日本橋高島屋で「時代とともに 山田洋次の原風景」展が開かれている。
主体は、山田洋次監督が採った45年間の懐かしい映画のパネル写真であるが、19分間のオリジナルビデオ「山田洋次の原風景」や8分間の「渥美清さんと山田洋次監督」、それに、古いニュース映画等が花を添えている。
やはり、中心になるのは寅さんの世界で、少し小さ目だが”くるまや”の玄関の間や茶の間等が設営されていて、懐かしい寅さんの下着などの入ったカバン等小道具も添えてあり雰囲気が出ている。
最後のコーナーには、年末に公開される「武士の一分」の見所や俳優達の紹介パネルや、そして、宝塚出身の壇れいの衣装が2点展示されていて、非常に期待を持たせてくれている。
会場のビデオでもう一つ素晴しかったのは、山田監督作品実景集で、寅さん映画の舞台になった日本の美しい田舎の風景を綴り合わせて特集されていて、NHKの番組などと一味違った感動的な作品であった。
その横に、土門拳の懐かしい日本の戦後の原風景である「筑豊のこどもたち」「団欒」「ゴミ捨て場」のモノクロの大型写真パネルが展示されていて、土門の風景を映画で表現したのが山田作品であることを語っている。
その反対側に、寅さんを撮った古い撮影カメラが2台、1キロスポット、YAMADAとネームが入った小さなダイレクターズ チェア3脚、メガホンが出展されていた。
前述の原風景等のビデオで山田洋次監督は、山紫水明で四季の移ろいと豊かな自然環境の日本とは全く違った茫漠とした満州の風景を比較しながら、自分の生い立ちや故郷日本への思いを語っている。
父親に映画館に連れて行かれて「笑うなよ」と言われたけれど面白くてケラけら笑って父を困らせたこと、日本の上野か浅草には長屋と言うものがあって熊さんとかが住んでいて面白い生活をしているのに憧れた話等をしていた。
長屋の住人らしき人物に始めて会ったのが渥美清で、二人で話し込んでいた時に渥美清がある的屋について話をして寅さんの映画が始まったらしい。
山田監督は「身につまされる」映画を撮りたいといっている。
私は、14年間海外に居たので、その間に山田作品を見る機会をミスっている。
しかし、まず最初は「下町の太陽」そして「家族」で、身につまされながらも素晴しい感動を感じた。
「黄色いハンカチ」「キネマの天地」一連の「学校」「息子」等直接見た映画は限られているが、夫々忘れられない強烈な印象を受けている。
寅さんシリーズは、映画館で直接見たのは僅かだが、JALの機内、ヨーロッパでの試写会、ビデオ、レーダーディスク、DVD等で全編、それも、何度も見ている。これは、殆ど、アムステルダムとロンドンに居た時で、帰国する度毎にビデオをダビングしたりレーダーディスクを買って帰ったりして、家族と一緒に故郷日本を思いながら繰り返し見た。
娘達は、夫々、日本とヨーロッパで、高校、大学、大学院と両方で教育を受けているが、ヨーロッパでのオペラやシェイクスピア経験と同様に、他の日本映画も結構ビデオで見ているものの、日本への思いや印象に寅さん映画が強烈な影響を与えていることは事実であり、今度のNHKの放映には格別な関心を持って楽しんでいる。
山田監督が満州にいた時に感じた日本への思いと同じ様なもの、そして日本への憧れを感じていたのかも知れない。私や妻さえも寅さん映画を見ながらどっぷりと日本に浸りきって故郷を感じていたのであるから一層そう思っている。
渥美清は、「おっちょこちょいで馬鹿で自己的で、そんな寅さんよりは一寸まともな人間が演じているのだと言うプライドを感じてやっていたが、その内に、良く似ているように感じてきた。人を笑わせるのが好きだし、その場を明るくするのが好きだし、寂しいのは嫌いだし・・・」そんなことを言っていた。
山田監督は、渥美清が、これから面白い話をするぞと思うだけで、もう面白くて笑ってしまって仕方がなかったと語っていた。
岡山の高梁でのお墓で写真を撮る場面の台本読み合わせのところを放映していたが映画ソノママ、横で真面目な顔をして台本を眺めていた志村喬との取り合わせが面白かった。
日本の原風景を描いた山田監督の社会性の強い生活映画や娯楽映画に一種のシェイクスピア劇の香りを感じながら私は見ていたし、それに、失われ行く日本の心と風景、風物、世相を感動を込めながら大切に封印するかのように切り取って残している気がして仕方がなかった。
それは、やはり土門拳の写真に相通じる世界なのかも知れない。
色々考えさせてくれる山田洋次監督45周年記念展示会であった。マドンナたちの特別スピーチも予定されていたが残念ながら時間が合わなかった。
