観たくて今まで観られなかった「生写朝顔話」が、今回の文楽の最後の演目であった。
芸州岸戸の家老の息女深雪(簔助)が大内家の侍・宮城阿曽次郎(後に駒沢次郎左衛門(玉女))に宇治川での蛍狩りで恋に落ち深い仲になる。
明石浦で再会して逢瀬を楽しむ、駆け落ちする為に両親への書置きを残すべく船に戻るが、嵐が近づき出船騒ぎで岸を離れて生き別れとなる。
深雪に縁談が持ち上がり、相手が阿曽次郎本人でありながら、叔父である大内家の家老駒沢の家督を継ぐ為に阿曽次郎は駒沢次郎左衛門に改名した事が分からずに、これを嫌って家出して全国を彷徨うが、泣き腫らして盲目となる。
島田宿で、駒沢は、宿屋の部屋の衝立に自分が書き送った朝顔の唱歌が書かれているのを見て、盲目の門付芸人・朝顔の存在を知り、座敷に呼んで琴を弾かせるが、相方の所望で語った身の上話で深雪だと知る。
しかし、敵方のウルサイ奴が旅の相棒で側にいるので名乗り出せずに、出立する。
胸騒ぎがして帰ってきた深雪は、駒沢の残した扇の詩で阿曽次郎であることを知って、死に物狂いで後を追いかけ大井川に差し掛かる。
しかし、駒沢は出発した後で、大水となって川止めとなる。
思いつめて恋一筋に生きる深雪の四度に亘る悲劇的なすれ違いを脚色した女の恋の物語であるが、本来なら玉男が遣うのであろう、玉女が、簔助と一緒になって素晴しい舞台を見せてくれた。
最後は、大井川べりで、駒沢が残した薬を飲んで深雪の目が開く。
今回は、「明石浦船別れの段」「宿屋の段」「大井川の段」だけだが、冒頭、阿曽次郎と深雪のしっぽりとした小船での逢瀬など実に優雅で情感たっぷりの美しい舞台であった。
宇治川での、蛍狩りでの出会いと言うが、宇治は、源氏物語宇治十帖の舞台でもある。
平家物語の先陣争いでも有名なように流れの速い川でもあるが、中州で囲まれた支流は穏やか、何れにしろ、この場面が上演されれば詩情豊かな美しい舞台になるであろうと想像して見ていた。
ところで、島田宿での宿屋の段だが、朝顔(深雪)が、琴を弾き、夫恋しの身の上話を語る。
玉女の駒沢は、斜交いに構えて天を仰いで瞑目して聞いていて堪りかねて顔を覆う。
「ヲヲ朝顔とやら大儀であった。初めて聞いた身の上話。若しその夫が聞くならば、さぞ満足に思うであろう。」と言う。
”深雪は何か気にかかり、座敷仕舞ふてうとうとと、また立ちかえる・・・”
虫の知らせか宿に引き返した深雪は、宿の主人から駒沢の残した扇を見せられて、扇面に『宮城阿曽次郎事、駒沢次郎左衛門』と書いてあるのを聞いて夫であったことを知る。
”エ、知らなんだ、知らなんだ、知らなんだ、知らなんだ、知らなんだ、知らなんだわいなあ。”
動転した深雪の人形がのた打ち回る愁嘆場。
追いかけようとするのを宿の主人は、暗い雨の夜、盲目の身で危ない危ないと止めるが、”たとへ死んでも厭ひはせぬ”と、"突き退け、はね退け、杖を力に降る雨も、いつかな厭はぬ女の念力、跡を慕ふて”、簔助の深雪の人形が主人を突き飛ばして半狂乱になって駆け出して行く。
豊竹嶋大夫と語りと鶴澤清介の三味線が肺腑を抉る。
話の腰を折るようだが、養老先生の説を敷衍すると盲目の深雪の聴覚には違いの分かる力があって、駒沢の声を聞いて夫であることを予感したと思われる。
この段で、深雪は、鶴澤清丈の琴に乗せて華麗に琴を演奏するが、あそこでも凛とした演奏をする阿古屋での簔助の舞台を思い出した。
それに、大井川で、駒沢に会えずに柱にしがみ付いて嘆き悲しむ姿や川に身投げしようとする姿は、娘道成寺と二重写しになって哀切極まりない。
大谷晃一先生によると、文楽の女は、ただひたすらに男を思う真実心、誠の心で、”恨み辛みは露ほども、夫を思う真実心なおいや増さる憂き思い”であり、義理も人情もそこから生まれると言う。
やはり、封建時代の大阪の文楽の世界、化石のように凍りついたある時代の美意識だと言うことかも知れないが、胸に応える。
世界遺産に登録された年には満員御礼であったが、最近は文楽の公演も空席が多くなってしまった。
