久しぶりに大阪に行ったのだが、元々関西人でありながら長く離れてしまっている所為か、時々一寸した違和感に似たものを感じることが多くなった。
阪神間で生まれて育ち、関西で教育を終えて関西拠点の会社に入ったのだが、大阪万博後に本社の東京移転に伴って20代の後半に関西を離れて、それ以降は、関東と海外で過ごしてしまって関西にはずっと帰っていない。
東京に移転した時には、今は昔、60と50の電気のサイクルの違いで電気製品を皆変えたり、色々戸惑いを感じたが、その中でも、TVの番組で吉本新喜劇のドタバタ・ナンセンスの舞台がなかったことを、何故か、強烈に覚えている。
今度大阪に行った時も、夜中にTVを見ていると、NHKでさえ深夜12時に上方漫才を放映していたし、他の番組も似たり寄ったりで吉本の喜劇役者や漫才、落語の面々が出てきてバラエティ番組で笑いを振り撒いている。
それに、コマーシャルは、完全に阪神の選手である。
入社当時大阪にいた頃は、時々、吉本の花月劇場などに出かけて、漫才や新喜劇を見て楽しんでいた。
ミヤコ蝶々やダイマルラケット、藤山寛美も元気だったし、子供の頃には森光子も関西の漫才師と一緒に舞台に立っていた筈である。
西川きよしの奥さんのヘレンさんも変な外人を舞台で演じていたし、とにかく、今ほど吉本が東京に進出していなかったので、吉本の世界は大阪そのものであった。
テレビの録画撮りとちゃうさかいにええやないか、と言って結構羽目を外して際どい台詞も飛び出すなどパンチが利いて面白かった。
藤山寛美の舞台や上方落語などは別にして、吉本の漫才や新喜劇には特に難しい理論も筋書きもなく、とにかく、ナンセンスでも何でも話術の世界に聴衆を引き摺り込んで笑わせる、そんな世界であったが、何の役にも立たなくても、あほとちゃうか思っても、又、性懲りもなく見に行くのである。
山田洋次監督が、子供の時映画館に連れて行かれて笑い転げたと言っていたが、大阪の人は、他人の目など気にせずに徹底的に笑いの世界に入り込む。
大阪の新世界のどや街の劇場では、人生の底辺で辛酸を嘗め尽くした人たちが聴衆なので、正真正銘腹の底からの本当の笑いでなければ笑わない。極めて厳しい観客を相手に、上方のお笑い芸人は、ここで洗礼を受けるのだと聞いたことがある。
私は、学生の頃、何故か劇場の前まで行ったのに入れなかったが、今では貴重な経験をミスったと思っている。いずれにしろ、まだまだ、日本に復興期の息吹と馬力があった頃の話である。
近松門左衛門や井原西鶴は、やはり、正真正銘大阪の世界で、歌舞伎や文楽の和事の世界を育んだ土壌であるが、昨日、国立劇場で文楽を鑑賞していて、やはり、この世界は大阪弁の世界だと思った。
江戸歌舞伎の荒事の世界はやはり大阪文化には一寸距離があり、それに、一寸ひねったウイットに富んだ風刺や見栄、それに、理知的でエスプリの利いた粋さはない。
最近は、大阪に行っても出かけて行くのは、日本橋の国立文楽劇場だけで、吉本や歌舞伎劇場には行っていない。
東京文化が、どちらかと言えば、英国やドイツのようなアングロサクソン・ゲルマン系に近いとすれば、大阪文化はラテンヨーロッパ系に近いかも知れない。一寸派手でカラフルで、情の勝った世界と言えば言えないことはない。
先日このブログで書いたダニエル・ピンクの言うように、これから、情緒的で右脳型人間で芸術肌の人間が主導権を握る時代になって行くのなら、もう一度、大阪、上方の時代が復活して来るのかも知れない。
余談だが、電車に乗っていて気付いたのは、東京と比べて、大阪では女性専用者の車両が中央近くにあって便利なこと、そして、エスカレーターの歩行者側がイギリスと同じ左側であること、東京ほど、社内での携帯電話の使用について注意していないし張り紙もないので、若い女の子が大口を開けて喋っていても周りであまり気にしていない風であった。
