる」は「つくる」に変わる。前田の肉体が「街」を変え、夜を「つくる」。その結果として、そこに「しずけさ」が存在する。
 私は、そう「誤読」したいのだが、ちょっとつまずく。
 「つくる」はすでに「影をつくっている」という形で登場してきているが、そのときの「つくる」には「私/前田」は積極的に関与していない。
 最初に触れた「夜が生まれる」には「靴音」が関係していた。それは「私/前田」が歩くことによって生まれる「靴音」が関与していた。「影をつくる」のは「街路灯」である。もちろん「私/前田」の存在がなければ「影」は存在し得ないのだが。
 積極気に「誤読」を押し進めいてけば。
 三連目では「つくる」ということばをつかわずに「影は生まれる」と言った方がよかったのだと思う。「つくる」という動詞をつかうにしても、もっと「私/前田」の肉体が積極的に加担していかないと、せっかく二連目で「生まれる」という動詞をつかった意味が半減してしまう。
 「夜が生まれる」と書いているが、それは「夜を産み出す」ということなのだ、そしてそれは「夜をつくる」ことなのだ、という意味合いが弱くなる。「つくる」という動詞を「私/前田」以外のものに奪われてしまう。
 その結果。
 私と街の相互交渉が、あまりにも「客観的」になってしまう。あるいは、「私/前田」ではなく、「街」が主導権を握って、「夜をつくる」という感じになってしまう。
 前田が意図したのは相互交渉だったのかもしれないが、私は「私/前田」が主導権を握って、「生まれる」は実は「産む」であり、「つくる」ことなのだという動詞の変化のなかに前田の肉体が存在感を増してくるというような詩を読みたいと思う。

 

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石毛拓郎『ガリバーの牛に』(11)

2022-05-09 18:14:25 | 詩集

石毛拓郎『ガリバーの牛に』(11)(紫陽社、2022年06月01日発行)

 11篇目「朱も丹も」。つげ義治のことを書いているのか、本庄又一郎のことを書いているのか、「副題」と「後注」を読むと、わからなくなる。まあ、どっちでもいい。誰のことを書いているかわかったところで、私はその二人のことを知らないから、二人を手がかりに詩を読むことはない。石毛によれば、二人には「共通点」がある。鉱物、地質に関心がある。そういうふうに認識し、書いていく石毛のことばの動きの方に私の関心がある。

「鉱物には、決まって無援の哀しさがつきまとう側面がある」

 これは誰のことばか知らないが、括弧付きで引用されている。とても興味深い。一行に、詩がある。よくわからないが、そう言われればそうかもしれない、という説得力がある。「無援」は「孤立」ということかもしれない。そして、それは「無援」というよりも、「拒援」(援助を拒んでいる)という感じ。「孤立」している、あるいは「孤立」させられている、というよりも「孤」を積極的に選んでいる。それなのに「哀しみ」につきまとわれる。そういう変な矛盾。撞着。それに引かれたんだろうなあ。そういうものによりそう二人の生き方に、石毛は引きつけられたということだろうなあ。
 そして、この「無援(孤立)」を石毛は、こう書いている。「気負いの感情がこもりすぎた」と。

あのとき かれは
奥多摩駅前の路地裏にある
気負いの感情がこもりすぎた
喫茶「鄙屋」の奥で
銀髪の頭を掻きあげながら
読書に 余念がなかった
「地学五輪の本を読め! という者がいる」
ほつりと 言い放った
それきり口を閉ざし
貧乏ゆすりをはじめた

 「気負いの感情がこもりすぎた」は、次の行の「喫茶「鄙屋」の奥で」を修飾しているのかもしれないが、この「気負い」は、やはり「無援」というより「拒援」という感覚だろうなあ。「主体的」なのだ。だから、「感情」なのだ。もし喫茶店の片隅に「気負いの感情」がこもっているとしたら、それはそこにいるひとの感情である。積極的な感情だから、それは溢れ出て、まわりにひろがる。こもる。そして、ひとはときに「感情」になってしまうのであるが、いや、ひとはいつでも感情をもっているが、それが人を閉じ込めてしまうということかもしれない。
 これは、ある意味では「不健康」である。だから、そこから「引き摺り出して」やることも必要になる。

「引き摺り出して おやりよ」
かれの旅の衣には
いつも 辰砂がとりついていた
それは 煌々としたまばゆいアカではなく
鈍く 深みにはまりそうな
アカであった。

 辰砂。鏡の朱泥の原料だったかな? よくわからない。でもね、「石毛はここが書きたかったんだなあ」と私は「誤読する」。鏡の不思議さ。ガラスの裏に朱泥(水銀が含まれている)を塗ると、ガラスが鏡にかわる。ガラスを鏡に変える朱泥のアカ。アカいのに銀色になって世界を反射する力。世界を映し出す力。そういうが、二人に共通していると石毛は感じているのだろう。

 

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Estoy loco por espana(番外篇164)Obra, Joaquín Llorens

2022-05-08 16:32:44 | estoy loco por espana

Obra, Joaquín Llorens

La danza salvaje de los delfines.
La música vibrante se extiende entre el mar y el cielo.
Va más allá del horizonte.
Esta obra me hace mucha ilusión.
Tengo ganas de decir que el arte es el poder de crear ilusiones.

