詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

渡会やよひ「類従」、糸井茂莉「鳥/島のための夢」

2009-04-17 13:12:15 | 詩(雑誌・同人誌)
渡会やよひ「類従」、糸井茂莉「鳥/島のための夢」(「庭園詩華集二〇〇九」2009年04月05日)

 渡会やよひ「類従」はとても魅力的だ。

動物園のはずれで
不意の情動にとらえられるのは
枯れた雑草ゾーンに
盛り砂があるからだ
目路をさえぎり
陥没の危うさに寝そべって
油断なく荒んでいるもの
かぎりなく凝縮するものであり
美しく崩れるもの
それはまた獣舎を離れた虎ではないか

 「砂」を「虎」ではないか、と見間違う。そして、それを「情動」と呼ぶ。--渡会は正確には「情動にとらえられる」と書いているのだが、「砂」を見たから「情動」が起きたのか、「砂」を「虎」と見たから「情動」が起きたのか、あるいは「情動」が潜んでいたために「砂」が「虎」に見えたのか、はっきりしない。たぶん、それは分離できないものだと思う。分離できないがゆえに、それを「砂=虎」は情動であり、「砂=虎=情動」なのだと思う。
 さらにいえば、「砂」「虎」は渡会の外部にあり、「情動」は渡会の内部にあるものだが、それが同じものとして結びつく時、そこには外部・内部という区別はなくなる。
 この、区別のなくなったもののつながりの内部へと渡会は、ことばの力で入っていく。そのことばの歩みがとても美しい。

ゆるやかにカーブする背中
翳る幾条かの創の縞
まだ何ものにもならない
代赭色の気高い憧憬
渡れるだろうか
その一刷毛の稜線を
吹き上げる風に虎落笛のようにこたえれば
近づけるだろうか
その激しく均衡するものに

 「砂=虎=情動」は「均衡」している。そして、それが尋常なことではない(ふつうの世界ではない)ということを渡会は意識している。だからこそ「渡れるだろうか」「近づけるだろうか」と疑問の形でことばを動かしている。それは、「日常的」には、あってはならない世界の形である。だから「詩」という形をとっている。
 そして、そんなふうに「疑問」を持てば持つほど、その「均衡」はより緊密になる。この不思議。この不思議さのなかに、詩がある。

 砂 とら
  虎 すな

 なんと美しい2行だろうか。「砂」を「とら」と呼ぶ「情動」、「虎」を「すな」と呼んでしまう「情動」。漢字、1字あき、ひらがな、漢字、1字下げ、ひらがな、ということばの動きのなかに「情動」の揺らぎがある。1字あきのなかに、改行の瞬間に、「情動」がことばを渡る、ことばに近づく。
 渡会は、もう、このとき現実の「砂」「虎」ではなく、ことばそのものを渡り、ことばそのものに近づくのだ。ものをことばで呼ぶという行為そのものになるのだ。

砂の無数の微小な眼窩から
あの果てしなく極まる二つの眼に
金色にかがようさみしい尾に
つながることができるだろうか

 緊密であること。渡ること。近づくこと。それは「つながる」ということばのなかで収斂する。ことばが、「もの」(たとえば、砂、たとえば虎)と肉体(たとえば情動)をつなぐ。その瞬間に、人間は、詩に生まれ変わる。
 そして、その瞬間、世界が、激変する。

地に伏す枯草を踏み
ひややかにやさしい音楽にくるぶしを埋(うず)められ
 砂 とら
  虎 すな
見知らぬものにただ類従を願い
この結界を
はみだしてゆく

 もう、そこでは渡会は人間ではない。砂はもちろん砂ではない。虎も虎ではない。渡会は、そのことばは、すべてを超越してゆく。そして、すべてになりうる何かになる。まだ名付けられていない何かに、瞬間的に、かわってしまう。

 「自在」ということばがある。
 渡会は、この瞬間、「自在」に何にでもなれるエネルギーそのものになる。



 糸井茂莉「鳥/島のための夢」は、渡会とは「区別」の仕方が違っている。渡会は、「砂」を「虎」と見間違えたが、糸井は、夢のなかで「鳥」を「島」かといぶかる。

島だろうか、とりだろうか。あれは。しるしのようになびくあの白いものは。島、とする筋肉の盛り上がりを見せてくぼんでゆく土のきれはし。孤島としての夜。鳥、とする。象徴の肉片となって虚空に消える物体。ちぎれて、漂って。うっすらとわたしに近づいてく。兆しとしての夜。

 糸井は、渡会と違って「見間違えない」。「不明」のものから出発して、それを「鳥」と「島」へ分離していく。渡会が接近していく(つながることを夢見ている)のに対して、糸井は切断していく。
 1連目が象徴的である。

