ナショナル・ジオグラフィック5月号に、「英国皇太子チャールズの挑戦 農業と町づくり 独自の改革を進める」と言う記事が載っていた。
ヘレフォードシャー州の納屋の立替工事で建築家と打ち合わせている写真を掲載し、「彼は、14世紀以降、歴代皇太子が受け継いできたコーンウォール公領の改革に取り組んでいて、王室の威光と公領の経済力を活用し、環境や伝統を守りながら事業活動を行って、それが収益を生むことを示そうとしている。」と解説している。
チャールズ皇太子が、自分のコーンウォール公領で、環境に負荷をかけずに長く続けられる”持続可能な(Sustainable)”農業を様々な形で試みていることは有名な話で、自分の経営する有機食品会社ダッチー・オリジナルが燕麦で作ったオート・ミール入りビスケットが、スーパーのテスコや海外でも売れに売れて生産が間に合わない位だと報道されていた。
有機食品以外にも天然ウール製品や色々な牧畜農業関係の製品を売っていて、2000年に14億円だった公領収入が、2004年には27億円に跳ね上がったと言う。
私は、チャールズ皇太子が、現代の都市開発を嫌い、古き良き時代の心地よい田園生活をこよなく愛していることを知っている。
皇太子の道楽ではなく、徹頭徹尾の環境保護主義者であり古き良き英国を再現したいと思っていることは間違いない。
もう、18年ほど前になるが、ロンドンのシティで、私が、大きな都市開発プロジェクトを担当していた時に、シティ・コーポレーションが晩餐会を開催し、チャールズ皇太子がゲスト・スピーカーとして招待された。
その時、私は招かれて、数人のシティのお歴々と会場の前に並んで皇太子をお出迎えした。
シティでの開発プロジェクトについて少しご説明申し上げたが、「アーキテクトですか。」と聞かれた事だけは覚えているが、何を説明したのか何を言われたのか全く何も覚えていない。
この時の握手した手の感触と、少し後に、別なレセプションで同じ様にダイアナ妃をお迎えした時の彼女の柔らかい手の感触だけはかすかに残っている。
問題は、この時のチャールズ皇太子のスピーチの内容で、激しい口調で、当時ビックバンに湧くシティの乱開発について批判し、当時のシティの都市景観は、ナチスの空爆によって破壊された戦後のシティのスカイラインよりも遥かに酷いもので、「Rape of Britain」 だと糾弾したのである。
チャールズ皇太子のシティのイメージは、丁度セント・ポール寺院が軍艦のように洋上に浮かんでいるシティなのだが、既に周りの色々な高層ビルが寺院を威圧してしまっていた。
それに、悪いことに、イギリスの開発許可は、個々のプロジェクト毎に認可されるので、そのデザインについては統一性がなく、各個区々なので都市景観の統一性がないために、パリのように都市そのものの纏まりがなくて美観に欠ける。
その後、BBCがチャールズ皇太子のこの見解に沿った特別番組を放映し、チャールズ皇太子がテームズ川を行く船上から、「あの建物はパソコンみたいで景観を害する・・・」等々問題の建築物を一つ一つ批判したのである。
同時に、「A VISION OF BRITAIN A Personal View of Architecture」1989.9.8が出版されたので、チャールズ皇太子の一石が、英国建築界とシティ開発などに大きな波紋を投げかけて大論争になった。
この時、私の友人のアーキテクトが推進していたセント・ポール寺院に隣接するパターノスター・スクウェアー開発プロジェクトも頓挫してしまって、三菱地所による開発が完了したのはほんの数年前のことである。
この時のBBC番組のビデオ・テープと本は持って帰った心算だが、紛失してしまって今はない。
その後、もう一度、景観保護団体の集会があり、チャールズ皇太子を先頭にシティの古い街並みを歩きながら勉強する会があったので参加した。
この時は、後のレセプションでチャールズ皇太子と5分ぐらいお話しすることが出来た。
丁度、日本への訪日前だったので、興味を持たれて色々聞かれたが、日本の経済や会社の経営については非常に評価しているので勉強したいと言われていた。