イルカの乱舞。
海と空の間に、躍動感あふれる音楽が広がる。
それは水平線を超えていく。
そんな錯覚を与えてくれる。
芸術は、錯覚を引き起こす力である、と言ってみたくなる。

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石毛拓郎『ガリバーの牛に』(10)

2022-05-08 10:10:36 | 詩集

石毛拓郎『ガリバーの牛に』(10)(紫陽社、2022年06月01日発行)

 10篇目「渚のダダ」。渥美湾で発生した赤潮のために馬鹿貝が大量に死んだ。その報告書(杉浦明平)を読んだことが、この詩のきっかけになっている。(と、前書きに書いてある。)赤潮を逃れようとして、棲んでいた海からジャンプする。だが、どこまで跳べるのか。どこまで跳べば赤潮を脱出できるのか。

いちばん遠くまで飛んだ 馬鹿貝は
未知との遭遇の絶滅 という今世紀末に
ドキュメント「場替えのなぎさもん集団自殺」という屑の叙事詩に描かれ
町会議場で その滑稽さを 嫌というほど示してくれた

 1960年6月15日深更に、伊良湖一万の友は堤防を越えました。
 1990年6月15日早朝に、伊勢湾渥美十万の友も岸辺で息絶えました。

ベロを出し 二枚の羽を広げたままの集団自殺
渚者は おのれの棲家をすて 外地を墳墓にした
「馬鹿なやつら!」と 明平さんは泣き笑いした

 馬鹿貝に「集団自殺」という意識はないだろう。しかし、人間から見れば「集団自殺」のようにも見える。(馬鹿貝ではないが、富山湾では、春先に浜辺で焚火をするとホタルイカがその明かりに誘われて、浜辺へ跳び上がってくる。これを富山の人間は「身投げ」と呼んでいる。人間は海に身を投げ自殺するが、ホタルイカは浜辺に身投げする。それも「集団自殺」かもしれない。)
 この詩でおもしろいのは、その「集団自殺」の描写の仕方である。一方で「屑」「滑稽」「馬鹿なやつら!」と書き、その「馬鹿者(馬鹿貝)」を他方で「友」と呼んでいる。「友」だからこそ「馬鹿」と呼ぶのである。心底、馬鹿貝のことを思っているから「馬鹿」というのである。「馬鹿な友」と。
 この矛盾した感情が「泣き笑いした」という動詞のなかに動いている。「泣く」と「笑う」は矛盾した行動である。こうした矛盾したことばの結びつきを「撞着語」という。「冷たい太陽」とか「燃える氷」とか。そこには、「泣いた」だけでは言いあらわもない何か、「笑った」だけでも言いあらわせない何かがある。
 あえて言えば。
 「共感」かもしれない。だれでも、そういう「馬鹿なこと」ことをするのだ。切羽詰まったとき、できることはかぎられている。自分にできることをする。その結果がどうなるか、わからない。生きたいという本能(欲望)が、何をすればいいかという「理性」を突き破って動く。
 それは死を招くときもある。「集団自殺」につながることもある。それは「間違い」かもしれない。しかし、「間違い」を選ばざるを得ない状況というものもあるのである。
 石毛が書いてること、杉浦明平が書いたこと、そのことばを「寓意」ととれば「寓意」である。その姿に「人間」の姿を重ねれば、たとえば魯迅が描く「狂人」の姿にも重なる。
 そして、ここからである。
 先に書いたこととつながるのだが、その「常軌を逸した行動」をどうとらえるか。「馬鹿」ととらえるか。「馬鹿」ととらえながらも、それを拒否するのではなく、「友」として近づいていくか。受け入れるか。受け入れながら、どうやってことばを組み立てなおすか。
 石毛が問いかけてくるのは、いつもそういう問題である。世の中には、いろいろな「滑稽な」動きがある。その「滑稽」のなかに、何を見るか。

かれらの跳ぶすがたを 見たことがあるかい
渚のざらついた 砂肌
塩垂れた皮膚から 実を剥ぐときの屈辱の鳴咽
ギシギシと泣きながら
及ぶ限りの距離を 跳ぶのだ
陸海空の前線に棲みつづける
かれら 渚者の矜持は
その潮の緒の満ち引きに いまも!

 「及ぶ限り」は力の及ぶ限りだろう。その「及ぶ限り」と「矜持」、さらにその対極にある「屈辱」ということば。これを結びつけるのが石毛の「思想」(肉体)なのである。「ギシギシと泣きながら」と書くとき、泣いているのは馬鹿貝だけではない。杉浦明平が泣いているし、石毛も泣いている。
 「1960年6月15日深更」「1990年6月15日早朝」というふたつの日付に注目すれば、石毛が馬鹿貝の行動を書いているだけではなく、その行動の背景、赤潮を生み出す(防げない)人間の生き方、社会のあり方への告発も読み取ることができる。
 この詩には、どこか最盛期のやくざ映画(屑映画)を見るような感じもあって、その「ざらついた」感じが、私は、好きだなあ。

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竹中優子「冬が終わるとき」

2022-05-07 10:35:52 | 詩(雑誌・同人誌)

竹中優子「冬が終わるとき」(「現代詩手帖」2022年05月号)

 竹中優子は、第60回の現代詩手帖受賞者。「冬が終わるとき」が今月選ばれた作品。ことばに浮ついたところがない。ことばに奥行きがある。ことばの奥行きに知らずに引き込まれる作品である。
 詩に年齢は関係ないのだが、略歴にたまたま生年月日が書かれているのが目に入った。1980年生まれ。ふと、私が投稿していたときの、青木はるみを思い出した。他の投稿者のことばに比べて、奥行きがとても自然で、そこに引き込まれる。こういう奥行きは、私には書けないなあ、と感じていた。その青木は、投稿者の多くが10代後半から20代前半なのに対して、たしか40代だったと、彼女が受賞したときに知った。あのとき、私が感じたことを、いま投稿している若い世代も感じているかもしれない。
 「ことばの奥行き」とはどういうことか。

