熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

日本の風景写真・四季のいろ

2006年05月17日 | 生活随想・趣味
   数寄屋橋の富士フォトサロンで、第2回日本風景写真協会選抜展「四季のいろ」が開かれていて、素晴しい日本の風景が展示されている。
   デジカメ時代ではあるが、プロの、そして、ハイアマチュアのフォト世界では、依然銀塩フィルムが主体で、正に富士フィルムの独壇場である。

   クリステンセンのイノベーション論で言うように、持続的イノベーションを追及してきた富士写真フィルムも、写真の世界では、アグファや小西六の様にコアで城を明け渡して、結局、電子の保存媒体に移行せざるを得なくなって行くのであろうか。
   或いは、芸術としての写真に更に磨きをかける為に写真フィルムの持続的イノベーションを続けていくのであろうか。
   
   何れにしろ、富士ゼロックスの小林会長は、電子フィルムの時代の到来だと言われていたが、富士フィルムも社名から写真を外したし、フィルムはフィルムでも、時代の変遷とイノベーションによって大きく変わって行く。

   ところで、プロとアマで結成されたこの風景写真協会の写真だが、実に美しく感動的な写真が多く、まだ、日本の自然の風景も捨てたものではないなあ、と感じさせてくれる。
   東南アジアの田舎にしか残っていないと思っていたのだが、今でも日本のどこかに少しは残っているのであろうか、棚田をテーマにした写真が何点かあって、夕日や薄明かりに照らされて何処か懐かしい輝きを見せる日本の農村風景が旅情を誘う。

   奈良県の室生村で写した「月下の舞」と言う写真は、月明かりに鈍く反射した川面に無数に舞うホタルの光跡を長時間露光で捉えた幻想的な写真で、古い子供の頃の田舎を思い出させてくれて感慨一頻りであった。

   自然の風景を写しても、例えば、日本の湿度の高い高温で何処か気だるい夏や厳しい冬の寒さなど日本の自然環境を色濃く感じさせ、その空気が写っている感じがして正に日本の写真である。
   しかし、やはり時代の流れか、古くて懐かしい日本の伝統や文化を感じさせてくれる風景写真は殆どなくなってしまっている。
   
   奈良に行き、東大寺の戒壇院に向かって歩いていると今でも入江泰吉と表札の架かった簡素な家があるが、あの入江泰吉が残した懐かしい奈良の風景や風物は殆ど今の奈良には残っていないし、大原の三千院近くにも何十年前にはまだ茅葺の農家が残っていたが、もうそんな懐かしい日本の風景は消えてしまっている。

   原田泰治の描く童謡やわらべ歌が聞こえてくるような心の故郷の風景は絵画の世界だけになってしまったのであろうか。
   そう思いながら、懐かしい風景を探したが、この写真展では見つからなかった。

   ヨーロッパの古い伝統のある国には、今でも何百年前の住居や街に人が住んでいて、服装さえ変えれば、完全にタイムスリップしてしまえる。
   イギリスには、ふっとシェイクスピアが飛び出してきても不思議ではないような路地裏などいくらでもあり、実に、懐かしい。
   経済成長をテーマに勉強して、人間社会のの進歩の為に貢献できればと思って建設や開発事業に携わって頑張ってきたのだが、コンクリートと鉄とガラスのジャングルに少しづつ違和感を感じ始めて来たのは、年の所為かも知れない、そんなことを思う昨今でもある。
   
コメント
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