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白鳥のブログ - 日々の世界を徒然と

ソードアート・オンライン アリシゼーション War of Underworld 第18話『記憶』感想2: とはいえキリトが復活する現場にシノンとリーファが居合わせないのってひどくない?

2020-08-16 19:57:12 | SAO/AW
いや、18話についてはすでに書いたように興味深く楽しんだのだけど、

しかし、ふと思いついたけど、あのキリトの復活場面にシノンとリーファがいないのって、普通に考えてひどくない?

二人とも窮地に立ったキリトを助けるためにやってきて、すでにアバターとはいえ、四肢欠損の痛みを何度も味わっているというのに。。。

その犠牲の上で、今回のキリトの復活があったと思うのだけど。

確かに、システムの上ではフラクトライトの「記憶」を補うところでシノンとリーファは多大な貢献をしているわけだけど、でも、それはあくまでもシステム上の問題であって、自分たちの記憶や想いが、実際にキリトの復活に役立った、という意識は、アスカですらないわけだから、シノンやリーファにわかりようがない。

テキストを読んでいると、そういうところは気づかずに終わってしまうけど、絵で表すとやっぱり気になってしまう。

まぁ、次回、本格的にキリト無双という形で復活劇が描かれるところで、シノンやリーファもその事実に気がつく、という描写があるのかもしれないけれど。

ちょっと、なんだかなー、と思った。


そういう意味では、18話でキリトが復活するときに、クラインやリズたちが単なるギャラリーのように棒立ちで見守っていた、というのもねー。

まぁ、それをいったら、アスナがマザーズロザリオを駆使してプーに一矢報いようとしているところでも、単に周りから見ているだけ、というのもね。。。

こういうところ、監督の小野学って、手を抜くよね。

多分、伊藤智彦だったら、キリトの復活劇のところは、もっとリリカルに感動的な形に構成していたと思う。

小野学って、なんていうか、戦闘やアクションを描くのは上手いかもしれないけれど、それだけだよね。

アニメを使って何を表現するのか、というところがすっぽり抜ける。

無駄にグロとかは一生懸命やるけど。。。


というわけで、次に続く「ユナイタル・リング編」をアニメにするときは、ぜひ、伊藤智彦にしてほしい。

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魔王学院の不適合者 第7話『母の言葉』 感想

2020-08-16 02:26:16 | 魔王学院
なんていうか、とにかく、エミリアという、陰険な女教師に対するお仕置きが全て!って感じの回だったw

そして、無駄に頑張りを見せたアノス親衛隊wの面々。

まさか応援歌を歌うとは思わなかったけどw

で、歌を歌っただけで終わり?と思っていたら、全身全霊を傾けて、みんなでアノスママの護衛に徹するのだから。

で、みんなエミリアのせいで丸焦げ?ってのは容赦ないよねw

でも、そんな惨状も回復魔法を使ってしまえばもとに戻ってしまう、というのも、お約束だなーと思ったりして。

で、その親衛隊の忠義にきちん応えるアノス。

マジで魔王だねw

で、挙句の果てに、エミリアは、アノスの魔法によって、純血ではなく混血としての生を何度も繰り返す無限地獄の刑に処されてしまったのだから。

嫌がらせをさせたらピカイチという、魔王の性格がここでも現れていて。

いやー、ホント、いい性格しているよ、アノスは。


で、ひとりだけアノス班入りを果たしたミサは、別行動でレイの母の看病にあたっていた。

なるほどね、これでレイとミサの距離が縮まるわけね。

あれ、結局、レイの母親は助かったのかな?

次回あたり、彼女の存在を増す「伝承」が特定されたりするのだろうか?

ともあれ次回、ようやく「アノスvsレイ」の対戦。

はたしてシルリンは、ものすごい剣技を表すようなものすごく動きのある映像を用意してくれるのだろうか?

気合が入ったときのシルリンは一味違うので、ちょっと期待したりしているw

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ソードアート・オンライン アリシゼーション War of Underworld 第18話『記憶』感想: タイトル通りSAO世界における「記憶」の意味を考えさせられた回。そして待ちに待ったキリトの復活!

2020-08-16 02:10:59 | SAO/AW
いやー、長かったねー、ようやく、キリトが復活!

まぁ、肝心のVSプーは次回までお預けなわけだけど。

でも、アスナ、シノン、リーファのもつキリトの「記憶」だけは立ち上がれなかったのが、ユージオの「記憶」が加わってようやく復活、というのは、なんていうか、キリトにとってユージオが別格の存在だというのを表しているようで、不思議なところだよね。

ちょうど、アスナがユウキに背中を押されて立ち上がることができたのと同じように。

なんていうか、キリトにとってはユージオが、アスナにとってはユウキが、それぞれ守護霊みたいな形になっているのがちょっと笑える。

もっとも、マザーズロザリオをもってしてもプーを倒せないのには、ちょっとビックリだけどね。

逆に、プーが強キャラすぎでしょ!という気もするのだけど。

このプー無双については、原作を読んでいた時も、こいつ、なんでこんなに強いの???って疑問に思ったし。

でもまぁ、アンダーワールドの世界は、結局のところ、「心意」、つまりは思いの強さが力になる世界だから、愛憎が深いほど、力が発揮される、ということで。

そういう意味では、プーのキリトに対する執着ってのも半端ないということだよね。

でもまぁ、それも次回、キリトがプーに引導を渡すことで決着が着くわけだけど。


でもさぁ、ちょっと冷静になって考えると、前回のユナといい、今回のユウキといい、アンダーワールドとは直接関係のない二人がそれぞれ現れたのは、SAO世界としてはちょっと興味深い。