嘘をつくとき
人は人を思い浮かべる

 という二行がある。私は、こういうことはない。逆である。逆というと、変だけれど、嘘を聞いたとき、私は人を思い浮かべる。まざまざと、その人を思い出す。これは、嘘が嘘だとわかったとき、と言い直した方がいいかもしれない。
 で、私は、竹中の書いた二行を、「誤読」して、

嘘を聞いたとき
私は人を思い浮かべる

 と読んでいたのだが、そういう「誤読」を自然に誘う「体験の豊かさ」のようなもの、この人は頭で知ったことばではなく、自分の「体験/肉体」をくぐらせてきたことばを書いていると感じさせる。
 こういうことばを「ことばに奥行きがある」と呼ぶのは間違っているかもしれないが、つまり、私だけの「定義」になってしまうかもしれないが。
 なぜ、そういう私の「間違い/誤読」を誘うことばを「ことばの奥行き」と呼ぶかといえば。
 他人の「体験/肉体」というものは、結局は私にはわからない。そしてわからないからこそ「誤解」するのだが、そういう「誤解」を受け入れながら、それでもごく自然にそこに存在している。あなた(私=谷内)が誤解するなら誤解するでかまわない。いつか、私の言っていることがわかるだろう。それまで、私(作者)は気にしない、という感じでそこに存在している、どうしようもなさ(私=谷内には何もできないという意味での「どうしようもなさ」)を感じる。許されているときの「どうしようもなさ」を感じる。
 別のことばで言えば、「あ、おとなだなあ。私の知らないことを知っているんだなあ」という感じである。そして、その「私の知らないこと」というのは、「本」からは絶対に吸収できない、まだ「ことば」にされていない何かなのである。
 「ことば」にされていない何か。初めて「ことば」になってあらわれてきた何か。それは、そのことばが生まれてきた「奥」をもっているという感じ。
 これは、私が「おばさん」と呼んでいるひとたちに共通することである。
 簡単に言い直すと、竹中のことばは、「おばさん」を感じさせる。でも、その「おばさん」は、私が書きたいと思っている「おばさんパレード」というシリーズにはいるものとは少し違う。竹中は、なんといっても、まだ若い。私が投稿していたころ、40代といえば別世界の人という感じだったが、私が年をとってしまったせいかもしれないが、別世界の「おばさん」という感じがしない。
 脱線した。
 いや、脱線ではなく、なんというか「若い」と感じる部分もある。そこが「おばさん」とは違う。
 なにやら、仕事の引き継ぎで、お茶代の管理の説明を受ける場面がある。

400マメー貯たらちょっといい紅茶が無料でもらえる。一日一回サイトを開くだけで、1マメー貯まります。昼休みにサイトを開くように、大真面目にそう話すから、私は何か、がんばってマメーを貯めようという気に実際になって頷いてしまった。

 ここには「ことばの奥行き」とは逆のものがあるのかもしれないが、それが逆に「ことばの奥行き」を感じさせる。「体験/肉体」を感じさせる。というのは、かなり矛盾した言い方だが。
 言い直すと、ここには「私(竹内、と仮定しておく)」と、それまでお茶代の管理をしていた人がいるのだが、「私(竹内)」はその「おばさん」のことばに引き込まれて、自分自身を忘れている。昼休みにサイトを開いて1マメー貯めるというようなことはどうでもいいことだろうと思いながら、そうやってお茶代を節約(?)してきた「おばさん」の力に説得されてしまう。「私(竹内)」の体験を上回る何かが押し寄せてきて、その「奥」に引きずり込まれる。「お茶のおばさん」のことばには「奥行き/奥深さ」があるのだ。
 他人の「ことばの奥深さ」に出会ったとき、抵抗するのではなく、すーっとその「奥深さ」に潜り込んで、それを楽しむ(味わう?)という感じのとき、なんといえばいいのか、竹内の「正直」があらわれる。
 その「交渉」が、とてもおもしろい。私が「おばさんパレード」と名づけている人たちの詩には、そういう「交渉」はない。
 具体的に言うと。
 父の思い出を書いた部分。

この人と一度地面を見に行ったことがあると思い出す
砂利が敷きつめられていた
家を建てようとかなんとか言って笑っていて
誇らしい気持ちで
並んで地面を見た

 家を建てるとき、父は誇らしいだろう。その父の誇らしさを自分の誇らしさと受け止めてしまう。家を建てることの「意味」を幼い「私(竹内)」は実感できないだろう。しかし、「家を建てよう」と言ったときの父のことば(肉声)のなかにある、「私(竹内)」の知らない実感(感情の奥行き)に引き込まれている。
 竹内には、たぶん、こういう「共感能力」のようなものがあり、それが彼女自身の「ことばの奥行き」に反映してきていると思う。
 「土地」を見に行った、「土地」を見た、ではなく、「地面」と書いている。そこにも、そのことを感じる。いまの視点(いまの竹内自身の視点)から言えば、「地面」というよりも、家を建てるなら「土地」であろう。しかし、父の時代は「地面」と言った。その微妙な変化を含んだ「地面」ということばの選択も、「ことばの奥行き」のひとつである。いや、これこそ「ことばの奥行き」を端的にあらわしていると言えるかもしれない。「地面」には「家の設計図(見取り図)」がおのずと含まれる。設計図が想定されていないときは「土地/空き地」である。特に私の年代では、そういう具合にことばをつかいわけていた。つまり「地面」には竹内の父が実在しているのである。
 「地面を見に行った」「地面を見た」。そこに、まぎれもなく竹内自身の「肉体」と「体験」がある。それを「並んで」ということばで協調しながら、「いま」に呼び出している。

 

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徳永孝「夜の子馬」、池田清子「幸せ」、青柳俊哉「点滴」、永田エミ「ジャズが聞きたい」

