詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

駱英『都市流浪集』(4)

2007-10-06 09:42:59 | 詩集
  駱英都市流浪集』(竹内新・編訳)(思潮社、2007年08月20日発行)
 駱英の文体の特徴は「野蛮」を秘めたスピードである。「野蛮」はもともとスピードが速い。直情である。「経済学批判」の書き出し。

私は思う
私とは一冊の経済学批判なのだ
私が詩を書くのは賊たちが盗んできた花輪に
光を放とうとしてのことだ
私は知っている
歴史の通り抜けは複雑なルートというわけではない

 「私は思う」と「私は知っている」は駱英においては同じ意味である。入れ換えても意味は変わらない。「思う」ことは「知っている」ことなのである。そこにスピードがあり、そこに「野蛮」がある。
 「学問」、たとえば「経済学」は「思う」ことと「知っている」ことを区別する。自分が貧乏であると思う。そしていまの経済体制が許せないと思う。何かが間違っていると思う。しかし、なぜ自分がそういう境遇なのか、経済的にどういう仕組みなのか知らない。知らないから、怒りをぶっつける。そういう激情を、一般的にひとは「学問」の範疇にいれない。貧乏であるという状態と、経済の構造の、複雑なルートを解明するのが「学問」である。誰にでもわかるように、誰にでも納得できるように、具体的な事実を積み上げて証明するのが「学問」であって、それは「思う」こととは完全に区別される。
 しかし、駱英は区別しないのだ。むしろ、「思う」こと、具体的な事実など無視して、人間の感情そのものを剥き出しのままつかむこと、人間の感情を「知る」こと、激情を生きる人間の行動を「知る」ことが「学問」として確立されなければならないと考える。
 作品のつづき。

誰が富裕で誰が困窮しているか、そのやるせなさを
耳を塞いで聞かないようにする必要があるだけだ

 「経済学」とは、ようするに貧乏人が苦労しているという声を無視して成立しているということを駱英は知っている。人間の声を無視して成り立っているのが「経済学」であると思っている。--ここにみられる「知る」と「思う」の直接的なつながり、その連結のスピードこそ、そしてまさに多くの人間の(学問とは無縁の人間の)すべてである。

 駱英は「野蛮」ゆえに都市で孤立している。それは「複雑なルート」を生きていないからである。単純な、というより「ルート」など必要のない直接連結を生きているからである。その直接的な結びつき、「思う」と「知る」が互いにかたく結びついてしまう力ゆえに、駱英は「知っている」ことを「ルート」にして他人と共有することができない。
 それが駱英の哀しみであるけれど、それはまた駱英の栄光でもあるだろう。駱英はその孤立、孤高ゆえに、同じように「思う」ことと「知っている」ことを混同して「都市」をさまようにすべての人間につながっているからである。「思う」ことと「知っている」ことの区別のなさゆえに、同じように「思う」ことを「知っている」ことをとおしてだれかに訴える「ルート」をもたない人間--つまり「学者」ではないほとんどの人間と直接的につながってしまうからである。「大衆」とつながるからである。
 「大衆」と私はいまひとくくりにしてしまったが、人間はひとくくりにはならない。それぞれが自分の時間を生きている。「大衆」とつながることは、きのうの感想につなげていえば、「複数の私」になることだ。「複数」でありながら「ひとり」。それは矛盾である。矛盾であるからこそ、そこに駱英が生きている。
 このことを駱英は「自画像」で次のように書いている。

私は私だ
私は決して私なのではない

 これは論理的には矛盾だが、その矛盾は対立して存在するのではない。密着して存在する。「思う」と「知っている」が直接結びついているように、直接的に結びついている。この2行。その内容・意味を駱英が「思う」のか「知っている」のか区別がつかないように。
 そして、駱英はたとえば「経済学」にみられる「知のルート」を、区別のつかない「思う」と「知っている」のぶつかりあい、融合するスピードで疾走し、「知のルート」そのものを破壊しようとしているように感じられる。そうした「野蛮」、素手で戦う無鉄砲さが、私にはとても美しいものに見える。


コメント
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