熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

團菊祭五月大歌舞伎・・・夜の部

2006年05月06日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   團十郎復帰のニュースで沸いている歌舞伎座であるが、まず、観たのは夜の部であったため團十郎の登場舞台はなかった。
   その代り、菊五郎父子の面白い舞台があって楽しかったし、海老蔵の何とも言えない女形の舞踊「藤娘」と一寸ニヒルで粋な小悪党牛若伝次の対照的な舞台に接するなどそれなりに團菊祭を楽しんだ。

   「黒手組曲輪建引」だが、市川小團次が座頭になった時に「助六」を演じたかったが、小柄で柄にもなかったので、河竹黙阿弥が代わりに講談の「花川戸助六」を素材に書き下ろした新作とかで、歌舞伎十八番「助六」のパロディー仕立ての世話物だと言う。
   もっともパロディー(PARODY)と言っても、特に、内容を変えて滑稽化や風刺化して元の作品をからかうと言った本来の意図はなくて、登場人物や話の中身を随所に取り入れて本歌取りをしたと言った感じである。
   なるほど、「助六」のあの部分はこのように利用されて脚色されているのか、などと思って観ていると結構面白いのだが、正直な所、「助六」がそれなりに素晴しい芝居なので、消化不良を感じて複雑な気持ちであった。
   
   序幕「忍ヶ岡道行の場」の新吉原三浦屋の新造・白玉(菊之助)と権九郎(菊五郎)が吉原を抜け出してくる道行は中々素晴しかった。
   菊之助の水も滴るイイ女は勿論だが、赤鼻で鼻下の髭剃り跡を青々とさせた暢気な父さんスタイルの菊五郎のいかれポンチの振られ役は秀逸で、NINAGAWA十二夜のマルボーリオを思い出させてくれた。
   派手な照明と映画音楽をバックに鴨の縫ぐるみで登場する場面は、一寸サービス過剰だと思うが、軽妙かつコミカルな道化風演技を天下一の美男の大役者が演じるのであるからこれは素晴しい。

   もう一方の花川戸助六の菊五郎は、座頭役者の風格で、大分シチュエーションが違うのだが、團十郎や仁左衛門の助六を思い出しながら観ていて結構楽しかった。
   30年ほど前に菊五郎も演じているのだが、近年は三津五郎、その前は猿之助が演じていた役のようで、團十郎は海老蔵の頃の役だったのが面白い。
   意休に対応する鳥居新左衛門の左團次や紀伊国屋文左衛門の梅玉、三浦屋女房お仲の田之助等夫々要所を固めていて上手い。
   残念だったのは、プロンプターの声が大きすぎて耳障りだった三浦屋揚巻の雀右衛門、素晴しい歌舞伎役者だと思っているが、あの島田正吾は、台詞が覚えられなくなったら止めると言っていたのを思い出した。
   
   ところで、今回の夜の部で興味深かったのは、菊之助の「安名」と海老蔵の「藤娘」で、女形と立役を入れ替えての舞踊で、初役と言うが、若くて美しいはつらつとした実に華麗な舞台を見せてくれた。
   父團十郎の八汐や岩藤を見ているので海老蔵の華麗さが良く分かるし、それに、女形も立役も素晴しい父菊五郎の舞台を観ていると菊之助の立役の将来も楽しみである。

   近松門左衛門の「傾城反魂香 将監閑居の場」は、以前に一度だけ、吉右衛門と雀右衛門の舞台を観ている。
   吃音故に土佐の名字を貰えない絵師又平と妻おとくの悲哀の人生を、三津五郎と時蔵が実に丁寧に思い入れたっぷりに演じていて感動的であった。
   師匠将監の彦三郎の風格と威厳、控え目だが存在感十分の北の方の秀調の立ち居振る舞いなど脇が堅くて素晴しい。
   この芝居だけでは、どうしても唐突で浮いてしまう感じの狩野雅楽之助の松緑が、本来の颯爽とした威勢のいい舞台姿を見せてくれた。
   
   休憩の時、ロビーで山田洋次監督を見かけたが、寅さんには、旅回りの劇団は良く出てきたが、歌舞伎は一度も出てこなかったような気がする。
   もっとも、故片岡仁左衛門の素晴しい陶芸師が素晴しかったのが印象に残っている。
   

   
   
コメント
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