2022-05-06 09:33:48 | 現代詩講座

徳永孝「夜の子馬」、池田清子「幸せ」、青柳俊哉「点滴」、永田エミ「ジャズが聞きたい」(朝日カルチャーセンター福岡、2022年05月02日)

 受講生の作品。

夜の子馬  徳永孝

夜のベッドに寝ていると
バルコニーに小馬がやってきた

歩きまわり 白い鼻息を吐く
いななく声が 聞こえる
空を飛んで いろんな所へ行こうよ
一諸に冒険しようよ

ケニーは馬に乗って
旅立って行ったけれど

ぼくはおくびょうなんだ
ここを抜け出して
君がそこにいることを
確かめることも出来やしない

君のけはいを感じながら
ただベッドにじっとしているだけ

 四連目。「ぼくはおくびょうなんだ」をどう読むか。「ぼくは臆病だから、馬に乗って旅立っていくことはできない。ケニーのようにはならない」、そして「ただベッドにじっとしているだけ」と読むのが自然だと思うが、受講生のひとりがとても味わい深い読み方をした。「もし、そこに小馬がいなかったら。失望に対する臆病さ。感じていることが間違いだったらと恐れて、部屋から出ることができない」。
 確かに、そういうことはあると思う。
 そのことを手がかりにして「確かめる」とはどういうことか、考えてみた。「姿を見る」というのが多くのひとの感覚だと思うが、ここでも別の受講生が、とてもおもしろいことを言った。「触ること」。小馬に触って、その存在を確かめる。
 確かにこの詩では「白い」鼻息と視覚が言語化されている。いななく声が「聞こえる」では聴覚が言語化されている。「白い鼻息」は空想(想像)かもしれないが、そこでは視覚が動いている。ある意味で、視覚は存在に先行して、存在を確かめている。
 五感には、嗅覚、味覚もある。これは馬の存在を確かめるとき、つかうかどうかわからない。この匂いは牛ではなく、馬のものである、と言える人は少ないだろう。残る「触覚」はどうか。牛であれ、馬であれ、触ることでそれが存在していると確かめることはできる。
 徳永はそういうことを意識して書いたかどうかはわからない。しかし、書かれていることばを関係づけると、確かに、ここには触覚が欠如している。だから、確かめるためには「触覚(触る)」ことが大切になってくる。
 そこからさらに読み込んでいくと、最終連の「けはい」も違ったものに見えてくる。「気配」とは何だろう。「確認していない何か/確認できない何か」でもある。手で触って見て、そこに「馬」がいるとわかれば「気配」ではない。「気配」は手では触れない。しかし、その「触れない」ものに「耳」や「目」は微妙に反応している。「目にはっきり見えないけれど、何かが存在している」と書いてしまうと、「幻想」になってしまうが、そういうことはある。
 徳永の詩特有の「空想」あるいは「メルヘン」のような印象を語り合っているうちに、私たちは、ちょっと不思議な「哲学」「心理学」の領域へ踏み込んだ。
 こういうことは、ひとりで詩を読んでいるときは、なかなかできない体験である。

幸せ  池田清子

去年 一番悲しかったことは
若い時に比べて
身長が五センチ縮んだこと

二番目に悲しかったことは
一時停止違反で七千円とられたこと

と 話したら

「幸せやね」と 娘
「本当やね」

 最後の娘との対話があたたかい。ユーモアもあり、池田らしい。
 この詩では「去年」に注目した受講生がいた。池田は何気なく書いたのだと思うが、「去年」と書き出しているのは、「去年よりもっと前には、幸せや、本当やね、というやりとりでは乗り切れないようなことがあったのではないのか」という指摘である。そうだからこそ、「幸せやね」「本当やね」という会話が生きてくる。実感になる。
 なるほど。
 私がこの詩で注目したのは、ことばの反復とリズム。「悲しかったことは/……したこと」「幸せやね/本当やね」。同じ音が繰り返されて、自然にことばが耳に残る。その一方、三連目の一行は、ぶっきらぼうで散文的だけれど、反復をもたないこの一行が起承転結の「転」をしっかりと演じていると思った。
 もうひとつ。「悲しかったこと」の「悲しい」のつかい方もおもしろい。別なことばでは「残念」に相当するかもしれない。しかし、「残念」にしてしまうと、意味は似ていても、どうも最後の「幸せやね」「本当やね」のことばとの響きあいが違ってくるように思う。詩の中に占める「音」の領域は広い。

