△電信柱に貼り付けられたアパート賃貸の張り紙
アパート チョンセ/月払い(調節可能)
13坪<約43㎡>...1000万ウォン/20万ウォン<約125万円/2.5万円>
・都市ガス付き
・現在空室、即時入居可
・地下鉄プサンジン駅徒歩5分
(※連絡先電話番号)
プサンの街角でよく見かけるのが、こうした個人的な賃貸広告だ。
2007年冬のプサンで見かけたこの張り紙の場合、坪数から見て
1DK程度の物件だろう。
チョンセだけなら2500万ウォン(約320万円)程度の物件だろうか。
当然、部屋数や坪数が増えるとチョンセの額も上がる。
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□ チョンセ(伝貰)雑考
さて、衣食住は人間生活の基本中の基本だ。その「住」にかか
わって韓国社会に特徴的な制度がいわゆる「チョンセ(伝貰)」だ。
チョンセとは、本来、利子が家賃代わりになる程度のまとまった
保証金を家主に預け、家(部屋)を借りて住み、転出時には
保証金を戻してもらうという制度のことだ。住んでいる間は原則的に
家賃を払う必要はない。
韓国社会には基本的に家賃月払いのみで住めるアパートはない。
そういう意味で、韓国社会は人間生活の基本中の基本である
「住」に関する社会的システムにかなり深刻な欠陥、あるいは
不条理を抱え込んでいると見ざるを得ない。
「ヲタク」は最近、このチョンセ制度が韓国社会の特質を理解する
上で、非常に重要な鍵になるのではないかと考え始めている。
定期的に家賃が払えるほど安定した職を継続的に確保、あるいは
維持することがそれほど当たり前ではなかった社会。また、たとえ
一部とは言え、家を借りても家賃を長期間滞納したり、あるいは
滞納したまま逃げ出す人間がいても決しておかしくなかった世相。
そういう社会や世相の中で、どこの馬の骨かわからない(まとまった
保証金を準備できない)人間には家は貸せないと考える持てる
者たちの論理が生み出した制度がこのチョンセ制度だったのでは
ないかと「ヲタク」は見ている。
実際、貸す側(持てる者)が、家賃不払いなどのトラブルを100%
回避する上で、このチョンセ制度ほど理想的な制度はない。
一方、保証金を預ける側は、転出時、保証金が戻ってこないことが
100%ないとは言いきれないリスクまで背負わされる。
この徹底して持てる者本位のチョンセ制度に見てとれる、持てる
側と持てない側との間に横たわる溝(分裂と不信)は深い。
最近、韓国社会で上記の写真のようにチョンセとタルセ(月払いの
家賃)を組み合わせる形の賃貸形式が徐々に増えているという。
これを韓国社会が「安定と相互信頼」の社会に向かい始めている
兆しと見ることも可能だろうが、銀行の金利などが下がる中、家賃
収入を効率的に確保したい家主側の一方的な思惑から出たもの
とも言える。
実際、チョンセのみの条件で入居した住人に月払いの家賃まで
要求する事例も増えているという。
いつの日か、韓国社会がこの矛盾多きチョンセ制度の桎梏
(しっこく)から自由になる日が来るのであろうか?
「ヲタク」は、おそらく、その日こそが韓国社会が名実共に「先進
社会」を実現する日なのではないかと思う。
△「今年最初の警告だ」
「大きなお世話なんだよッ!」
(写真とは無関係)
(終わり)
参加カテゴリ:地域情報(アジア)/語学・英会話
△観光バスを運行する旅行社
2007年冬の慶州観光は、事前に妻がインターネットで調べて
いた観光バスを利用した。
△「ヲタク」たちは青線で囲んだ史跡と掛陵をめぐった(地図:韓国観光公社)
「ヲタク」たちが乗った史跡観光バスは、午前10時ごろに市内を
出発する仏国寺をコースに含まないバスだったが、それでも
計5ヶ所の史跡をめぐるのにおよそ6時間かかった。
△「ヲタク」たちが乗った観光バス
ここでは観光ガイド本などで見れる画像は極力省きながら、
数枚の写真のみ記録してみた。
△「掛陵」のアラビア人風石像
まずは「掛陵」なる円墳を見学した際に撮ったアラビア人風の石像。
頭に巻いているターバンらしきものもはっきり確認できる。西方の
文化の流入と共に商人たちも新羅を訪れていたなごりなのだろう。
△獅子像の前で末っ子(右)と親戚の子(左)を撮る
次は同じく円墳前に設置された獅子像の前で親戚の子と末っ子を
撮った写真だ。
△石窟庵を覆う建造物
コースのメインとなる石窟庵では残念ながら石仏の撮影は禁止
されていた。これは遺跡を覆う建造物だ。
日本から来た「ヲタク」たちに気を使ってくれたのか、ガイドの
女性は、長い間埋もれていた石窟庵と石仏を発見したのは
日本人の郵便配達夫だったと説明していた。(確認は取って
いない。)
石仏のすばらしさもさることながら、石窟庵前から日本海方面を
臨む景観もなかなかのものだった。
△文武大王海中陵前の活魚店
昼食は、文武大王海中陵に面した海岸線沿いの活魚店で食べた。
さしみを賞味した後、定番のメウンタン(鍋)でご飯も食べお腹は
いっぱいになった。
△少しふてくされている長男
感恩寺跡に残る石塔の前では、嫌がる長男を無理やり立たせ
記念写真を撮った。
その後、韓国「禅武道」の本山である骨窟寺を訪れ、磨崖仏を
見学した後、午後4時過ぎに慶州市内に戻った。
史跡めぐりは子どもたちには不評であったが、世界遺産でもある
石窟庵の石仏を初めてこの目にすることのできた「ヲタク」は、
そこそこ満足できた。
(終わり)
参加カテゴリ:地域情報(アジア)/語学・英会話