詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

吉田博哉「父の馬」、岡本勝人「秋篠寺から般若寺へ」

2009-04-20 11:11:08 | 詩集
吉田博哉「父の馬」、岡本勝人「秋篠寺から般若寺へ」(「ガニメデ」45、2009年04月01日発行)

 吉田博哉「父の馬」は、父が飼っていた馬を、そして馬を飼っていた父を書いている。父が飼っていた馬と、馬を飼っていた父では、「馬」と「父」の違いがあるのだが、その区別がつかなくなる。それは、「私」が父が飼っていた馬を見ていたのか、それとも馬を飼っていた父を見ていたのか、しだいにわからなくなるのと似ている。そしてその区別のなさは、最初「父」と「馬」を混じり合ったものにし、それから「私」と「父」を、同じように、まじりあわせてしまう。
 あ、
 こういうことが、愛ということなのか、とその瞬間に気がつく。

父は私の知らない村に持仏堂のような厩を持っている--この仕事先を告げないことが母に捨てられた原因らしい--何度か連れて行かれ 父の馬を見た。大きなガラスのような目を覗くと村が見え父が映っている。熱い尻の毛皮の緻密で手も弾かれそうな重量感に私はめまいを感じた。

 「大きなガラスのような目を覗くと村が見え父が映っている」というのは、シャガールの絵「私の村」のようでおもしろい。シャガールの絵では、動物も人間も家も木々も星もみな区別がなかった。吉田は、最初から、あらゆるものを区別しないのかもしれない。だからこそ、父が飼っている馬を、まるで自分自身で飼っているかのように、強い愛で描写する。「熱い尻の毛皮の緻密で手も弾かれそうな重量感」というようなことばは、馬に直接触れた人間、その生々しさを愛した人間にしか書けないことばだと思う。
 「私」の前で、馬と父は、まるで「恋人」のように語り合う。

父は一晩中厩に寝て勘定する。てん足娘の蹠のようにそっと掻いてやると 伸縮する唇を大きく裏返して<ヌヒーン ホンホン> 笑う馬が父に語りはじめる<わたしめが病気で死にかけて売られそうになったときも 旦那様はわたしめの鼻を吸って治してくれました><あれは中国の古い厩神の猿をまねたのさ お前がすくっと起きたので驚いたよ 俺はあれ以来背中が痒くなるようになった>

 この描写は、とても美しい。馬と父の会話は、とてもむつまじい。うらやましいくらいにむつまじい。あたたかい。そこには「肉体」がある。
 愛は、けっきょく、「肉体」のまじわりである。「肉体」がまじわるということは、「肉体」が変化するということでもある。実際、このことがあってから、父は半身馬になってしまう。
 そして、さらに馬と父との愛は深くて強いものになる。

背中の痒い父が草原にねて 身体をS字にくねらせ奇声を発する 馬が父の胸の地平線をのぞくように鼻を寄せる いったいどんな快感なのか 半身馬の父が四肢で空をたどるので 小栗判官が馬で梯子を登るように地平線が垂直になる。

 「馬が父の胸の地平線をのぞくように鼻を寄せる」という描写も、とても透明で、その描写から父の胸のなかの地平線が本当に見えてくる。吉田もそれ地平線をくっきりと見たのだと思う。
 その地平線を、父を、そして馬を、「私」が生々しく記憶しているのは、それが「私」にとって大切なものだからである。ふつうは存在しないもの、その地平線、胸のなかに誕生した地平線を見る力、それをそっと守るこころ--この「大切」にするこころが愛なのだ。

隙きゆく駒に父をしきりに思うこの頃 私はもういちど 父のその死暮らしはどんなかたずねてみたいと思う。行くときに見え 戻るとき見えなくなる地平線しかない父の村はもうすぐそこである。

 「父のその死暮らしはどんなかたずねてみたいと思う」は誤植なのか、どうなのか、ちょっと判然としない。
 わからないまま、感想を書くのは無責任かもしれないけれど、「行くときに見え 戻るとき見えなくなる地平線」は、とても美しいことばだ。
 愛というのは、いつでも対象へ向かうとき、それが見える。「地平線」のように。その先に「目的地」がある、そう誘っているかのように見える。けれど、いったん、愛の領域にはいると、それは消える。馬と父が愛のことばを交わし、父が半身馬になってしまったように、「地平線」が人間の体のなかに入ってしまうからである。
 その父と馬の領域へ「私」は入っていこうとしている。入っていこうとすること--それ自体が、愛である。
 こんなふうにして愛される父は幸せだし、そんなふうに父を愛せる吉田も幸せだと思う。ふたつに区別はない。--そういう区別のないなつかしさがあふれる詩である。



 岡本勝人「秋篠寺から般若寺へ」は、きびきびした文体でことばが進む。

近鉄京都駅から電車に乗り西大寺駅についた
駅から押熊行きのバスに乗る
しばらく細い住宅街の道をバスはぬけていく
まもなく左手に西大寺の記憶が見えてきた

 こういう文体で、寺の歴史、風景、それからその寺に関して哲学者や文学者、詩人のことがさらりと書かれる。そういうことばを通って、岡本は、寺へとちかづいてゆく。接近という運動をつづける。
 吉田の父と馬は、とけあって「愛」になったのに対し、岡本のことばは、とけあうのではなく、一歩一歩、進む。岡本の「愛」は、その道(他者のことば、認識)を通ることである。その道を通るとき、岡本と、詩人が、哲学者が、重なり合う。
 書き出しのことばが特徴的だが、それは1行1行、独立している。(なかには2行にわたるものがあるが、基本は1行である。)そこでは、ことばがリレーされるのである。エリオットや、寺には直接関係のないドラクロワやショパンもこの詩には出てくるが、彼らは(彼らのことば、は)「溶け合う」のではなく、リレーされる。
 詩の途中に、