点滴  青柳俊哉

空中で 静止する 滴
雨粒がみている 空とわたしと海を
水晶体のうえで 震えているそれらを 
水の神経が うつしとる   

わたしは夕顔の瓢(ふくべ)をさすっていた 
太陽のように大きく 育つようにと
海面は輪を描こうと 張りつめていた
空に 藻を刈る海女を反射して

滴深く それらは一重になりめぐっていく
わたしたちの空間から分かれて 

太陽の瓢をみがくわたしが 
雨にぬれて 海女の空を泳ぐ

 講座で詩を読むとき、まず作者が読む。次に別の人が読む。そのあと、作者の発言をいったん封じておいて、参加者が感想を言う。作者の意図とあっているかどうかは気にしないで語り合う。
 そのとき「点滴」というタイトルがわからない、という声が出た。ひとりではなく、複数。ひとりがこう説明した。点滴はからだが弱っているときの治療。生きることの心地よさが点滴によってもたらされる、というのである。
 たしかに「点滴」にはそういう意味もあるが、自然現象のことを書いているのではないか。「空中で 静止する 滴」、つまり「雨粒」の一滴を「点滴」と呼んでいるのではないか。「点滴、石をもうがつ」の「点滴」だろう。
 しかも、その「点滴」を青柳がみつめ、青柳の見たものを書くというよりも、視点を転換させ「雨粒がみている」という立場から書く。青柳自身を「雨粒の一滴(点滴)」に託して描いた世界。託してというよりも、雨粒と一体化してという感じかもしれない。
 読んだひとに、「読むとき、つまずいた行はなかったか」と聞いてみた。思い出しにくそうだったが、朗読を聞いていると三連目の「一重になりめぐっていく」では声がはっきりと出ていなかった。「わかりにくかったんじゃない?」「わかりにくい」。詩の音は、読むひとのなかでも確実にある役割をしている。
 その、受講生がつまずいたことばのなかには、どういう運動が起きているのか。
 青柳の詩には、いくつものイメージが出てくる。そのイメージが動いていく。このことは、すでに受講生の意識のなかで共有されている。「イメージがつぎつぎに展開して行き、おもしろい(楽しい/興味深い)」。その「展開」が、この詩では「めぐっていく」と、わざわざ書かれている。これは、ここに青柳が書かずにはいられなかったことが書かれているのである。ふつうならば書かない。でも、書く。こういうことばを私は「キーワード」(そのひとの思想に深く入り込んだことば、肉体になってしまっていることば、無意識のことば)と呼んでいる。ただし、この「めぐっていく」がキーワードかというと、それに付随している「一重になり」の方がより大事(ほんとうのキーワード)である。イメージは展開化していく。しかし、そのイメージは、ばらばらに動いていくのではない。あるいはつながって動いていくのでもない。「一重になり」動く。
 「一重になる」とは、どういうことか。
 小さく固まる(凝固するのでもなく)、何重にも重なるわけでもない。いや、何重にもなっているのだが、透明であるためにそれは「一つに、重なる=一重になる」のである。複数のイメージがあるが、それはすべて重なり、「ひとつ」になる。それが「一重になる」である。
 この「一重」のなかの「遠近感」を読み込むことが、読者にとっての課題だし、作者にとっての課題という感じがする。

ジャズが聞きたい  永田エミ

眠れないのも
胃が痛いのも
自分の脆弱な感受性のせい
午前2時
真っ暗なキッチンの冷蔵庫を開け
長方形の光の中から
長方形の牛乳を取る
冷蔵庫を閉めれば
また暗闇がのし掛かる
ああ、こんな夜は
むかし高校の副教材でみた
タバコロードで
タバコをはこぶ
黒い肌の女たちの
地を這うような
ジャズが聞きたい                             

 胃が痛くて眠れないという現実から出発し、キッチンの長方形に触れた後、タバコロード、ジャズと転換していくところがいい。引き込まれる、という声。
 私は、永田に、「詩を書いていて、ここのところがうまく書けなかった、と感じていることろはありますか?」と聞いてみた。
 「真っ黒なキッチン……冷蔵庫を閉めれば、というところ。長方形が二回出てきて、重複する感じ、もたつく感じ」
 私は、逆に、この部分がとてもいいと思った。特に、冷蔵庫を開けたときの「長方形の光」というとらえ方がとてもいい。冷蔵庫が見えてくる。そして、長方形が繰り返されるのもとてもいい。「長方形」がなくて、「冷蔵庫の光の中から/牛乳を取る」でも、永田のしている行為に変わりはない。しかし、ことばがもたらす印象は全く違う。詩は「意味」ではなく、「ことば」が語りかけてくる「意味以外のもの」の方が大事である。
 「長方形」が繰り返されることで、自然なリズム、永田だけが向き合っている「ことばの世界」が前面に出てくる。私が見逃していたものを確実に見て、それをことばにしているという印象が強く残る。つまり、ことばに「個人/個性」を感じる。繰り返されなければ見落としてしまうかもしれないが、見落としを防ぐ力、「これを見て/これを聞いて」と主張している「ことば自身の声」が聞こえる。「ことば自身の声」とは作者の意識の中心としっかり結びついている。(青柳の「一重になりめぐっていく」と同じように。)0
 さらにこのことば(音)の繰り返しは、眠れないのも/胃が痛いのも」の「のも」繰り返し、「タバコロードで/タバコをはこぶ」の「タバコ」の繰り返しに通じる。音の重複がイメージを明確にする。「意味」を越えて「ことば」が別なものを独自に引き寄せる。その効果が大きいのが、「長方形」の繰り返しである。「長方形の光の中から/三角形(ピラミッド形)の牛乳を取る」では牛乳をのむという行為において違いはないが、ことばのもっている音楽とイメージの自立性がなくなる。
 この詩は、また、「むかし高校の副教材でみた」という一行がとてもいい。これの一行は、池田の詩でふれた「と 話したら」のように、起承転結の「転」のような働きをしている。眠れない夜、冷蔵庫の牛乳という「現実」から、いまそこにないジャズをもとめる気持ちの転換点。「アメリカ旅行をしたとき目撃した」とか、「著名な作家の書いている文章」ではなく、「高校の副教材」。その「現実感」。リアリティ。衝撃力のない衝撃。私はこうしたことばを「正直」と呼んでいるのだが、そこに「正直」が働いているからこそ、「ジャズが聞きたい」という気持ちがほんとうになる。本当の気持ちとして響いてくる。
 ことばの繰り返しだけではないが、全体の口調というか、口の動き、舌の動き、声の動きがとても自然で、ことばを「声」をとおしてつかんできたんだなあと感じさせる詩である。永田は短歌を学んだことがあるという。なるほどと、納得した。舌でしっかり繰り返しなじませた音が、ことばの肉体そのものになっている。

 

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山田裕彦『囁きの小人』

2022-05-05 10:54:36 | 詩集

山田裕彦『囁きの小人』(思潮社、2022年04月30日発行)

