詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

ギレルモ・デル・トロ監督「パンズ・ラビリンス」

2007-10-23 11:21:02 | 映画
監督 ギレルモ・デル・トロ 出演 イバナ・バケロ、セルジ・ロペス、マリベル・ベルドゥ

 石にはいろいろな色がある。土にもいろいろな色がある。大地にはいろいろな色があり、森には(山には)いろいろな色がある。ギレルモ・デル・トロは湿ったというより濡れた黒をしっかりと貴重にして、暗さの持つやわらかさ、あたたかな哀しみを大事に秘めた映像を作り出している。「黒」とは、なにごとかを隠す色である。隠し方にはいろいろある。その隠し方によって、黒もいくつもの表情をみせる--その色の、繊細な美しさがこの映画の魅力だ。
 テオ・アンゲロプロスはギリシャの軍政を描くのに、雨、灰色で大地の哀しみ、大地に生きる人々(大衆)の哀しみ、その哀しみの美しさ(美しさ、と言ってはいけないのだろうけれど)を描いたが、ギレルモ・デル・トロはテオ・アンゲロプロスの灰色をさらに深くしたほとんど黒といっていい色で大地と、大地に生きる人の哀しみを象徴的に浮き彫りにした。隠すしかない存在があること、隠しながら守る何かがあることの強さと美しさを描いた。
 テオ・アンゲロプロスが灰色の湿気を含んだ空気と黄色(雨合羽)の対比の美しさで画面を引き締めたか、ギレルモ・デル・トロは濡れた黒に対して濡れた緑(少女が夜会で着る予定の緑の服)で哀しみの深さを美しく描いた。その緑は、森の奥深くへとつづく緑、森の奥にさえまだ存在しない深い深い緑であった。
 少女には、軍政のことはわからない。社会で何が起きているかはわからない。ただ、自分の母親が軍人と再婚した。そのことに対して不満を持っている。新しい父は父ではない、という強い感覚を持っている。その軍人の父は父ではないという思いが、反政府ゲリラの軍政は正しい国の指導者(父)ではないという思いと、微妙にシンクロする。そしてまた、この土地は自分の生きる土地ではないという思いともシンクロし、少女に、天上ではなく「地下」へと空想を導く。ゲリラが山の奥に隠れ、抵抗するように、少女は「地下」に隠れ、軍人の父に対して無意識に抵抗する。その無意識は、当然のことながら、現実にある軍政の息苦しさを反映し、暗さを併せ持っている。
 ファンタジーはただ軽やかでハッピーエンドで終わるものだけではない。現実が暗いなら、その暗さを反映し(というより、少女のように弱い人間には、そうしたことがらをわけのわからないまま反映させるしかないのだが)、暗く、グロテスクになる。グロテスクさを幼い少女は「試練」と受け止め、乗り越えようとする。そういう哀しい精神の動きも、この映画はしっかり見据えている。少女が自分自身を守るために「純粋さ」を武器にするしかないと悟り、それを実践するシーンは、激しく胸を打つ。
 そのとき流す血が、赤ではなく、やはり黒であることろに、この監督の黒を美しく描きたいという思いを強く感じた。血の、黒い色が守り通したものの美しさ、隠して生きるしかない哀しさへの共感を強く感じた。

コメント
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