主体は、山田洋次監督が採った45年間の懐かしい映画のパネル写真であるが、19分間のオリジナルビデオ「山田洋次の原風景」や8分間の「渥美清さんと山田洋次監督」、それに、古いニュース映画等が花を添えている。
やはり、中心になるのは寅さんの世界で、少し小さ目だが”くるまや”の玄関の間や茶の間等が設営されていて、懐かしい寅さんの下着などの入ったカバン等小道具も添えてあり雰囲気が出ている。
最後のコーナーには、年末に公開される「武士の一分」の見所や俳優達の紹介パネルや、そして、宝塚出身の壇れいの衣装が2点展示されていて、非常に期待を持たせてくれている。
会場のビデオでもう一つ素晴しかったのは、山田監督作品実景集で、寅さん映画の舞台になった日本の美しい田舎の風景を綴り合わせて特集されていて、NHKの番組などと一味違った感動的な作品であった。
その横に、土門拳の懐かしい日本の戦後の原風景である「筑豊のこどもたち」「団欒」「ゴミ捨て場」のモノクロの大型写真パネルが展示されていて、土門の風景を映画で表現したのが山田作品であることを語っている。
その反対側に、寅さんを撮った古い撮影カメラが2台、1キロスポット、YAMADAとネームが入った小さなダイレクターズ チェア3脚、メガホンが出展されていた。
前述の原風景等のビデオで山田洋次監督は、山紫水明で四季の移ろいと豊かな自然環境の日本とは全く違った茫漠とした満州の風景を比較しながら、自分の生い立ちや故郷日本への思いを語っている。
父親に映画館に連れて行かれて「笑うなよ」と言われたけれど面白くてケラけら笑って父を困らせたこと、日本の上野か浅草には長屋と言うものがあって熊さんとかが住んでいて面白い生活をしているのに憧れた話等をしていた。
長屋の住人らしき人物に始めて会ったのが渥美清で、二人で話し込んでいた時に渥美清がある的屋について話をして寅さんの映画が始まったらしい。
山田監督は「身につまされる」映画を撮りたいといっている。
私は、14年間海外に居たので、その間に山田作品を見る機会をミスっている。
しかし、まず最初は「下町の太陽」そして「家族」で、身につまされながらも素晴しい感動を感じた。
「黄色いハンカチ」「キネマの天地」一連の「学校」「息子」等直接見た映画は限られているが、夫々忘れられない強烈な印象を受けている。
寅さんシリーズは、映画館で直接見たのは僅かだが、JALの機内、ヨーロッパでの試写会、ビデオ、レーダーディスク、DVD等で全編、それも、何度も見ている。これは、殆ど、アムステルダムとロンドンに居た時で、帰国する度毎にビデオをダビングしたりレーダーディスクを買って帰ったりして、家族と一緒に故郷日本を思いながら繰り返し見た。
娘達は、夫々、日本とヨーロッパで、高校、大学、大学院と両方で教育を受けているが、ヨーロッパでのオペラやシェイクスピア経験と同様に、他の日本映画も結構ビデオで見ているものの、日本への思いや印象に寅さん映画が強烈な影響を与えていることは事実であり、今度のNHKの放映には格別な関心を持って楽しんでいる。
山田監督が満州にいた時に感じた日本への思いと同じ様なもの、そして日本への憧れを感じていたのかも知れない。私や妻さえも寅さん映画を見ながらどっぷりと日本に浸りきって故郷を感じていたのであるから一層そう思っている。
渥美清は、「おっちょこちょいで馬鹿で自己的で、そんな寅さんよりは一寸まともな人間が演じているのだと言うプライドを感じてやっていたが、その内に、良く似ているように感じてきた。人を笑わせるのが好きだし、その場を明るくするのが好きだし、寂しいのは嫌いだし・・・」そんなことを言っていた。
山田監督は、渥美清が、これから面白い話をするぞと思うだけで、もう面白くて笑ってしまって仕方がなかったと語っていた。
岡山の高梁でのお墓で写真を撮る場面の台本読み合わせのところを放映していたが映画ソノママ、横で真面目な顔をして台本を眺めていた志村喬との取り合わせが面白かった。
日本の原風景を描いた山田監督の社会性の強い生活映画や娯楽映画に一種のシェイクスピア劇の香りを感じながら私は見ていたし、それに、失われ行く日本の心と風景、風物、世相を感動を込めながら大切に封印するかのように切り取って残している気がして仕方がなかった。
それは、やはり土門拳の写真に相通じる世界なのかも知れない。
色々考えさせてくれる山田洋次監督45周年記念展示会であった。マドンナたちの特別スピーチも予定されていたが残念ながら時間が合わなかった。