 山田裕彦『囁きの小人』に「さよならタヴァーリシ」という詩がある。その書き出し。

寝つけない夜半
ほつほつと禿頭に降りかかる
忘れ去られた言葉

 山田は「忘れ去られた言葉」と書いている。このことばがこの詩集を象徴しているように思えた。「忘れ去られた」とはいうものの、「思い出せない」わけではない。つまり、いまはつかわなくなったことばを「忘れ去られた言葉」と山田は呼んでいるのである。
 書き出しの「寝つけない夜半」にも、その匂いがある。「夜半」ということば、はたして、今の若者がつかうか。たとえば、最果タヒは「夜半」ということばを書くだろうか、と思ったりする。
 山田の書いていることばの「意味」はわかる。しかし、そのことばを読んだ瞬間に、あ、これは「過去」だ、と思ってしまう。しかもそれは、「思い出せない」わけではない。たぶん、「思い出さない」過去なのだ。
 言いなおすと。
 山田の書いていることは理解できるが、私は「いま」、こういうことを「思い出さない」ということである。
 もちろん私が「思い出している」過去を山田が書く必要はない。山田は山田の「必然」にしたがって「忘れ去られた言葉」を「いま」に呼び出し、そこで生きているのだが、私はなんとなく遠いものを見るような気持ちになってしまう。
 「ほつほつ」という、わかったようでわからないことば(音)に対してさえ。

かるい灰のごとき挨拶
「タヴァーリシ」
名も知らぬ哀しいカナリアたち
遠くの方でつめたい稲妻が光っている

 音で言えば、この「タヴァーリシ」は、その最たるものかもしれない。この音を聞いたことがある若者はいないだろう。少なくとも、私は最果タヒはこのことばを聞いたことがないと思う。このことばを聞いたことがあるのは、たぶん、まだソ連がソ連だったことを知っている人間である。それは映画のなかで、突然、聞こえてきたりする。呼びかけ、「挨拶」のことばだったと思う。「意味」は知らない。仲間であることを確認するような響きがあったと思う。
 と言っても……。
 私はテキトウなことを書いているので「タヴァーリシ」がほんとうにソ連に関係しているか、ロシア語なのか、「挨拶」に関係しているかは知らないのだが、山田の書いている「挨拶」ということばに誘われて、ふと、映画のなかに響いていた音、何回か繰り返された音を思い出しているのである。
 すべての音が、あの時代(ソ連がソ連であった時代)に「世間」にあふれていた音につながる。「かるい灰のごとき」という比喩や、「名も知らぬ哀しいカナリア」「つめたい稲妻」の、ことばの組み合わせにも。1960年代、1960年代の、「現代詩の音」が聞こえてくる。「かるい」とか「哀しい」とか「つめたい」は、必要不可欠なものかというとそうでもなく、むしろ余剰(余分)なことばに近いが、だからこそその「余剰」が重要だった。「余剰」にこそ、「個人」が含まれるからである。「個」は「論理/意味」をはみ出していく何かである。何か「個人」であることをつけくわえたい。そういう欲望(本能)が、こうした修辞を動かしていた。それが1960年代、1960年代であり、それをさらに象徴するのが、最初に引用した「ほつほつ」というわけのわからない音である。誰もがつかうことばではなく、ある詩のなかで「発明」された音。「意味」は読んだ人が考えるしかない音。
 なぜ、こんなことが必要だったのかなあ。なぜ、こういう音/ことばが一時代を突き動かしたのだろうか。

それから不意に
「われわれ」といいかけて
「わたくし」と言い直す

 「われわれ」。このことばから、ひとつの時代を思い出す人がどれだけいるかわからないが、私は思い出す。あちこちで「われわれは」という声が響いていた。それは「タヴァーリシ」とは何か逆のものをあらわしていた。「タヴァーリシ」と呼びかけられた人、呼びかけた人は「一人」であるけれど「一人」ではない。その人の背後に、何か、集団のようなものが感じられた。「われわれは」という声は集団をあらわしているのだが、集団を結びつける強いものが感じられない。結びついていないものを結びつけるために「われわれわ」ということばがあったのか。しかし、そもそも「われわれ」という表現を成り立たせるための「個人(ひとり/私)」というものが、あのときほんとうに存在していたのか。個人の存在。「われわれ」という呼びかけがきっかけになり、個人という存在になろうとしていたのかもしれない。「われわれ」であるけれど、「個人」になりたい。その奇妙な運動として動いていたのが「かるい」「哀しい」「つめたい」という感情、感覚であり、既成のことばを超えたいという思いが「ほつほつ」にあったかもしれない。
 「われわれ」ではなく「わたしく」を主張するために。

若気の至りって淋しいね
言ってみただけさ
属性のない真っ白な人称
他意は無し
精一杯の
誤訳
 
 それが「若気の至り」というのなら、確かにそうなのかもしれないが。
 でも、どっちが? 「タヴァーリシ」ということばにあこがれ、「われわわれ」という存在にあこがれたこと? それとも「われわれ」と言ってしまったこと? 「われわれ」も「タヴァーリシ」も、「自己」を隠した生き方だったかもしれない。「わたくし」と言えない青春の愚かさと不安。その反動としての、強がり。
 ここには、それにつづく「敗北」を「抒情」にかえていく、あの時代の、いやあな雰囲気がある。「淋しい」ということばがそれを端的にあらわしている。「淋しい」によって、「われわれ」の殻(枠)を破り、「われわれ」ではない外部の「個人(の感情)」にもつながっていこうとする動き、あるいは「われわれ」の内部へ、「われわれ」をつくりだしている「個人」の内部(感情)へつながっていこうとする動き。
 「内部」には「個」があり、「個」とは感情であると、強引に整理すると、私がいま書いたことが、奇妙に交錯するのがわかると思う。
 この奇妙な交錯を、山田は「誤訳」と呼んでいると思う。
 「タヴァーリシ」をなんと訳すか。「われわれ」と訳すか、「わたくし」と訳すか。「われわれ」であり、「わたくし」をあらわすのに、どんなことばがあるか。そんな挨拶をされたいか、されたくないか。ふと、私は、アメリカ英語の「ブラザー」を思い出すのである。アフリカ系の友人が集まり、「ブラザー」と呼ぶ。アフリカ系ではない人間から「ブラザー」と呼びかけられて、「おまえなんか、ブラザーじゃない、豚野郎」という顔をする。「ブラザー」には暗黙の了解がある。緊密な関係があるという了解がある。それに近いことばは……。不意に「同士」ということばを思い出した。
 「タヴァーリシ」は「同士」だったかもしれない。出会ったときに「やあ、同士」。「同士諸君」という呼びかけがあった時代もあるだろう。1960年代、1960年代は「同士諸君」とは言わずに「われわれは」と叫んだ。
 そういうことを、とりとめもなく思った。

