韓国ではこの7月から「평(坪)」に代表される「尺貫法」の追放が
本格的に始まった。
各種メディアの報道によれば、もともと「尺貫法」は日本統治時代の
名残であり清算する必要があるというのが今回の政府措置の
最大の理由のようだ。
はたして今回の政府による「坪」禁止令はどこまで効力を発揮
できるのであろうか?
韓国メディアの報道を見る限り、「坪」追放に向けた政府キャン
ペーンも盛り上がりに欠けているし、一角では、はやくも今回の
禁止措置の実効性を疑問視する声が上がっている。
ここでは韓国経済新聞の関連記事を翻訳練習してみた。
少々皮肉っぽい内容だが、韓国政府の主張よりもはるかに
説得力があるし、現代韓国社会で使用されている「尺貫法」の
現状について理解する上でも大いに参考になった。
なお、紙面の都合で韓国語の原文の引用は省いた。
また、この種の「民族主義的」な政策の持つ本質的な矛盾や
欺瞞性については、最近2、3ヶ月間のブログ記事を見ただけでも、
「中国の和製漢字語」や「駐車禁止」などの記事で触れているので、
今回は省く。
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■ [韓経フォーラム] 尺貫法に何の罪があるのか?
(韓国経済新聞 7月12日)
-略-
政府が事前に予告していた通り、今月から法定単位ではない
尺貫法を使用する業者や企業に対する取締りが始まった。
1、2度の違反については注意や警告のレベルに止まるが、
3度目になると50万ウォン(約7万円)以下の過料を課すとの
方針だ。今回こそは必ず尺貫法を根絶させようとする政府の
強い意志が込められている。
しかし、この措置が生む社会的混乱も無視できない。
これまで使い慣れた「32坪のアパート」、「29インチのテレビ」、
「金1匁(もんめ)の指輪」などの表現を突然、政府が禁止した
からと言って、数十年の慣習がそう簡単に変わるはずもない。
一部には苦肉の策として「32タイプのアパート」、「29型テレビ」
など笑うに笑えない表現も登場したが、これらの表現も処罰の
対象になると言う。こうした政府方針に対し、ついには過料を
支払うことになっても、当面「坪」を使用すると開き直る建設業者
まで出てくる始末だ。
韓国政府による尺貫法追放の試みは過去にも何度か行われた。
1961年、メーター法を法定単位に定めて以降、機会あるごとに
メーター法の使用を強制しようとしたが、ことごとく失敗に終わって
いる。
意思の疎通を図る上で統一された言語が必要であるように、
経済活動にも「標準」が必要であり、その核心となるのが「単位」だ。
そういう意味では、全ての「単位」をメーター法に統一しようとする
政府の政策も決して間違ってはいない。
実際、尺貫法では計量上の誤差が生じやすく、不正確な計量は
社会的な損失や消費者の不利益を招きやすいという点以外にも、
メーター法を使用すべき理由は多い。
メーターは世界の大多数の国で共通単位として使われている。
さらに正確度が高く十進法による計算が容易で名称も簡単だ。
メーターが様々な利点を持っていることは明らかだ。
それにも拘わらず、尺貫法が現在も消えずに使われているのは、
それなりの利便性があるためだ。
尺貫法は日本統治時代の「残滓」だという指摘もなされているが、
1坪(3.3㎡)は縦横が1.8mで、ほぼ1人の大人が手足を伸ばして
横になれる広さだ。
1尺(30.3cm)は、手を広げた長さ、または指先からひじの長さで
あり、1合(180ml)は大人が一度に飲む水の量に由来している。
尺貫法にも人間の生活に根ざしたそれなりの合理性があるのだ。
少なくとも「光が真空中で2億9979万2458分の1秒の間に
進む距離」と定義される1mよりもはるかに親しみやすい。
政府は尺貫法廃止の必要性を強調するが、現在使用されている
のは「坪」や「匁」など、限られた場面で使われているごく一部の
単位だけだ。
アパートの広さを「坪」で表わし、金を「匁」で取引するのは、現在の
ところ、それがわかりやすくて便利なためだ。
一方で最近では、米を「斗・升」の単位で売り買いすることはない。
また、身長や体重を「尺・寸」や「貫・斤」で測る人もいない。距離を
「里」で言い表わす人もまずいなくなった。
これは誰かが禁止した結果ではなく、日常生活で不便になり使用
価値を失ってしまった結果なのだ。
どんなに長い歴史を持つ慣習であっても、生活様式の変化とうまく
整合がつかなければ自然と消え去るしかないのだ。
逆に便利な慣習はいくら法で禁止しても消えることはない。
政府は他の急を要する重要な課題はそっちのけに、数十年に
わたって国民が使い慣れた計量法を、ことあらためて槍玉に挙げ
国民生活に波風を立てている。
「坪」や「匁」は使ってはならないが、「3.3㎡」や「3.75g」なら
問題ないというような説明は、ごまかし以外の何物でもない。
今回の措置が、大騒ぎした割りに得るもののない徒労に終わって
しまわないことを祈るのみだ。
(終わり)