詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

清岡卓行論のためのメモ(15)

2007-01-23 12:08:48 | 詩集
 現代詩文庫165 「続続・清岡卓行詩集」(思潮社、2001年11月20日発行)。
 「穀物と女たち」(『駱駝のうえの音楽』)は「四個の女子泥俑」を描いた詩である。そのなかにに「円き広場」を連想させることばがある。

楽しむにしろ 倦むにしろ
また和むにしろ 恨むにしろ
ゆるやかな 忘我に近い時間の流れだ。
対象のない ふしぎな郷愁の
風もゆるやかに吹きぬける。

 「四個の女子泥俑」は「円き広場」である。そこから放射状に伸びる道が楽しむことだったり倦むことだったりする。「四個の女子泥俑」を通ることでどこへでも通じる。そうしたことを「忘我に近い時間」と清岡は呼んでいる。それに近いことばとして、清岡は「放心」ということばもつかうことがある。「放心」の「放」は「円き広場」の中心から、その外側へ向けて広がる道をあてどなく広がっていくことだろう。
 「忘我」を清岡はまた「対象のない」ということばで言いなおしている。そこには「円き広場」の中心からただただ放射状に伸びる道を外側へ向かって動く運動があるだけである。それがどこを目指しているかは問題ではない。「どこへ」という対象がない。それはつまり、どこへ行こうと、結局それは「円き広場」の中心とつながっており、いつでも「円き広場」の中心へ舞い戻り、別の方向へ行けるという意味でもある。ある方向へ向けて動くことだけが思念されているわけではない。往復する運動が常に思い描かれているのである。
 そうした「忘我」を「ふしぎな郷愁」と呼ぶのは、そのイメージのなかに「円き広場」の記憶が反映しているからだろう。清岡はさまざまなものに触れながら「円き広場」の夢のような一瞬を体験し続ける。清岡の詩には、いつも「円き広場」が隠れている。「と」という中心と、その外周。「と」を通りながら広がる空間(宇宙)が隠されている。

 『駱駝のうえの音楽』には何度か漢詩が引用されている。引用しながら清岡は杜甫や李白と交流している。そのときたとえばその漢詩を思い出させた中国の遺品が「円き広場」なのか、それとも杜甫や李白の詩が「円き広場」なのか、あるいは清岡自身が「円き広場」なのか。たぶん、いずれでもいいのだと思う。往復すること、何度も何度も繰り返しそこを通り、別の場所へ行き、またもどってくることさえできればいいのである。
 表題の「駱駝のうえの音楽」は唐三彩に描かれた駱駝に触発されて書いたと思われる作品である。(あるいは唐三彩でつくられた駱駝の置物?に描かれた絵に触発された詩かもしれない。)そこには楽師があつまり音楽を奏でている。その聞こえない沈黙の音楽を聴こうとして、想像力の翼を広げる作品である。そのなかに、「円き広場」に通じるおもしろい比喩がある。
 李白の「煙花(エンクワ)ハ 落日(ラクジツ)ニ宜(ヨロ)シク」で始まる4行を引用したあとで清岡は書いている。

これら二つの情緒が交差するやっとこで
唐三彩が秘める
音楽の尻尾の先でも挟めないか?

 「二つの情緒が交差する」。これは「やっとこ」の描写だが、その「交差する」という部分に私は「円き広場」を感じるのである。
 「円き広場」からは放射状に道が伸びる。それは「円き広場」の中心に立って眺めた風景である。少し位置をずらして眺めれば、いくつもの道は「円き広場」で交差しているのである。交差したとき、その交差を無視してまっすぐに突き進むこともできる。しかし、交差を利用して違った角度の道へと進むこともできる。そのとき何が起きるだろうか。今まで歩いてきた道の記憶が新しい道の両側に広がる風景をどんなふうに見ることができるだろうか。その道だけを通っている人間には見えない新しい何かが見えはしないだろうか。きっと見えるはずである。
 だからこそ、「円き広場」には重要な意味がある。そこを通ればどこへでも行けるというだけではなく、そこを通って別の道をいつでも選ぶことができ、角度を変えるたびにその道は必ず新しい道に生まれ変わるのだ。すでに誰かが通った道であっても、それはそのとき誰かが見た道ではなく、清岡自身の道なのだ。
 李白の詩を通って、そのまま李白のことばの延長線へ進むのではなく、唐三彩の驢馬の絵へと進む。すると、そのとき、今まで清岡には聞こえなかった音楽が聞こえるかもしれないのである。
 そういうことを、清岡は次のように書いている。

おお 鑑賞の回廊での
馬鹿げた観念のあそび。

 「あそび」。その楽しさ。そこに「忘我」がある。「放心」がある。そして、「ふしぎな郷愁」もある。
 「詩」は目的ではない。「あそび」なのである。「忘我」「放心」し、目的に固執していたときには見えない新しい世界を楽しむことなのである。そうやって「我」の形をくずしてしまう。変形される。何にでもなれるものにしてしまう。それが「詩」だ。
 その起点として、清岡は「と」を考える。「円き広場」を考えるのだが、この「あそび」の広がり、豊かさを、清岡は、最終連で次のように書いている。

いつかわたしが この古い都の
千三百年ほども経った
新しい通りを歩くかもしれない日
夜 ホテルに泊ったわたし日本人の
深い疲労の眠りのなかで
その沈黙の音楽は
やっと溶けはじめるかもしれない。
それも 遥かに遠い過去の
声や音としてではなく
わたしを初めて
そして優しく迎えてくれる
樹や建物の匂いとして
空や雲や衣装の色として
湯ざましや饅頭(マントウ)の味として
あるいは
戦争の傷をおおう
歴史の流れの 甘く沁みる時間として。

 「初めて」ということばに託された思想は、「詩」は人間を再生させるということである。「円き広場」を通って、新しい道を歩くとき、人は生まれ変わるのである。それも「観念」が新しくなるのではない。五感が、肉体が新しくなるのである。「匂い」「色」「味」を「初めて」のごとく体験するのである。そうした肉体の体験のあと、初めて「時間」という観念も肉体に甘く沁みるのである。


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