■5.18 힌츠페터 스토리 「光州事件 ヒンツペーター物語」 〇〇〇〇〇
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2018年に公開された骨太のドキュメンタリー映画。
光州事件(1980年)の惨状を世界に伝えたドイツ人記者、
ユルゲン・ヒンツペーター氏(1937~2016年)の死去を
悼み、業績をたたえるために制作された作品だ。
光州事件当時、西ドイツのテレビ局の東京特派員だった氏は、
親交のあったソウルのタクシー運転手(チョソンホテルの
外国人専門タクシー)の協力を得、軍により厳重に封鎖
された光州市内に3度も出入りを繰り返しながら、事件の
惨状をとらえた生々しい映像や写真をドイツメディアを
通じ世界に伝えた。
そのことは、当時、独裁政権により厳しく報道が規制されて
いた韓国国内へも、事件の真相を伝える情報が、外信経由で
伝わったことを意味している。
彼が命がけで入手し伝えた情報は、多くの韓国人の怒りを
呼び起こし、民主化運動を大きく前進させる原動力とも
なった。
△外信記者団と野党指導者の懇談会を阻む兵士と向き合うヒンツペーター氏(赤丸)
氏は、光州事件以降も、精力的に韓国の軍事政権の
残虐性や民主化運動の実相を世界に伝え続けた。
△1986年、ソウルで激しい暴行を受けた直後のヒンツペーター氏
そして、民主化を求める国民世論の高まりに押された
軍事独裁政権が、崩壊を前に断末魔の叫びをあげて
いた1986年、ついには、氏自身が弾圧の犠牲者に
なってしまう。
氏は、ソウルの街頭で取材中、複数の治安関係者から
激しい暴行を受け、脊椎(せきつい)を損傷してしまい、
記者生活からの引退を余儀なくされた。
1987年、韓国で民主化運動が輝かしい勝利を収め、
大統領直接公選制が宣言された現場に、カメラを
回す氏の姿はなかった。
韓国はジャーナリストとしての氏に不朽の名声を
与えると同時に、氏からジャーナリスト生命と
健康な肉体を奪った。
このドキュメンタリーを見るまで「ヲタク」も詳しくは
知らなかった人物ではあるが、日本でも、もっと
知られていい、真に尊敬に値するドイツ人記者である。
なお、2017年には、この勇敢なドイツ人記者の活躍を
描いた韓国映画「タクシー運転手 約束は海を越えて」が、
韓国内で1200万を超える観客を動員する大ヒットを
記録した。
■싸움의 기술 「喧嘩わざ」 -----
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2019年に公開されたインディーズ系の学園アクション。
テコンドーの選手だった主人公の高校生が、転校先の
高校の番長や近隣校の番長をテコンドーわざで倒す。
しかし、各校の番長を通じて上納金を吸い上げている
地域の大番長との勝負では、テコンドーわざが通用せず、
相手の喧嘩わざにこっぴどくやられてしまう。
主人公が大番長への復讐を誓ったところで、映画は
終わる。
(終わり)