朝日歌壇(「朝日新聞」2009年4月06日朝刊)
俳句・短歌はよくわからない。自分でつくることもないので気ままに読んでいるだけだが、ときどき、あ、これは面白いなあと感じることがある。きょう面白いと感じたのは、短歌そのものではなく、選評。永田和宏の選。
ちょっと驚いた。結句「までを」の「を」に注目、か。とても繊細だ。31文字と限られているから感覚が千歳になるのではなく、ことばに対して繊細な感覚をもっているから31文字の世界でも、微妙な表現ができるのだろう。そして、その微妙さにきづき、きちんと評価するのだろう。
東の歌とは関係ないのだが、つまり「法隆寺まで」であったとしてもそれは体言止めではないのだけれど、「を」のひとことが、「単調さ」を緩和している。いや、緩和をとおりこして、なんだか人間性さえも感じさせる。
「法隆寺駅まで一枚」「法隆寺駅までを一枚」。意味はかわりない。太田はもしかしたら結句を「7字」にするために「を」を使ったのかもしれないが、その「を」によって「法隆寺駅まで」という気持ちを念押ししているように感じる。その、念押しの感覚、時間の一呼吸おいた感じに、不思議な落ち着き、人間の生き方の丁寧さを感じる。
永田がなぜ「を」に「注目」と書いたのかわからないが、ちょっと楽しい気持ちになった。
俳句・短歌はよくわからない。自分でつくることもないので気ままに読んでいるだけだが、ときどき、あ、これは面白いなあと感じることがある。きょう面白いと感じたのは、短歌そのものではなく、選評。永田和宏の選。
歌集読み体言止めに倦みしころ真夜のベランダを転がるバケツ 東 洋
券売機のつり銭ほのかに温かし法隆寺駅までを一枚 太田千鶴子
東氏、上句と下句の間に因果関係がないところが面白い。体言止めが多すぎると単調になる。太田さん、結句「までを」の「を」に注目。
ちょっと驚いた。結句「までを」の「を」に注目、か。とても繊細だ。31文字と限られているから感覚が千歳になるのではなく、ことばに対して繊細な感覚をもっているから31文字の世界でも、微妙な表現ができるのだろう。そして、その微妙さにきづき、きちんと評価するのだろう。
東の歌とは関係ないのだが、つまり「法隆寺まで」であったとしてもそれは体言止めではないのだけれど、「を」のひとことが、「単調さ」を緩和している。いや、緩和をとおりこして、なんだか人間性さえも感じさせる。
「法隆寺駅まで一枚」「法隆寺駅までを一枚」。意味はかわりない。太田はもしかしたら結句を「7字」にするために「を」を使ったのかもしれないが、その「を」によって「法隆寺駅まで」という気持ちを念押ししているように感じる。その、念押しの感覚、時間の一呼吸おいた感じに、不思議な落ち着き、人間の生き方の丁寧さを感じる。
永田がなぜ「を」に「注目」と書いたのかわからないが、ちょっと楽しい気持ちになった。
後の日々―永田和宏歌集 (角川短歌叢書 塔21世紀叢書 第 100篇)永田 和宏角川書店このアイテムの詳細を見る |