地下鉄が、深夜12時前に終電が終わってしまうのだが、経済力の地盤沈下か一寸寂しい感じがした。
阪神間で生まれて育ち、関西で教育を終えて関西拠点の会社に入ったのだが、大阪万博後に本社の東京移転に伴って20代の後半に関西を離れて、それ以降は、関東と海外で過ごしてしまって関西にはずっと帰っていない。
東京に移転した時には、今は昔、60と50の電気のサイクルの違いで電気製品を皆変えたり、色々戸惑いを感じたが、その中でも、TVの番組で吉本新喜劇のドタバタ・ナンセンスの舞台がなかったことを、何故か、強烈に覚えている。
今度大阪に行った時も、夜中にTVを見ていると、NHKでさえ深夜12時に上方漫才を放映していたし、他の番組も似たり寄ったりで吉本の喜劇役者や漫才、落語の面々が出てきてバラエティ番組で笑いを振り撒いている。
それに、コマーシャルは、完全に阪神の選手である。
入社当時大阪にいた頃は、時々、吉本の花月劇場などに出かけて、漫才や新喜劇を見て楽しんでいた。
ミヤコ蝶々やダイマルラケット、藤山寛美も元気だったし、子供の頃には森光子も関西の漫才師と一緒に舞台に立っていた筈である。
西川きよしの奥さんのヘレンさんも変な外人を舞台で演じていたし、とにかく、今ほど吉本が東京に進出していなかったので、吉本の世界は大阪そのものであった。
テレビの録画撮りとちゃうさかいにええやないか、と言って結構羽目を外して際どい台詞も飛び出すなどパンチが利いて面白かった。
藤山寛美の舞台や上方落語などは別にして、吉本の漫才や新喜劇には特に難しい理論も筋書きもなく、とにかく、ナンセンスでも何でも話術の世界に聴衆を引き摺り込んで笑わせる、そんな世界であったが、何の役にも立たなくても、あほとちゃうか思っても、又、性懲りもなく見に行くのである。
山田洋次監督が、子供の時映画館に連れて行かれて笑い転げたと言っていたが、大阪の人は、他人の目など気にせずに徹底的に笑いの世界に入り込む。
大阪の新世界のどや街の劇場では、人生の底辺で辛酸を嘗め尽くした人たちが聴衆なので、正真正銘腹の底からの本当の笑いでなければ笑わない。極めて厳しい観客を相手に、上方のお笑い芸人は、ここで洗礼を受けるのだと聞いたことがある。
私は、学生の頃、何故か劇場の前まで行ったのに入れなかったが、今では貴重な経験をミスったと思っている。いずれにしろ、まだまだ、日本に復興期の息吹と馬力があった頃の話である。
近松門左衛門や井原西鶴は、やはり、正真正銘大阪の世界で、歌舞伎や文楽の和事の世界を育んだ土壌であるが、昨日、国立劇場で文楽を鑑賞していて、やはり、この世界は大阪弁の世界だと思った。
江戸歌舞伎の荒事の世界はやはり大阪文化には一寸距離があり、それに、一寸ひねったウイットに富んだ風刺や見栄、それに、理知的でエスプリの利いた粋さはない。
最近は、大阪に行っても出かけて行くのは、日本橋の国立文楽劇場だけで、吉本や歌舞伎劇場には行っていない。
東京文化が、どちらかと言えば、英国やドイツのようなアングロサクソン・ゲルマン系に近いとすれば、大阪文化はラテンヨーロッパ系に近いかも知れない。一寸派手でカラフルで、情の勝った世界と言えば言えないことはない。
先日このブログで書いたダニエル・ピンクの言うように、これから、情緒的で右脳型人間で芸術肌の人間が主導権を握る時代になって行くのなら、もう一度、大阪、上方の時代が復活して来るのかも知れない。
余談だが、電車に乗っていて気付いたのは、東京と比べて、大阪では女性専用者の車両が中央近くにあって便利なこと、そして、エスカレーターの歩行者側がイギリスと同じ左側であること、東京ほど、社内での携帯電話の使用について注意していないし張り紙もないので、若い女の子が大口を開けて喋っていても周りであまり気にしていない風であった。
地下鉄が、深夜12時前に終電が終わってしまうのだが、経済力の地盤沈下か一寸寂しい感じがした。