西暦79年、イタリアのヴェスヴィオス火山が爆発して一日にして光り輝いていたローマの都市ポンペイとその周辺都市を地中に埋没させてしまった。
その豪奢で活気溢れていたローマ文化をその日を最後に化石のように凍結してしまったのだが、その輝きを蘇らせて展示しているのが、今、渋谷の東急Bunkaburaのザ・ミュージアムで開かれている「ポンペイの輝き」展で、大変な人で賑わっている。
沢山の素晴しい宝飾品や日常の生活道具から、壁画や彫像等目を見張る素晴しい歴史的な遺品、そして、溶岩に飲み込まれて死んでいった人々の断末魔の姿や逃げ場を失って死んでいった人々の骸骨などが会場一杯に展示されていて、一種異様な興奮状態にさせる雰囲気である。
私が特に注目したのは、この口絵の「竪琴弾きのアポロ」を中心とした3面の壁画で、最近描いたと思えるほど新鮮で鮮やかな輝きのフレスコ画である。
高さ2.5メートル、幅5メートルほどの壁画3面で、真ん中にアポロ、そして左右に2対のムーサ(ミューズ)が描かれており、他の2面も綺麗なムーサが3体づつ描かれている。
このアポロは、ここを訪問した皇帝ネロを描いたものだとも言われているとか。
ポンペイ郊外のモレージネ地区で、1959年に高速道路建設中に見つかったが工事続行の為に埋め戻されて1999年に再発掘されたものだが、2000年の間、この新鮮さを保てたのは、地下水にどっぷり浸かっていたお蔭で腐食も変色もしなかったのだと言う。
もう一つは、会場入り口に素晴しい姿を見せるパピルス荘で発掘された「ヘラの全身像」と「アマゾンの頭部」の2体の大理石像である。
実に美しい彫刻で、アマゾンの頭部は、ルーブルのミロのビーナスに匹敵する美しさであり、それが、目の前に無造作に置いてあり感激である。
このパピルス荘は、カエサルの義父ルキウス・カルプニウス・ピソ・カエニウスのものだったとかで、1750年に発見され膨大な歴史遺品を輩出したと言う。
兎に角、金の指輪や装飾品の数は夥しく、その精巧さと美しさにはビックリするが、皮肉にも、火山の大爆発の為に一瞬にして埋没した為に、歴史的な遺品として残ったのであり、ローマのフォロロマーノの遺跡には何も残っていないのと比較すると面白い。
私は、1985年に、丁度、ヨーロッパに赴任した年に家族とこのポンペイを訪れて、廃墟の街を歩いている。
実際には、それ以前の1973年にアメリカ留学中にヨーロッパ旅行をして、ポンペイの入り口まで来たのだが閉館で入れなかった。
午前中にナポリに入ったのだが、まず、ホテルにチェックインしてからと思ってホテルに入り昼食を取ったのが悪かった。
兎に角ここはイタリア、簡単なはずの昼食が中々出てこなくて、その上イタリア語が分からず四苦八苦して2時間以上を無駄にして、駅に向かってローカル列車に乗ったのは良かったが中々着かず、着いたら時間切れ、最初の異国旅はそんなものであった。
1985年の時は、ローマを拠点にしてバス・ツアーを利用して出かけたのでポイントは見学出来たが、何故か、殆ど記憶はない。
凄い街が当時建設されていたのだなあと感に堪えなかったが、細かいことは、綺麗な壁画の前で女画家が壁画を模写していてその絵を買ったことなど僅かしか覚えていない。
そんなことどもなど、何度かのイタリア旅を思い出しながら小一時間会場で過ごしたが、充実した楽しい時間であった。
その豪奢で活気溢れていたローマ文化をその日を最後に化石のように凍結してしまったのだが、その輝きを蘇らせて展示しているのが、今、渋谷の東急Bunkaburaのザ・ミュージアムで開かれている「ポンペイの輝き」展で、大変な人で賑わっている。
沢山の素晴しい宝飾品や日常の生活道具から、壁画や彫像等目を見張る素晴しい歴史的な遺品、そして、溶岩に飲み込まれて死んでいった人々の断末魔の姿や逃げ場を失って死んでいった人々の骸骨などが会場一杯に展示されていて、一種異様な興奮状態にさせる雰囲気である。
私が特に注目したのは、この口絵の「竪琴弾きのアポロ」を中心とした3面の壁画で、最近描いたと思えるほど新鮮で鮮やかな輝きのフレスコ画である。
高さ2.5メートル、幅5メートルほどの壁画3面で、真ん中にアポロ、そして左右に2対のムーサ(ミューズ)が描かれており、他の2面も綺麗なムーサが3体づつ描かれている。
このアポロは、ここを訪問した皇帝ネロを描いたものだとも言われているとか。
ポンペイ郊外のモレージネ地区で、1959年に高速道路建設中に見つかったが工事続行の為に埋め戻されて1999年に再発掘されたものだが、2000年の間、この新鮮さを保てたのは、地下水にどっぷり浸かっていたお蔭で腐食も変色もしなかったのだと言う。
もう一つは、会場入り口に素晴しい姿を見せるパピルス荘で発掘された「ヘラの全身像」と「アマゾンの頭部」の2体の大理石像である。
実に美しい彫刻で、アマゾンの頭部は、ルーブルのミロのビーナスに匹敵する美しさであり、それが、目の前に無造作に置いてあり感激である。
このパピルス荘は、カエサルの義父ルキウス・カルプニウス・ピソ・カエニウスのものだったとかで、1750年に発見され膨大な歴史遺品を輩出したと言う。
兎に角、金の指輪や装飾品の数は夥しく、その精巧さと美しさにはビックリするが、皮肉にも、火山の大爆発の為に一瞬にして埋没した為に、歴史的な遺品として残ったのであり、ローマのフォロロマーノの遺跡には何も残っていないのと比較すると面白い。
私は、1985年に、丁度、ヨーロッパに赴任した年に家族とこのポンペイを訪れて、廃墟の街を歩いている。
実際には、それ以前の1973年にアメリカ留学中にヨーロッパ旅行をして、ポンペイの入り口まで来たのだが閉館で入れなかった。
午前中にナポリに入ったのだが、まず、ホテルにチェックインしてからと思ってホテルに入り昼食を取ったのが悪かった。
兎に角ここはイタリア、簡単なはずの昼食が中々出てこなくて、その上イタリア語が分からず四苦八苦して2時間以上を無駄にして、駅に向かってローカル列車に乗ったのは良かったが中々着かず、着いたら時間切れ、最初の異国旅はそんなものであった。
1985年の時は、ローマを拠点にしてバス・ツアーを利用して出かけたのでポイントは見学出来たが、何故か、殆ど記憶はない。
凄い街が当時建設されていたのだなあと感に堪えなかったが、細かいことは、綺麗な壁画の前で女画家が壁画を模写していてその絵を買ったことなど僅かしか覚えていない。
そんなことどもなど、何度かのイタリア旅を思い出しながら小一時間会場で過ごしたが、充実した楽しい時間であった。