神尾和寿「子羊ツアー」(「ガーネット」48)。ちょっとおもしろい。いや、かなりおもしろい。そして、とてもかなしい。この「かなしい」がうまくことばにならない。どの連でもいいのだが2連目を引用してみる。
リズムがいい。これは省略が効いているということだ。余分な説明がない、というより説明する気がない。さらにいえば、説明なんかいるもんか、という雰囲気がいい。
ハダシか。そうか、夜中の火事にあわてて靴を履く暇がなかった。そうだろうなあ。気づいてから狼狽したのか。そうか、「狼狽」とは、よくつかうことばだが、そんなときに「狼狽」というのか。
説明がないにもかかわらず、妙に納得してしまう。
たぶん、「ツアー」(旅行)というのは、そういう気分なのだなあ。「ほーっ」と日常を忘れてしまう。しかし、その「ほーっ」にはなぜか日常が、奥の方で残っている。
それが「かなしい」。
「窓と 胸元を」からの4行も、奇妙にこころに入り込んでくる。
肉体が納得していて、こころも薄々感じている、しかし頭でははっきりとは理解していない。そういうことがらが、ありきたりの「口語」で書かれている。「口語」であることが「かなしい」につながっているのだと思う。
肉体では知り尽くしている。こころは知っているけれど知らんぷりをしたがっている。頭は、その関係を整理できずにいる。そういう「口語」、知らずに口をついて出てしまうことば、その「かなしみ」のようなものが神尾の詩にはある。
「
皆様の方から
右手に
出現してまいりますのは、
巨大な観音像でございまして、
ハダシ
と 地元の人からは
呼ばれて すがりつかれております。
何となれば、
夜中の火事に 慌ててしまった結果
と 言い伝えられております。 これから
このバスは
狼狽のにおいを嗅ぐために、
彼女の足元に ぐっと近づいてまいります。
窓と 胸元を
全面にお開けいただけましたなら。
度肝を抜いて
旋回。
」
リズムがいい。これは省略が効いているということだ。余分な説明がない、というより説明する気がない。さらにいえば、説明なんかいるもんか、という雰囲気がいい。
ハダシか。そうか、夜中の火事にあわてて靴を履く暇がなかった。そうだろうなあ。気づいてから狼狽したのか。そうか、「狼狽」とは、よくつかうことばだが、そんなときに「狼狽」というのか。
説明がないにもかかわらず、妙に納得してしまう。
たぶん、「ツアー」(旅行)というのは、そういう気分なのだなあ。「ほーっ」と日常を忘れてしまう。しかし、その「ほーっ」にはなぜか日常が、奥の方で残っている。
それが「かなしい」。
「窓と 胸元を」からの4行も、奇妙にこころに入り込んでくる。
肉体が納得していて、こころも薄々感じている、しかし頭でははっきりとは理解していない。そういうことがらが、ありきたりの「口語」で書かれている。「口語」であることが「かなしい」につながっているのだと思う。
肉体では知り尽くしている。こころは知っているけれど知らんぷりをしたがっている。頭は、その関係を整理できずにいる。そういう「口語」、知らずに口をついて出てしまうことば、その「かなしみ」のようなものが神尾の詩にはある。