もちろん、ユウキはユナのように実体化はしていないわけだけど。

というか、原作ではユナの登場はないので、単にアスナがユウキのことを思い出すことで、ユウキの力を借りた、というふうに読んでいたのだけど、

でも、ユナが登場した後だと、あれ、もしかしてユウキの記憶もまたSAOサーバーの中に散在していて、それがアスナを起点にしてかき集められたようにも思えて、その意味ではユナのように、ユウキに関する記憶をサルベージしたら、今のバーチャル・ユナのような形でユウキも復活できるのかもしれない。

いや、そう思ったのは、前回も触れた『オーディナルスケール』の中でも、最後の決戦のところで、アスナはユウキのマザーズロザリオを繰り出すところがあって、あの場面でも、アスナの姿にユウキの姿が重なって表現されていて。

もちろん、最初に見たときは、単にイメージとして二人の姿をダブらせているだけのように思えたのだけど、でも、ユナを介してオーディナルスケールとこのアンダーワールドもシステム的に共通する部分があるとわかると、もしかしたらSAOサーバーのシステムの効果として「本当に」ユウキの姿がアスナに憑依したように表現されていたのかもしれない。

で、なんでこんなことにこだわっているのかというと、アクセル・ワールドを含めたSAOユニバースにおいて、

AIと人間知性は、サイバーワールドにおいてどれほどの違いがあるのか?いやほとんどかわらないのではないか?

という問いが、物語の底流に、いわばサブテキストとしてずっと問われ続けているように思えるから。

で、そこで鍵になるのが、今回のタイトルでもあった「記憶」で。

どんな形式であれ、「記憶」があれば人間は人間としての「存在」を再構築できる、というふうに捉えれているように思えて。


そう思うと、今回、キリトが、キリトの内面で記憶として思い出したことが、まずサチたちとの出来事だった、というのが象徴的で。

サチ、って子の存在も、SAO世界では忘れた頃にフッとそういえば・・・って感じで、登場してくる人なわけだけど。

確か、SAOの第22巻の「ザ・デイ・アフター」という短編で、キリトを介して死んだサチの記憶がアスナに干渉して幽霊のような現象が生じていたはずで。

そうした「残留思念」のようなものが少なからずSAOの世界では生じているようなんだよね。

なので、冒頭で「サチ」が登場したのも、サチの残留思念という「記憶のかけら」がキリトに干渉して、キリトに対して、あなたはこちらに来てはいけない、まだ目覚めることができるから、と呼びかけたように思えて。

そういう意味で、やっぱり、このWoUって、SAO世界の集大成のように思えるのだよね。


もっとも、こんな風に気付けるのも、文字ではなく映像で表現されたものを見たからで。

テキストだと、読者にイメージさせるために書かれていたものが、映像だと実際に登場人物たちと同じレベルではじめからそこに「描かれて」いるからなのだけど。

つまり、原作だと、サチやユウキ、あるいはユージオの姿を、読者が自らイメージしないといけないから、その時点で、アスナやキリトとは別次元の存在と思ってしまうわけど。

つまり、魂とか霊のようなものとして、勝手に解釈してしまうのだけど。

でも、映像の場合は、視聴者がイメージするまでもなく、映像としてそこにサチの姿やユウキの姿が具体的に描かれてしまうので、もしかしたら、アスナやキリトのような存在と大して変わらないのではないか、と思えてしまう。

だって、ユージオなんか、最後は、魂をいわば抜き取られて青薔薇の剣のなかに封じ込められたような形で、つまりは、付喪神のような存在にされたわけでしょ?

でも、それはあくまでもアンダーワールドという「視聴覚インターフェース」のオブジェクトとしてそう表現されているだけのことであって、ユージオの「魂=フラクトライト」は多分、変わらずあるわけじゃない?

いや、輪廻転生、的に捉えていいのだろうけど。

でも、そういう感じで、かなりSAO世界をデジタルワールドとして大胆に解釈してもいいような気がしてきていて。

で、その点でも、やっぱりSAOのアリシゼーションの前に、オリジナルの「オーディナルスケール」が挟み込まれてことの意味は、思っていた以上に大きいように思えるんだよね。


いやまぁ、こうした解釈の仕方は、もちろん、今回の18話の話とは直接的には関係のないことかもしれないけれど。

でも、SAO/AWを追いかけてきたものとしては、シリーズというかユニバース全体の成り立ちのほうが気になってしまうんだよね。

でも、さっき触れた第22巻の内容とか、むしろ、著書自身が、後付けでもいいから、SAO世界の解釈について、新たな切り口を与えようとしているように思うのだよね。

そういう意味で、今回の、サチとユウキの登場は興味深かかった。

あぁ、はやく原作の新刊も出ないかなぁ。

SAOの原作もウェブ時代に書かれたときから数えると20年近く経っているわけで、当然、その間の技術の変化や、脳科学や哲学の変化を踏まえれば、より精緻な世界を想像することもできると思うんだよね。

で、実際、それを原作者は試みようとしているようにも見えて。

そういう意味で、今回のUoW編は、いろいろと発見があるように思っている。


もっとも、それはともあれ、次回、ようやく復活したキリトの無双に期待w

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