本尊の薬師如来の左手にすっとたつ技芸天立像の清楚なたたずまいを
どのように言語化することができるだろう

 という2行があるが、岡本は「リレー」という言語の運動形式を、この詩で発見したといえるかもしれない。「リレー」を別のことばでいうなら……。
 詩の最後。

紅葉のなかで火と薔薇がひとつになる
秋の夕日がはやくおちないようにとささえる杖が必要だ
突風がつかの間の融和の手触りをあたえると
あたりには夕暮れがゆっくりと成長していった

 1行に次の1行を重ね合わせ「ひとつ」になる。その「リレー」の結果、そのひとつ」は「成長」の軌跡を描く。岡本にとって、愛とは、成長するものなのだ。


死生児たちの彼方―吉田博哉詩集 (1983年) (日本現代新鋭詩人叢書〈第16集〉)
吉田 博哉
芸風書院

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『田村隆一全詩集』を読む(60)

2009-04-20 02:02:11 | 田村隆一

 『生きる歓び』(1988年)に「between 」という詩がある。そこでは「時間」と「間」に関することばが出てくる。

時の歩みは人間の足にくらべたら
気が遠くなるくらいのろいということも分ってきた
十万年前か百万年前に(わたしにとっては紙一重だ)
はじめて直立した人間の
脳髄の衝撃を追体験しようとすると
一瞬 わたしは目まいに襲われる

 「十万年前」と「百万年前」との「間」には「九十万年」の広がりがある。しかし、それは田村にとっては「紙一重」である。つまり「間」が存在しないに等しい。なぜか。「九十万年」という「時」の「間」は「頭」では理解できるが、「肉体」では理解できないからだ。そして「頭」の理解というのは錯覚でもある。「頭」は「数字」の違いによって、見えないものを見えるようにさせているだけであって、だれも(どんな人間も)、「九十万年」がどれだけの長さ、広がりなのか「体験」したことはない。
 「体験したことがない」ことを人間は理解できる。あるいは「体験していない」からこそ、間違えずに理解できる--ということかもしれない。たとえば「九十万年」という時間の広がりをだれも体験していない。だからこそ、私たちは「 100万年-10万年=90万年」と「正確」にその「間」を表現することも、把握することもできる。実際に、たとえば91万年生きたとしたら、その長さを、たとえば「91万年」と「90万9999年」の違いを私たちの「肉体」は具体的に語ることができるだろうか。きっと、できない。体験していないからこそ、私たちは正確に表現できる、理解できるということもあるのだ。

 これは、逆のこともいえる。逆のことを考えると、おもしろいことが起きる。私たちは1歳くらいのとき、はじめて「直立」して歩く。これは誰もが体験することである。その体験を正確に記憶している人間は、たぶん、いない。けれども、子供が立ち上がって歩く姿を見ると、その最初の「直立」を見ると、自分もそうしてきたことが「わかる」。「理解する」というより「わかる」。
 その「わかる」ことをもとにして、「はじめて直立した人間」のことも、「わかる」。あるいは、わかったような気持ちになる。その瞬間、不思議なことが起きる。
 「十万年前」「百万年前」の「差」が消えて、ただ「直立する」という肉体の行動だけと人間が結びつく。
 目の前の子供が(赤ちゃんが)直立して歩く--その姿を見た瞬間、自分もそうであったと「わかる」ように、なにかが「わかる」。10万年、 100万年の「時」を超えて、なにかが「わかる」。他人の経験というものは、けっして「わからない」ものであるはずなのに、「わかる」。
 別な例を挙げた方がいいかもしれない。たとえば、道端で腹を抱えてうずくまる人を見たとき、私たちは、その人が「腹が痛いのだ(あるいは体のどこかが痛いのだ)」ということが「わかる」。他人の「肉体」の痛みは自分の「肉体」の痛みではないのに、それが「わかる」。
 「肉体」というのは「間」を消してしまうものなのだ。「間」を飛び越して、なにかを結びつけてしまうものなのだ。
 そういうことを、田村は、道端の人間に対してではなく、あるいは赤ちゃんに対してではなく、「はじめて直立した人間」に感じる。「わかる」。なにかを共有する。そして、そのとき「肉体」を隔てているのは、「空間」としての「距離」だけではなく、そこに「時間」の「間」が入ってくる。
 「肉体」は「時間」の「間」も、超越する。あるいは浸食する。超越と浸食は、たぶん、正反対のことなのだろうけれど、その正反対のもの、矛盾したものが、同じものになる--というのが田村のことば、思想の特徴である。


 この、肉体と時間の「間」の関係について書いている詩が、病院を舞台にしているのは、すこし暗示的である。象徴的である。肉体の変化が、「時間」というものへと田村の視線をひっぱっていっているのかもしれない。



あたかも風のごとく―田村隆一対談集 (1976年)
田村 隆一
風濤社

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