ヘレフォードシャー州の納屋の立替工事で建築家と打ち合わせている写真を掲載し、「彼は、14世紀以降、歴代皇太子が受け継いできたコーンウォール公領の改革に取り組んでいて、王室の威光と公領の経済力を活用し、環境や伝統を守りながら事業活動を行って、それが収益を生むことを示そうとしている。」と解説している。
チャールズ皇太子が、自分のコーンウォール公領で、環境に負荷をかけずに長く続けられる”持続可能な(Sustainable)”農業を様々な形で試みていることは有名な話で、自分の経営する有機食品会社ダッチー・オリジナルが燕麦で作ったオート・ミール入りビスケットが、スーパーのテスコや海外でも売れに売れて生産が間に合わない位だと報道されていた。
有機食品以外にも天然ウール製品や色々な牧畜農業関係の製品を売っていて、2000年に14億円だった公領収入が、2004年には27億円に跳ね上がったと言う。
私は、チャールズ皇太子が、現代の都市開発を嫌い、古き良き時代の心地よい田園生活をこよなく愛していることを知っている。
皇太子の道楽ではなく、徹頭徹尾の環境保護主義者であり古き良き英国を再現したいと思っていることは間違いない。
もう、18年ほど前になるが、ロンドンのシティで、私が、大きな都市開発プロジェクトを担当していた時に、シティ・コーポレーションが晩餐会を開催し、チャールズ皇太子がゲスト・スピーカーとして招待された。
その時、私は招かれて、数人のシティのお歴々と会場の前に並んで皇太子をお出迎えした。
シティでの開発プロジェクトについて少しご説明申し上げたが、「アーキテクトですか。」と聞かれた事だけは覚えているが、何を説明したのか何を言われたのか全く何も覚えていない。
この時の握手した手の感触と、少し後に、別なレセプションで同じ様にダイアナ妃をお迎えした時の彼女の柔らかい手の感触だけはかすかに残っている。
問題は、この時のチャールズ皇太子のスピーチの内容で、激しい口調で、当時ビックバンに湧くシティの乱開発について批判し、当時のシティの都市景観は、ナチスの空爆によって破壊された戦後のシティのスカイラインよりも遥かに酷いもので、「Rape of Britain」 だと糾弾したのである。
チャールズ皇太子のシティのイメージは、丁度セント・ポール寺院が軍艦のように洋上に浮かんでいるシティなのだが、既に周りの色々な高層ビルが寺院を威圧してしまっていた。
それに、悪いことに、イギリスの開発許可は、個々のプロジェクト毎に認可されるので、そのデザインについては統一性がなく、各個区々なので都市景観の統一性がないために、パリのように都市そのものの纏まりがなくて美観に欠ける。
その後、BBCがチャールズ皇太子のこの見解に沿った特別番組を放映し、チャールズ皇太子がテームズ川を行く船上から、「あの建物はパソコンみたいで景観を害する・・・」等々問題の建築物を一つ一つ批判したのである。
同時に、「A VISION OF BRITAIN A Personal View of Architecture」1989.9.8が出版されたので、チャールズ皇太子の一石が、英国建築界とシティ開発などに大きな波紋を投げかけて大論争になった。
この時、私の友人のアーキテクトが推進していたセント・ポール寺院に隣接するパターノスター・スクウェアー開発プロジェクトも頓挫してしまって、三菱地所による開発が完了したのはほんの数年前のことである。
この時のBBC番組のビデオ・テープと本は持って帰った心算だが、紛失してしまって今はない。
その後、もう一度、景観保護団体の集会があり、チャールズ皇太子を先頭にシティの古い街並みを歩きながら勉強する会があったので参加した。
この時は、後のレセプションでチャールズ皇太子と5分ぐらいお話しすることが出来た。
丁度、日本への訪日前だったので、興味を持たれて色々聞かれたが、日本の経済や会社の経営については非常に評価しているので勉強したいと言われていた。