熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

團菊祭五月大歌舞伎・・・昼の部

2006年05月23日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   3年ぶりの團菊祭だとか、兎に角、今を時めく團十郎と菊五郎の歌舞伎界での活躍と人気は大したもので、今回は、團十郎の病気平癒の記念すべき舞台でもあって昼の部は大入り満員。子供に是非見せたいと言って、主婦が二人の子供の手を引いて、いそいそと3階の幕見席に上って行った。

   團十郎の登場したのは「外郎売」の一幕だけだが、お客さんはこれを見たくて来ているのであるから、揚幕の陰から團十郎の外郎売の凛と透き通った第一声を聞いて緊張、花道に登場すると掛け声とやんやの喝采。
   途中で菊五郎と二人の口上が入り、華やかな舞台に花を添えた。
   この外郎売は、海老蔵襲名披露公演で披露する筈が病気で断念したようだが、あの外郎の効能を説明する為に述べる意味不明で一種ナンセンスだが面白い長台詞を、團十郎は、リズム感と抑揚を付けて立て板に水、実に爽やかに詠うように述べて元気印をアピールした。

   それぞれの祖父達が初演したと言う「江戸の夕映え」を、團十郎演出で、元の三之助が、若さ溢れた実にフレッシュな舞台を展開した。
   サンフランシスコ講和条約が発効して日本が独立を取り戻した翌年、日本開国100年記念の1953年に大佛次郎が書いた歌舞伎のための作品。
   明治初年の江戸を舞台に、時代の激動期に生きた庶民の生き様を描いたしっとりした江戸情緒豊かな作品である。

   官軍が支配し始めた江戸、許婚お登勢(松也)に去り状を残して、軍艦に乗って新天地蝦夷地へ向かう本田小六(海老蔵)。
   それを止める武士に見切りを着けて町人になった堂前大吉(松緑)と相棒柳橋芸者おりき(菊之助)。
   結局夢破れて零落して帰ってきた小六を、飯倉坂の蕎麦屋で見つけた大吉がお登勢に会うことを勧めるが、小六は武士の体面と男の意地で拒絶する。
   蕎麦屋の小僧が迎えに出ておりきとお登勢を呼んできてハッピィ・エンドとなるのだが、同じ旗本ながら、現実的な大吉と理想主義的で折り目をきっちりつけたい小六との対比が、時代の陰を映していて興味深い。
   祖父や父達の舞台は分からないが、真面目一徹で一本気な旗本を演じる海老蔵、現実的で庶民的な江戸の粋な男を演じる松緑、しっとりとして色気があり情緒たっぷりの芸者を演じる菊之助など孫達は実にはまり役で上手い。

   官軍はあまり良くは描かれていないが、お登勢に横恋慕する参謀吉田逸平太(亀蔵)を毅然たる態度で拒絶し官軍に靡かなかった父・松平掃部を演じた團蔵の凛とした爽やかな幕末武士の姿に感動した。
   それに、お登勢を演じた松也の何と初々しくて、そして、実に健気で優しい天然記念物のような乙女、あの素晴しい芸は何処から来るのか、実に感動的でじっと凝視していた。
   
   最後の岡本綺堂作の「権三と助十」だが、江戸の長屋を舞台にした世話物。   小間物屋彦兵衛が殺人罪で誤って捉えられた大岡裁きの事件で、真犯人を見た駕篭かき権三(菊五郎)と助十(三津五郎)が、権三の女房(時蔵)おかんや家主六郎兵衛(左團次)や助十の弟助八(権十郎)など長屋の愉快な住人を巻き込んでの引き起こす出来事を、長屋の年中行事井戸替えをバックに演じる。

   江戸の長屋の住人を演じれば右に出るものが居ない人間国宝尾上菊五郎に粋で男気を前面に押し出した芸達者な三津五郎がガップリと四つに組んでの面白い舞台。
   夜の部の「傾城反魂香」の吃音の又平の舞台との鮮やかな対比を考えれば、三津五郎の達者ぶりは特筆もので、NHKの功名が辻の明智光秀とも大分違った芸の世界である。
   昔、蜷川幸雄の「近松心中物語」で、樋口可南子との舞台を観たが、あの時から注目しており、今度の山田洋次監督の「武士の一分」を楽しみにしている。

   魁春もそうだが、時蔵の長屋のおかみ・おかんも秀逸で、庶民の女をやらせれば実に味があって上手い。
   左團次だが、いつもの骨太で厳つい舞台姿と違って人情味豊かな庶民の味を上手く出して大家を好演している。
   役人石子伴作の彦三郎と小間物屋彦兵衛の田之助は、ほんの一寸出の舞台だが、そこは重鎮で存在感十分である。
   とにかく、このような肩の凝らなくて楽しく愉快な舞台はいくら見ても良い。

   いずれにしろ、今度の團菊祭歌舞伎だが、團十郎復帰記念人気だけではなく、中身も充実した素晴しい舞台であること請け合いである。
   
   
   
コメント (1)
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