一寸寂しい気がしている
芸州岸戸の家老の息女深雪(簔助)が大内家の侍・宮城阿曽次郎(後に駒沢次郎左衛門(玉女))に宇治川での蛍狩りで恋に落ち深い仲になる。
明石浦で再会して逢瀬を楽しむ、駆け落ちする為に両親への書置きを残すべく船に戻るが、嵐が近づき出船騒ぎで岸を離れて生き別れとなる。
深雪に縁談が持ち上がり、相手が阿曽次郎本人でありながら、叔父である大内家の家老駒沢の家督を継ぐ為に阿曽次郎は駒沢次郎左衛門に改名した事が分からずに、これを嫌って家出して全国を彷徨うが、泣き腫らして盲目となる。
島田宿で、駒沢は、宿屋の部屋の衝立に自分が書き送った朝顔の唱歌が書かれているのを見て、盲目の門付芸人・朝顔の存在を知り、座敷に呼んで琴を弾かせるが、相方の所望で語った身の上話で深雪だと知る。
しかし、敵方のウルサイ奴が旅の相棒で側にいるので名乗り出せずに、出立する。
胸騒ぎがして帰ってきた深雪は、駒沢の残した扇の詩で阿曽次郎であることを知って、死に物狂いで後を追いかけ大井川に差し掛かる。
しかし、駒沢は出発した後で、大水となって川止めとなる。
思いつめて恋一筋に生きる深雪の四度に亘る悲劇的なすれ違いを脚色した女の恋の物語であるが、本来なら玉男が遣うのであろう、玉女が、簔助と一緒になって素晴しい舞台を見せてくれた。
最後は、大井川べりで、駒沢が残した薬を飲んで深雪の目が開く。
今回は、「明石浦船別れの段」「宿屋の段」「大井川の段」だけだが、冒頭、阿曽次郎と深雪のしっぽりとした小船での逢瀬など実に優雅で情感たっぷりの美しい舞台であった。
宇治川での、蛍狩りでの出会いと言うが、宇治は、源氏物語宇治十帖の舞台でもある。
平家物語の先陣争いでも有名なように流れの速い川でもあるが、中州で囲まれた支流は穏やか、何れにしろ、この場面が上演されれば詩情豊かな美しい舞台になるであろうと想像して見ていた。
ところで、島田宿での宿屋の段だが、朝顔(深雪)が、琴を弾き、夫恋しの身の上話を語る。
玉女の駒沢は、斜交いに構えて天を仰いで瞑目して聞いていて堪りかねて顔を覆う。
「ヲヲ朝顔とやら大儀であった。初めて聞いた身の上話。若しその夫が聞くならば、さぞ満足に思うであろう。」と言う。
”深雪は何か気にかかり、座敷仕舞ふてうとうとと、また立ちかえる・・・”
虫の知らせか宿に引き返した深雪は、宿の主人から駒沢の残した扇を見せられて、扇面に『宮城阿曽次郎事、駒沢次郎左衛門』と書いてあるのを聞いて夫であったことを知る。
”エ、知らなんだ、知らなんだ、知らなんだ、知らなんだ、知らなんだ、知らなんだわいなあ。”
動転した深雪の人形がのた打ち回る愁嘆場。
追いかけようとするのを宿の主人は、暗い雨の夜、盲目の身で危ない危ないと止めるが、”たとへ死んでも厭ひはせぬ”と、"突き退け、はね退け、杖を力に降る雨も、いつかな厭はぬ女の念力、跡を慕ふて”、簔助の深雪の人形が主人を突き飛ばして半狂乱になって駆け出して行く。
豊竹嶋大夫と語りと鶴澤清介の三味線が肺腑を抉る。
話の腰を折るようだが、養老先生の説を敷衍すると盲目の深雪の聴覚には違いの分かる力があって、駒沢の声を聞いて夫であることを予感したと思われる。
この段で、深雪は、鶴澤清丈の琴に乗せて華麗に琴を演奏するが、あそこでも凛とした演奏をする阿古屋での簔助の舞台を思い出した。
それに、大井川で、駒沢に会えずに柱にしがみ付いて嘆き悲しむ姿や川に身投げしようとする姿は、娘道成寺と二重写しになって哀切極まりない。
大谷晃一先生によると、文楽の女は、ただひたすらに男を思う真実心、誠の心で、”恨み辛みは露ほども、夫を思う真実心なおいや増さる憂き思い”であり、義理も人情もそこから生まれると言う。
やはり、封建時代の大阪の文楽の世界、化石のように凍りついたある時代の美意識だと言うことかも知れないが、胸に応える。
世界遺産に登録された年には満員御礼であったが、最近は文楽の公演も空席が多くなってしまった。
一寸寂しい気がしている