ちょっと思ったのだけど、レンカノからスタートした和也と千鶴の関係って、絡めてからの「見合い話」のようなものじゃない。
親の都合で、必ずしも意中ではない人と付き合い始めるという点で。
千鶴の言う、「もうただの「嘘」じゃない」にしても、そういうことだよね。
嘘、というか「フリ」から始めたけれど、「フリ」をしているうちに周りのしがらみがどんどん増えていって、いつしか「フリ」だってことなんて忘れてしまうくらい「現実」のものになってしまう。
とはいえ、入り口が「フリ」から入ってしまったがゆえに、互いに、必要以上に「ほんもの」であることを求めてしまう。
しかも、千鶴からすれば「彼女(仮)」を勢いで勧めてしまったルカのことや、そもそもの「フリ」のきっかけとなったマミという曲者も残っている。
生真面目な千鶴は、こうしたことを一つ一つ整理しないと納得できないのかもしれないけれど、ひとつ、千鶴に決定的に欠けているのは、生きることは個人作業ではなく共同作業であるということに鈍感であること。
千鶴の場合、やっぱり、親を早くに亡くして、祖父母に育てられた、というのが影響を与えすぎているのかもしれない。
人ととりあえず距離をおいてしまう。
もっとも、その性格が「他人になりきる」ことを求める女優にはむしろ向いているのだろうが。。。。
逆に、女優になる、という夢を、他人との間に壁を作ることを正当化してしまっている。
それが、八重森というところの「面倒くさい」、ガードの硬すぎる正確に行き着いてしまっている。
でも、大事なのは、和也いうところの「分け合う」ってやつで。
例の、墨ちゃんと一緒にお台場で泣いたときに言っていたこと。
その、時にはもたれかかってもいい、という真理を千鶴にわからせるのが、これからの話なんだろうなぁ。
とはいえ、この物語が和也に対して「塩対応」すぎるよなぁ、と思うのは、和也が何度か、自分たちの関係が嘘だ、というのを、ばーちゃんたちに伝えようと申し出ているのに、その度に、偶然の事件や、あるいは、千鶴やルカちゃんの強い意志で止められてしまっていること。
特に、千鶴からは、余命幾ばくとなった小百合おばーちゃんの前では「(嘘のままで)それでいいじゃない」と、仕方ないじゃん、って困った顔で言われていること。
だって、これ、和也からすれば、関係破棄はできない以上、自分の魅力なり好感度をあげるしかないわけで。。。
もちろん、実際、作中では、この後、ものすごく和也は一直線に頑張るんだけどね。
でも、それにしたって、もはや多重債務の返済みたいな長い道のりが待っているわけで。
その過程をしかし、端折らずに描こうと思ったら、周りが彼をもり立てる話があったり、彼自身がやっぱりクズだなぁ、と思わせるような性もないエピソードが挟まれても仕方ない。
だって、必要なのは、実際の時間を重ねて、和也が千鶴の横に立ち続けていいんだって、鉄壁の心wの千鶴に思わせるしか、この呪いから逃れる手立てはないのだから。
それもあって、客観的に突っ込む役として、八重森が投入されたのだと思っている。
多分、この物語は、本物の「恋心」を見つける物語なんだと思う。
そのために、物語の入り口を「嘘」や「フリ」から始めた。
フェイクから始まって、最後はオーセンティックに向かうって話。
その意味では、超・王道の恋愛もの。
その過程で、水原千鶴の鎧を着けた〈一ノ瀬ちづる〉が、自然体の自分に戻る話でもあるはず。
151話まで来てはっきりしたのは、もはや千鶴のほうが「レンカノ」を、和也との間をつなぐ理由にしていること。
千鶴のほうが「レンカノ」であることに依存している。
というか、対和也で曖昧な態度を維持し続けるために、「レンカノ」として出会ったことを隠れ蓑にしている。
ただ、そうした千鶴の性格が発端となった、この頑なまでの膠着状態は、予想を超えて徹底されてしまい、作者的にも困ってしまったようで、
なので、唐突に八重森というメタ発言キャラを登場させて、読者の不満(実は作者のいらだちでもある)を代弁させるようにしたり、
海くんに、千鶴の本音を聞き出す役をさせたり、
あるいは、
小百合おばあさんの容態を突如悪くしたりと、
あれこれ手を尽くして、千鶴の鎧を無理やりこじ開けようとしている。
もっとも、千鶴が和也に懇意を抱いていることはもはや既定路線で、
小百合おばあさんの一件は、映画製作を含めて、千鶴の本音を明らかにさせるための事件。
問題は、千鶴が和也のことをちゃんと意識するようになってから、どうなるか?