 山田の詩は、何も1960年代、1960年代をテーマにして書いているというわけではないのだが、どこか、あの時代のことばの動きをひきずっている。それを「若気の至りって淋しいね」とくくって差し出しているとは言わないが、何か、あの時代の「情緒」を「忘れ去られた言葉」として記録している感じがする。
 「遠雷」にこういう部分がある。

(いつもまちがうのはわたしの口だ
言葉を失った後にやってくるのもまた言葉

 そうなのだが、山田のことばは、「忘れ去られた言葉」を破壊して、新しいことばをつくり出すというよりは、「忘れ去られた言葉」の痕跡をたどりなおし、それを遺しておこうとするような感じがする。「ことばの記録/ことばの記憶」を遺しておく感じ。
 「まちがう」「誤訳」を「わたし」と結びつけ、ただ「遺しておく」のではなく、もう一度育てようとしているのかもしれないが。
 この行為が「淋しい」ではなく、ほかのことば(感情)になって動き出すかどうか。私には「淋しい」が優先しているように感じられる。
 私はいつものように「誤読」する。

 

 

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石毛拓郎『ガリバーの牛に』(9)

2022-05-04 11:58:40 | 詩集

石毛拓郎『ガリバーの牛に』(9)(紫陽社、2022年06月01日発行)

 9篇目「蝉の暮れ方」。花田清輝のことばが副題に引かれている。

蝉の暮れ方
うたうには この甲冑が邪魔だ
パックリと割れた背殻を 脱ぎ捨てて
新参者の蝉は 歌っている

 ことばのリズムがかっこいいね。「甲冑」「背殻」「新参者」という漢字がしゃきっとしているし、「パックリ」も響きがいい。そして、これは、このあとにつづくことばと、対照的である。

ああ いつの間にか
秋が 来てしまった
こまった
こまった

 先に引用した部分が、「パックリ」は少し違うが、「甲冑」「背殻」「新参者」は「文語的」である。それに対して後に引用した部分は「口語的」である。
 文語と口語がぶつかり、互いを刺戟する。そして、その衝突を、矛盾の方にひっぱっていきながら、いままで気づかなかったこと(知っていたかもしれないけれど、ことばにしてこなかったこと)を語る。新しい何か、新しい意味を追加されたことばを噴出させる。このときも「文語」というと変だけれど、かなりイメージがきっちりしたことばをつかう。
 こんな具合。

蝉には 歯がないことを すっかり忘れていた
樹液は渇き 固まってきた
それでも 飢えたまんま
蝉は うたっている
腹が減っても
蝉は樹の蜜を吸うことができない

 こういうことばの「操作」は、ある時代に、とても多かった。その先頭を走っていたのが花田清輝である。
 詩に谷川雁の文体があり、評論に花田清輝の文体がある。
 「聖」と「俗」の結合。その衝突、と言ってもいいかもしれない。
 私は、ほんとうに貧乏だったから、この「聖」と「俗」の結合というのは、「金持ち(本を読んでいる人)」と「貧乏(本も読まずに働いている人)」の結合のような感じがして、そうなれたらかっこいいかもしれないけれど、こういうかっこよさを振りかざすと自分が自分ではなくなるぞ、という気持ちがどうしても残った。つまり、谷川雁も花田清輝も、とてもかっこいいが、「そんなことは言われなくない」といういやあなものが残るのである。
 それは、どういうことだったのかなあ。
 石毛の詩を読んでいて、ちょっとわかった。石毛自身のことばではなく、花田清輝のことばを引用している部分がある。正確な引用というよりも、多少、整理されているかもしれない。

暗黒の夕暮れ 空腹になると
ノルウェイ人は 鉋屑を喰らい
ロシア人は 煉瓦を喰らう
なんと かれらは便利な胃袋をもっている

 この部分にあらわれた「ノルウェイ人は 鉋屑を喰らい/ロシア人は 煉瓦を喰らう」という「知識(本を読んでいる人の認識)」がいやなのではなく、その「認識」のあとにつけくわえられた「便利な胃袋」の「便利な」という「批評」がいやなのである。この突然噴出してきた「便利な」という新しい見方、皮肉な見方、花だ特有のことばがいやなのである。花田はほんとうに「便利」と思って言っているのか。鉄屑や煉瓦を食ってみたことがあって、そう言っているのか。違うだろうなあ。鉋屑や煉瓦はもちろん食べられない。そういう「知識」をもっていて、その「知識」をもとに「便利な」ということばを動かしている。 つまり、この「便利な」には共感というものがない。
 「批評」は「知識」なのだ。「批評」は「知識」をどうやって「見せびらかすか」ということなのだ。「共感」ではない。--これは、たぶん、いまも形を替えてつづいているなあ。
 ほんとうに腹が減ったとき。私は鉋屑も煉瓦も食ったことはないが、畑のキュウリをもいで齧る、トマトを盗んで食べる、さつまいもを掘り出して泥を払い落とせるだけ落として生のまま食らいつく、ということは何度もした。そのとき私の歯、胃袋は「便利なもの」ではなかった。単なる必然だった。
 「必然」を「便利」と言われることほど、いやなことはない。
 石毛は、どう思ったか。よくわからないが、私は詩の最後の部分に、引かれる。

