詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

茨木のり子を読む

2006-03-29 14:21:09 | 詩集
 現代詩手帖4月号が茨木のり子追悼特集を組んでいる。あらためて茨木の詩を読み直した。(引用の作品は現代詩手帖4月号から)

沖に光る波のひとひら
ああそんなかがやきに似た
十代の歳月
風船のように消えた
無知で純粋で徒労だった歳月
うしなわれたたった一つの海賊箱   (「根府川の海」)

 「無知」。この自覚が茨木の出発点であろう。何に対する無知か。「わたしが一番きれいだったとき」を読むとそれがわかる。

わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていった
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落してしまった

わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

 社会の動きに対して無知だった。社会に対してどう行動していいか知らなかった、ということだ。これは「十代」には特別かわったことではない。まして茨木が十代を生きた戦中のことを思うと、そこで起きていることに対して明確な自覚を持ち、行動をとるということは難しい。
 それでも茨木は「無知」と書く。「無知」を「わたしの頭はからっぽ」と言い換えて自覚することをおこたらない。いや、自覚を、さらに奥深いものにしていく。
 「根府川の海」で「無知で純粋だった」と書かれていたことばは、この作品では「頭はからっぽ」「心はかたくな」と書き換えられている。「無知」と「頭はからっぽ」はきわめて近いが、「純粋」と「心はかたくな」はかなりニュアンスが違う。「純粋」と信じていたものは、本当は「かたくな」なだけだったかもしれない。
 自己をみつめるだけではなく、他人をみつめ始めている。他人に対する寛容が、ここにある。それは同時に茨木自身への寛容でもある。「無知」だったことを許す。受け入れる。「純粋」だったことを許す。受け入れる。この寛容があって、茨木のことばは多くの読者に(現代詩をあまり読まない読者にも)とどくものとなる。
 そして、この寛容は、もう一度「無知」へとかえってきて、大変身をとげる。「木の実」に茨木の到達した世界がある。

高い梢に
青い大きな果実が ひとつ
現地の若者は するする登り
手を伸ばそうとして転り落ちた
木の実と見えたのは
苔むした一個の髑髏である

ミンダナオ島
二十六年の歳月
ジャングルのちっぽけな木の枝は
戦死した日本兵のどくろを
はずみで ちょい引掛けて
それが眼窩であったか 鼻孔であったかはしらず
若く逞しい一本の木に
ぐんぐん成長していったのだ

生前
この頭を
かけがえなく いとおしいものとして
掻抱いた女が きっと居たに違いない

小さなこめかみのひよめきを
じっと視ていたのはどんな母
この髪に指をからませて
やさしく引き寄せたのは どんな女(ひと)
もし それが わたしだったら……

絶句して そのまま一年の歳月は流れた
ふたたび草稿をとり出して
嵌めるべき終行 見出せず
さらに幾年かが 逝く

もし それが わたしだったら
に続く一行を 遂にに立たせられないまま

     (4連目の「こめかみ」は本文は漢字。表記できないのでひらがなで代用)

 「無知」は単に「頭がからっぽ」ということではない。社会の動きを知らないということではない。社会に対してどう行動をとるべきか知らないということではない。
 「無知」には常に感情、こころがついてまわっている。「純粋」とか「かたくな」とか、ことばにしてしまえる感情、こころだけではない。ことばにしようとしてことばにできない感情、思いが、いつもついてまわっている。
 茨木は突然それを自覚する。
 「もし それが わたしだったら……」。どうするか、茨木は言うことができない。1年たっても、何年かたっても、どうするかを言うことができない。実際に行動するのではなく、どう行動するか、その想像さえできない。
 人には、そういう瞬間があるのだ。誰でも、どうしていいかわからないことがあるのだ。
 人はみな「無知」だった。人はみな「純粋」だった。それは茨木だけのことではない。そして多くの人は「無知」だったとことばにすることも、「純粋」だったとことばにすることもできない。しようとしても、そのことばがみつからない。
 ことばにできないことがらに出会って、茨木は、多くの人が、またことばにできずに生きているということを知ったのだろう。そういう人と一緒に生きているのが世界だと知ったのだろう。

 茨木の詩は倫理的である。説教くさい部分がある。しかし、それは、そうしたことばを言いたくても言えない多くの人がいると知っているから、それを書かずにはいられないのだろう。
 「自分の感受性くらい」にしろ「倚(よ)りかからず」にしろ、それは他者への叱責ではなく、読者に対して、「あなたもこんなふうに怒りをことばにしてみたいとおもうときがあるでしょ、わたしと一緒にあなたも怒りをことばにしてみませんか?」という誘いかけである。
 読者は茨木の詩を読むとき、茨木のことばを読みながら、同時に、同じことばが自分のなかから立ち上がってくるのにあわせ、声を出すのである。茨木の声に自分の声を重ね、それを自分の声にするのである。
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