で、ここで十中八九、介入してくるのがマミだよね。
ありえそうなこととしては、まず、千鶴がレンカノをしていたことを世間にバラして、千鶴の女優人生を出だしから躓かせようとする、
あるいは、マミもレンカノして、同じテーブルに上ってきて、実はヤンデレでした、とアピールするとか。
ただ、正直にいえば、この小百合おばあさんの一件からそう時間を置かずに、きれいに最終回を迎えたほうがいいんじゃないかとも思って。
でないと、ズルズルと30巻超えコースに行ってしまいそうで、怖いw
親の都合で、必ずしも意中ではない人と付き合い始めるという点で。
千鶴の言う、「もうただの「嘘」じゃない」にしても、そういうことだよね。
嘘、というか「フリ」から始めたけれど、「フリ」をしているうちに周りのしがらみがどんどん増えていって、いつしか「フリ」だってことなんて忘れてしまうくらい「現実」のものになってしまう。
とはいえ、入り口が「フリ」から入ってしまったがゆえに、互いに、必要以上に「ほんもの」であることを求めてしまう。
しかも、千鶴からすれば「彼女(仮)」を勢いで勧めてしまったルカのことや、そもそもの「フリ」のきっかけとなったマミという曲者も残っている。
生真面目な千鶴は、こうしたことを一つ一つ整理しないと納得できないのかもしれないけれど、ひとつ、千鶴に決定的に欠けているのは、生きることは個人作業ではなく共同作業であるということに鈍感であること。
千鶴の場合、やっぱり、親を早くに亡くして、祖父母に育てられた、というのが影響を与えすぎているのかもしれない。
人ととりあえず距離をおいてしまう。
もっとも、その性格が「他人になりきる」ことを求める女優にはむしろ向いているのだろうが。。。。
逆に、女優になる、という夢を、他人との間に壁を作ることを正当化してしまっている。
それが、八重森というところの「面倒くさい」、ガードの硬すぎる正確に行き着いてしまっている。
でも、大事なのは、和也いうところの「分け合う」ってやつで。
例の、墨ちゃんと一緒にお台場で泣いたときに言っていたこと。
その、時にはもたれかかってもいい、という真理を千鶴にわからせるのが、これからの話なんだろうなぁ。
とはいえ、この物語が和也に対して「塩対応」すぎるよなぁ、と思うのは、和也が何度か、自分たちの関係が嘘だ、というのを、ばーちゃんたちに伝えようと申し出ているのに、その度に、偶然の事件や、あるいは、千鶴やルカちゃんの強い意志で止められてしまっていること。
特に、千鶴からは、余命幾ばくとなった小百合おばーちゃんの前では「(嘘のままで)それでいいじゃない」と、仕方ないじゃん、って困った顔で言われていること。
だって、これ、和也からすれば、関係破棄はできない以上、自分の魅力なり好感度をあげるしかないわけで。。。
もちろん、実際、作中では、この後、ものすごく和也は一直線に頑張るんだけどね。
でも、それにしたって、もはや多重債務の返済みたいな長い道のりが待っているわけで。
その過程をしかし、端折らずに描こうと思ったら、周りが彼をもり立てる話があったり、彼自身がやっぱりクズだなぁ、と思わせるような性もないエピソードが挟まれても仕方ない。
だって、必要なのは、実際の時間を重ねて、和也が千鶴の横に立ち続けていいんだって、鉄壁の心wの千鶴に思わせるしか、この呪いから逃れる手立てはないのだから。
それもあって、客観的に突っ込む役として、八重森が投入されたのだと思っている。
多分、この物語は、本物の「恋心」を見つける物語なんだと思う。
そのために、物語の入り口を「嘘」や「フリ」から始めた。
フェイクから始まって、最後はオーセンティックに向かうって話。
その意味では、超・王道の恋愛もの。
その過程で、水原千鶴の鎧を着けた〈一ノ瀬ちづる〉が、自然体の自分に戻る話でもあるはず。
151話まで来てはっきりしたのは、もはや千鶴のほうが「レンカノ」を、和也との間をつなぐ理由にしていること。
千鶴のほうが「レンカノ」であることに依存している。
というか、対和也で曖昧な態度を維持し続けるために、「レンカノ」として出会ったことを隠れ蓑にしている。
ただ、そうした千鶴の性格が発端となった、この頑なまでの膠着状態は、予想を超えて徹底されてしまい、作者的にも困ってしまったようで、
なので、唐突に八重森というメタ発言キャラを登場させて、読者の不満(実は作者のいらだちでもある)を代弁させるようにしたり、
海くんに、千鶴の本音を聞き出す役をさせたり、
あるいは、
小百合おばあさんの容態を突如悪くしたりと、
あれこれ手を尽くして、千鶴の鎧を無理やりこじ開けようとしている。
もっとも、千鶴が和也に懇意を抱いていることはもはや既定路線で、
小百合おばあさんの一件は、映画製作を含めて、千鶴の本音を明らかにさせるための事件。
問題は、千鶴が和也のことをちゃんと意識するようになってから、どうなるか?
で、ここで十中八九、介入してくるのがマミだよね。
ありえそうなこととしては、まず、千鶴がレンカノをしていたことを世間にバラして、千鶴の女優人生を出だしから躓かせようとする、
あるいは、マミもレンカノして、同じテーブルに上ってきて、実はヤンデレでした、とアピールするとか。
ただ、正直にいえば、この小百合おばあさんの一件からそう時間を置かずに、きれいに最終回を迎えたほうがいいんじゃないかとも思って。
でないと、ズルズルと30巻超えコースに行ってしまいそうで、怖いw