監督 今敏 制作 マッドハウス
キャラクターのアニメーションが特徴的である。陰影が強調される。影がスムーズに描かれるのではなく、真夏の真昼の影のように深く刻まれる。網膜に強烈に焼きつく感じがする。それがそのまま潜在意識を照らす強い光になり、「夢」そのものを感じさせる。特に、悪夢を。逃れたいのに逃れられない悪夢を。夢がなんといっても怖いのは、それが異常なまでにくっきりと見えることである。見たくないものまでくっきり見えてしまう。その怖さが、網膜そのものを刺激する。
アニメならではのシーンの連続--というところなのだと思う。この映画の評価はアニメの可能性を最大限に生かしているということにつきると思う。思うけれど……。
私はアニメを見ながら、これを実写で見ることができたらどんなにおもしろいだろうと感じた。アニメなのに、アニメを忘れ、実写を切望していた。
焦点がすべての存在にあたって、何もかもがくっきり見える。そして、それをどうすることもできない。何かしようとすると必ず障害物があらわれる。それも理不尽な形で。そういうことは実際の世界ではありえない。ありえない世界であるからこそ、それを実写で見たい、という欲望がわきおこる。
筒井康隆がパンフレットで「もしかするとこの作品、おれの一番の傑作だったかもしれない」とつい思わされてしまいました、と書いているが、そう、そんなふうに、アニメであることを忘れるのである。小説のすごさを感じさせるし、これが実写だったらと、とてもとても強く感じるのである。アニメを見ながら、欲望のなかで、ほとんど実写を見ている。そんな錯覚に陥る。アニメだから、という安心感がない。というより、そういう安心感を拒否してスクリーンを見つめてしまう。
ちょっと、いや、かなり異常な体験であった。この体験は、まだことばにできない。ことばにならない。
キャラクターのアニメーションが特徴的である。陰影が強調される。影がスムーズに描かれるのではなく、真夏の真昼の影のように深く刻まれる。網膜に強烈に焼きつく感じがする。それがそのまま潜在意識を照らす強い光になり、「夢」そのものを感じさせる。特に、悪夢を。逃れたいのに逃れられない悪夢を。夢がなんといっても怖いのは、それが異常なまでにくっきりと見えることである。見たくないものまでくっきり見えてしまう。その怖さが、網膜そのものを刺激する。
アニメならではのシーンの連続--というところなのだと思う。この映画の評価はアニメの可能性を最大限に生かしているということにつきると思う。思うけれど……。
私はアニメを見ながら、これを実写で見ることができたらどんなにおもしろいだろうと感じた。アニメなのに、アニメを忘れ、実写を切望していた。
焦点がすべての存在にあたって、何もかもがくっきり見える。そして、それをどうすることもできない。何かしようとすると必ず障害物があらわれる。それも理不尽な形で。そういうことは実際の世界ではありえない。ありえない世界であるからこそ、それを実写で見たい、という欲望がわきおこる。
筒井康隆がパンフレットで「もしかするとこの作品、おれの一番の傑作だったかもしれない」とつい思わされてしまいました、と書いているが、そう、そんなふうに、アニメであることを忘れるのである。小説のすごさを感じさせるし、これが実写だったらと、とてもとても強く感じるのである。アニメを見ながら、欲望のなかで、ほとんど実写を見ている。そんな錯覚に陥る。アニメだから、という安心感がない。というより、そういう安心感を拒否してスクリーンを見つめてしまう。
ちょっと、いや、かなり異常な体験であった。この体験は、まだことばにできない。ことばにならない。