熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

薔薇とクレマチス、芍薬

2006年05月16日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   私の庭も、先月には咲き乱れていた椿が終わって急に寂しくなってしまった。
   いま、咲いているのは、薔薇(キャプリス・ド・メイアン)とクレマチス、それに、芍薬が咲き始めて、沢山花をつけたホタルブクロも大きく膨らみ始めた。
   春の花で残っているのは、パンジーやスミレなどのスミレ系で、枝が広がりすぎて先の方が地面を這っている。

   それに、ひっそりと下草のように咲いているのがミヤコワスレで、この花は、宿根草で、もう20年以上も前に植えたのだが、毎年、忘れずに咲いてくれている。
   同じ宿根草でも、今年は、福寿草は咲いてくれなかった。

   クレマチスとホタルブクロ、それに、ミヤコワスレは青紫色で、何となく清清しい初夏の雰囲気を醸し出してくれている。
   アジサイの株も一株だけ残っているが、これも小さな蕾をつけているので、梅雨の頃には鮮やかな青色に咲いてくれるであろう。
   それが終わる頃には、庭一面に露草が張り出して庭を覆うので、適当に間引くのだが、朝に咲いたかと思うと陽が高くなると直に儚く萎れてしまう。

   椿の木は一斉に新芽を出して大きく伸びているが、これも種類によって個体差があり、早く大きく育って欲しい木ほど何故だか成長が遅い。

   最近のように雨が多いと、花木や雑草が急に繁茂し始めて、ムンムンむせ返るほど緑が庭を支配して息苦しくなって来たので、少し剪定をしたり間引かなければならないと思っている。
   
   余談だが、友人に日本植木協会の会長がいる。
   朴訥な水戸っぽだが、れっきとした一橋大学の商学部を出たインテリの植木屋なのだが、日頃は、ゼネコンの下請けで造園等緑化工事で安くやれ安くやれと言われて困っているのだと嘆いている。
   日本の緑化や庭園芸術には一家言を持っているのだが、昔のように庭を愛して大切に日本の文化伝統の美しさを守ろうとする今様お殿様がいないので、維持管理にコストをかけられない庭や公園が多くなって少しづつ荒廃しているのだと言う。

   昔は、お殿様が小堀遠州等素晴しい造園家を挙って登用して素晴しい庭園の創造を競ったし、英国でも、王家や貴族達が卓越した芸術感覚を具えたガーディナーに素晴しい庭園を創らせ、今でも、各地に美の極地とも言うべきイングリッシュガーデンが沢山残っていて人々を魅了している。
   庭園の場合は、造園そのものも大切だが、その維持管理、年間のメインテナンスが大切で、素晴しい技量を備えたガーディナーとしての資質持った人材の確保が必須だと言うのだが、日本と同様に、外国でも伝統的な寺院・教会や歴史建造物を作ったり修復できる有能な職人が不足しているように、職人芸の劣化は目を覆うばかりだと言う。

   休日などには、ガーディニング・センターなど、DIYや園芸店、緑化関係の量販店は大変な賑わいで、個人的な園芸ブームは続いている。
   しかし、公共関係の公園・緑化関連予算は削減され続けており、そのメインテナンスが杜撰になりつつあって、街路樹や公共的な公園などは、益々安易な維持管理が行われるようになっているので、緑の環境と景観が悪化していると言う話も聞かれる。

   最近では日本の植木がヨーロッパでも人気が出て輸出され始めている。
   一風変わった日本趣味が広がるのが良いことか悪いことか分からない。
   しかし、世界の国をあっちこっち歩いて見て公園や緑の文化遺産などを見て来たが、やはり、日本庭園の美しさとその芸術性、そしてその深い精神性は卓越していると思うので、その伝統は大切にすべきだと思っている。
コメント
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