地上の生活も 七日もすれば
蝉は カラカラになって
藪椿の花弁のように
首ごと樹から ポトリと 地に墜ちる
それも 腹を 恋しい空にむけて
蝉は 実りの秋というものを
うたわないのだ
不器用に ただ ひとつの覚え歌を
うたうだけだ。

 「不器用」ということばがある。たぶん「便利」の反対は「不便」ではなく、「不器用」である。「かれらは便利な胃袋をもっている」は「かれらは器用な胃袋をもっている」と言い換えることができる。
 ここから花田清輝を見直すと、花田清輝は「器用な」評論家だったのだと思う。かけ離れた存在を「器用に」連結し、そこで何かを語る。たぶん「語り方を語る」といったらいいのかもしれない。

 人間は、たいてい「不器用」なものである。そして私は、その「不器用」を信じたい気持ちでいる。「不器用」のなかには、そのひとがいる。「器用」になれない何かがある。それは大事なことが。「器用になれない」は「便利につかわれることを拒む」につながると思う。
 いまは「合理主義」の時代である。「合理主義」は「理性主義」かもしれないなあ。その「合理主義」が「不器用な存在」を排除する形で強化させていく。それをとめるのは「不器用」しかないのだ。
 このことは、「不器用な」は「愚かな」と言い換えることができる、と考えれば、「合理主義」の罠がわかるはずだ。「合理主義」(理性主義)は「愚かな存在」を排除して、より強固になる。しかし、その強固さは、嘘のものだ。「支配」のためにつくりだされた「主義」にすぎない。
 脱線したが。
 「不器用な」は「愚かな」である。石毛の書いている最後の二行「不器用に ただ ひとつの覚え歌を/うたうだけだ。」は「愚かに ただ ひとつの覚え歌を/うたうだけだ。」と言い換えることができる。
 もし花田清輝が「かれらは便利な胃袋をもっている」ではなく、「かれらは愚かな胃袋をもっている」と書いていたのだったとしたら、私は、花田清輝が好きになったかもしれない。水で洗ってさえないサツマイモに食らいついていたとき、私は愚かな,馬鹿な、気の狂った子どもだった。それが私の必然だった。
 石毛が尊敬しているらしい魯迅ならば、きっと「かれらは愚かな胃袋をもっている」と書いたと思う。魯迅には「愚かな人間」に身を寄せ、その「愚かさ」のなかにある「手応え」を頼りにことばを動かしいると私は感じている。魯迅と花田清輝を比べてもしようがないが、ふと、そう思った。

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石毛拓郎『ガリバーの牛に』(8)

2022-05-03 10:47:15 | 詩集

石毛拓郎『ガリバーの牛に』(8)(紫陽社、2022年06月01日発行)

 8篇目「ぼんくら」。「谷川雁」のことばが「副題」に引用されている。谷川雁は、ある時期、谷川俊太郎よりも有名だった(と、思う)。その谷川雁を石毛はどう受け止めていたのか。

からだの孔という孔に
「軍歌」が 潜りこみ
鼻の孔をゆるがす
大粒の「ジャズ」が こぼれ
眼の孔から塞ぎきれぬ
怒濤の「演歌」が ながれ
耳の孔から とぎれぬ悲鳴のような「童謡」が
風下の方へと 消えていく

 「軍歌」「ジャズ」「演歌」「童謡」が共存する。それもひとりの「からだ」のなかでである。「孔」から入り込んでくる音楽、リズム、旋律。谷川雁の詩には、何よりもリズム、旋律があった。それは、ことばの「調和」というよりも「衝突」がうみだす「響き」だった。「ことばの肉体」の「思春期」、あるいは「ことばの肉体の変声期」とでもいうのだろうか。都会のなかに侵入してくる土俗、土俗のなかに侵入してくる都会。その瞬間的、衝突。衝突の、火花。そのきらめき。

しかし なんてこった
風下に逃げおおせた とたんに
からだの 孔という孔から
葉露が光って こぼれ落ちているではないか。

 「こぼれ落ちる」。このことばが象徴的だが、その衝突は「敗北」を意味していた。土俗が敗北したのか、都会が敗北したのか。軍歌が敗北したのか、ジャズが敗北したのか、演歌が敗北したのか、童謡が敗北したのか。それはひとによって違うだろう。
 つまり、時代が変わったのだ。
 しかし、「敗北した」ということは共通している。しかも、なんといういやらしさだろう。その敗北は「葉露」のように「光る」。純粋さを協調しながら、抒情になることをめざしている。どのことばも「叙事(記録)」になることよりも、「抒情」になって、「からだ」のなかを満たそうとしていた。
 そういう時代だったなあ、と思う。
 あれは、もしかしたら「仕組まれた」衝突であり、「仕組まれた」激変だったかもしれないと、ときどき思う。
 私は無自覚だった。つまり、私はまだ「肉体のことば」も持っていなかったし、「ことばの肉体」についても知らなかった。私には「時間/過去」と呼べるものがまだなかった。無知には、どういうものでも美しく見える。「これが美しい」と言われれば、その「美しい」ということばに誘われて、それを美しいと信じてしまう。ことばに翻弄される。
 --というのは、私の反省であって、石毛のことを言っているのではない。もちろん谷川雁のことを言っているのでもない。

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