現代詩文庫165 「続続・清岡卓行詩集」(思潮社、2001年11月20日発行)。
『西へ』(1981年)の「西へ」は葬儀から帰宅する清岡を描いている。その作品のなかに「放心」が2回登場する。1連目の最後「ほとんど放心」。5連目6行目「わたしのほとんど 放心もろとも」。「放心」して、自己を失って、ぼんやりと列車の窓から森を眺めている。そのとき大きな変化が起きる。
「放心」は「空洞」に通じ、また「眩暈」にも通じる。「放心」のなかで、空っぽの、無のこころの中での「眩暈」。その「眩暈」は何かが見えなくなることではない。そうではなく、あふれる光景が、視界を錯乱させることによって始まる「眩暈」である。見えなかったものが突然肉眼に飛び込んでくる。それをどう受け止めていいかわからない。そのときの「眩暈」。一瞬の、一瞬だけれど、無限の至福。至福としての「眩暈」。
がここで私が思いだすのは、またしても「円き広場」である。
列車という空洞は「円き広場」である。広場の中心である。放射状に伸びる道の代わりにレールがある。ある道から、広場に入ってきて道を曲がるように、列車はある角度からその位置に侵入し角度を変える。そのとき新しい道、外縁-広場-外縁を結ぶ道ができる。その新しい道そのものとして、太陽が広場を(列車を)貫く。そのとき目撃する光の洪水。錯乱のなかで、清岡は、自分がどこへ進んでいるか忘れる。どこへを忘れ、その瞬間の充実に夢中になる。その至福。
清岡は、先の引用部分につづいて、はっきりと「幸福」ということばもつかっている。
「放心」「眩暈」。それは「幸福」のことである。清岡は何度も何度も「幸福」を歌う詩人なのである。葬儀の帰りにさえ、悲しみではなく、ふと見つけた「幸福」について歌うのである。
そして、不思議な「幸福」からやがて我に返る。「わたしの行く先 あるいはもどる先は/どこであったか?」。それは、「円き広場」を通ってなら、どこへでも行けるということの裏返しの疑問である。
生のすべての一瞬において、私たちは私たちを捨て、どこへでも行ける。今まで進んできた道を曲がる。その瞬間に新しい世界が見える。しかも、その世界は世界の果と果を一気に結びつける「永遠」そのものである。だから「眩暈」を感じずにはいられない。
この瞬間、人は生まれ変わる。再生する。
葬儀からの帰り道。悲しみにうちひしがれていたかもしれない。人生について輝く未来とは違うことを清岡は考えていたかもしれない。そうした考えが、一瞬、消える。不思議な体験、列車と夕陽が一直線につながり、夕陽が列車のなかに満ちるという体験をとおして、異性へ向かう衝動のようなエネルギー、あるいは火葬の炎へ向かう絶対的な消滅……どちらと名付けていいかわからないような「眩暈」のなかで、清岡自身のいのち、感覚が再生するのを感じる。
この詩の最後の6行は非常に美しい。
「嬰児」は再生した清岡である。「嬰児」となって、今、清岡は湖のほとりにいる。列車のなかではない。そして小鳥の季節を告げる声を聞いている。
『西へ』(1981年)の「西へ」は葬儀から帰宅する清岡を描いている。その作品のなかに「放心」が2回登場する。1連目の最後「ほとんど放心」。5連目6行目「わたしのほとんど 放心もろとも」。「放心」して、自己を失って、ぼんやりと列車の窓から森を眺めている。そのとき大きな変化が起きる。
雑木の森の丘の裾を
捲くるように走りつづける
四輌連結の 秋の風。
ぐぐぐぐと
その巨大な昆虫の胴体は
わたしのほとんど 放心もろとも
約九十度 左へ曲がった。
なんと そのとき
くりかえしの 日常の忘却へ
落ちこぼれようとする太陽が
進行方向のどまんなかに
ぴたりと位置したのである。
一瞬 赤っぽい すさまじい明るさが
長く空洞をつらぬいた。
先頭のガラス窓
という閉じられた口から侵入し
後尾のガラス窓
という閉じられた肛門を通過して
おお 眩暈にも似た
日光の 別れの洪水。
「放心」は「空洞」に通じ、また「眩暈」にも通じる。「放心」のなかで、空っぽの、無のこころの中での「眩暈」。その「眩暈」は何かが見えなくなることではない。そうではなく、あふれる光景が、視界を錯乱させることによって始まる「眩暈」である。見えなかったものが突然肉眼に飛び込んでくる。それをどう受け止めていいかわからない。そのときの「眩暈」。一瞬の、一瞬だけれど、無限の至福。至福としての「眩暈」。
がここで私が思いだすのは、またしても「円き広場」である。
列車という空洞は「円き広場」である。広場の中心である。放射状に伸びる道の代わりにレールがある。ある道から、広場に入ってきて道を曲がるように、列車はある角度からその位置に侵入し角度を変える。そのとき新しい道、外縁-広場-外縁を結ぶ道ができる。その新しい道そのものとして、太陽が広場を(列車を)貫く。そのとき目撃する光の洪水。錯乱のなかで、清岡は、自分がどこへ進んでいるか忘れる。どこへを忘れ、その瞬間の充実に夢中になる。その至福。
清岡は、先の引用部分につづいて、はっきりと「幸福」ということばもつかっている。
沈もうとする
絶遠絶大の 花火の球の輝きを
体いっぱい ほんのりと
暖かく浴びることは
かすかな幸福にさえ 似ていたか?
「放心」「眩暈」。それは「幸福」のことである。清岡は何度も何度も「幸福」を歌う詩人なのである。葬儀の帰りにさえ、悲しみではなく、ふと見つけた「幸福」について歌うのである。
わたしの行く先 あるいはもどる先は
どこであったか?
そして、不思議な「幸福」からやがて我に返る。「わたしの行く先 あるいはもどる先は/どこであったか?」。それは、「円き広場」を通ってなら、どこへでも行けるということの裏返しの疑問である。
生のすべての一瞬において、私たちは私たちを捨て、どこへでも行ける。今まで進んできた道を曲がる。その瞬間に新しい世界が見える。しかも、その世界は世界の果と果を一気に結びつける「永遠」そのものである。だから「眩暈」を感じずにはいられない。
この瞬間、人は生まれ変わる。再生する。
葬儀からの帰り道。悲しみにうちひしがれていたかもしれない。人生について輝く未来とは違うことを清岡は考えていたかもしれない。そうした考えが、一瞬、消える。不思議な体験、列車と夕陽が一直線につながり、夕陽が列車のなかに満ちるという体験をとおして、異性へ向かう衝動のようなエネルギー、あるいは火葬の炎へ向かう絶対的な消滅……どちらと名付けていいかわからないような「眩暈」のなかで、清岡自身のいのち、感覚が再生するのを感じる。
この詩の最後の6行は非常に美しい。
空耳か ヒマラヤ杉を
めぐって飛ぶ 数羽の小鳥の
季節を告げて鳴く声が
遠くから聞こえた。
おお
湖のほとりの嬰児。
「嬰児」は再生した清岡である。「嬰児」となって、今、清岡は湖のほとりにいる。列車のなかではない。そして小鳥の季節を告げる声を聞いている。