切れる、途切れる、続かないように、意味をなさないように、断ち切れる、逸れる、浮遊するため、夢のように、夢という言葉のため、夢になるために、消える、在るために、白の、からっぽの、肉体とはよべないものに、なるため、来るため、意味の、身体の軌道を残さないように、身体の意味が不意にあらわれないように、さやかに、白の、ささやかに、結ばれずに、結ばれずに、この、

 「切れる」「結ばれず」--糸井は、最初から、対象と離れた場にいて、そこで浮遊する。対象に言及することは、対象に近づき、つながることであるはずだが、近づき、それに触れながらも、糸井は、ひたすらそこから離れようとする。分離しようとする。そのために、ことばをつかう。そして、

この、

 というふうに、中断する。宙吊りのまま、世界のなかにある。それが糸井の「自在」である。


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『田村隆一全詩集』を読む(57)

2009-04-17 00:58:48 | 田村隆一

 きのう私は「川」の最終連について書いた。「ある大学教師……」からはじまる6行を最終連と書いた。しかし、それは間違いである。その6行のあと、3行あいて、ぽつんと、

空気遠近法

 という1行がある。これはなんだろう。これを再び「時間」と結びつけるのは、強引すぎるだろうか。

 「空気遠近法」という詩もある。その全行。

やっと人間に出会ったと思ったら
彩画的な色彩主義
あのヴェネツィア派の画法は
消滅していて

空気遠近法だけが生きのこった
この海面下の地下道では
人間はいつでも透明な
少年のままである

その少年を透視しなければ
バロックの世界へ入っては行けない

 これに先行する詩に「光りの縁取(ふちど)り」や「影の会話」という作品がある。そのなかにはアドリア海、ヴェネツィア、レースガラスなどということばがある。
 「空気遠近法」は、そういうことばと関係がある。
 「透明」という遠近法。ヴェネツィアの芸術に触れて、田村は、そういうものを感じた。「空気」には「透明」な遠近法がある、と。
 そこで気になるのは「人間はいつでも透明な/少年のままである」という2行だ。「少年のまま」がとくに気になる。「少年のまま」というのは、そこでは「時間」がとまっているということだ。「時間」が止まった時に、そこに「空気」の「遠近法」が存在する。「もの」の配置による遠近法ではなく、ものとものとの間にある「空気」そのものの遠近法が成立する。ものとものとの間には、実は、時間がある。遠いところには「少年のまま」の時間がある。「少年」が意識されるのは、「手前」つまり近くが「少年」ではなく、「大人」(あるいは老人)だからだろう。

 もうひとつ、気になる作品がある。「秋には色が見えてくる」。

木の葉が落ちる
人も人の心から落ちる
落ちてはじめて葉は春をむかえる支度をする
人の心は人から落ちてはじめて透明になる

心が透明になれば
色彩がくっきりと見えてくる

 「人も人の心から落ちる」「人の心は人から落ちて」。この2行では、「落ちる」もの(主語と仮に呼んでおく)が違う。主語が2行では入れ代わっている。これはどういうことだろうか。
 ふたつのもの、「人」と「心」は仮にふたつの存在として書かれているだけで、ほんとうはひとつかもしれない。それは「少年のまま」の人間のように、「いま」と対比した時にはじめて「遠近法」として浮かび上がってくるもののような存在かもしれない。ほんとうはひとつ。けれどそこに「時間」をおいてみると、ふたつにわかれる。少なくとも「遠近法」が成立するような形で、わかれて存在する。
 それは逆に言えば「時間の遠近法」をその間に挿入しないかぎりは、深く結びついて「ひとつ」であるということでもある。その深い結びつき--深すぎて見えない結びつき、それが「透明」ということなのだろう。

 透明なものに、本来「遠近法」はない。「遠近法」とは「視力」の世界である。視力は「透明」なのものを見ない。見えないから「透明」である。けれども「透明」ということばがあるように、それは「目」ではない何かを通してなら「見る」(認識する)ことができる。
 目で見えない、けれどもなんらかの方法で認識できるもの。それには、いろいろある。「音」もそのひとつだ。そして「時間」もそのひとつだ。

 「秋には色が見えてくる」--しかし、秋以外にも色はある。色は見えるのではないだろうか。秋の色は何が違うか。そこに「時間」が入ってくる余地がある。
 --余地がある、としか、私には書けないけれど、そういう形でしか書けない(言い表すことのできない)ことばの動きが、「ワインレッドの夏至」のなかを駆け回っている。そういうものを感じる。



小鳥が笑った―田村隆一vs池田満寿夫 (1981年)
田村 隆一
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