一色真理「句読点」、松岡政則「平渓線老街散歩」(「交野が原」66、2009年05月01日発行)
一色真理「句読点」に出てくる「弱く」(弱い)ということばを読みながら、「弱い」と書ける「強さ」を思った。
「弱く」は1行目に出てくる。これは文字通り弱い、病弱、体力が弱いという意味だろう。その「弱さ」を「句読点」と一色は名付けている。
息継ぎ、そして中断。それは、別の言い方をすると、呼吸をととのえるということかもしれない。「句読点」とは、そういう「中断」の比喩である。比喩であるかぎり、それは「わざと」書かれたものである。そこには、そうした「呼吸」「息のととのえ」「中断」というものが意識的におこなわれていることを意味する。
自分は、いま、ここで、「わざと」休んでいる。そういう「意識」は「世界」をやはり「比喩」にかえて行く。現実が、一色自身の「わざと」に影響されて、「比喩」へとずれてゆく。
この過程がおもしろい。
2連目以降は、次の展開になる。
「眼鏡をかけている」ゴキブリは、もちろん「比喩」である。「家族」という「文体」を、「句読点」となって、眺め直している一色。そのとき「家族」がゴキブリに見える。「家族」の「句読点」と一色の「句読点」が一致しているなら、そういう「ずれ」というか、「家族」がゴキブリに見えるということもないのだが、呼吸がずれているので、一色と「家族」は「異質」な生き物としてぶつかりあう。
一色は、自分ではどうすることもできない「弱さ」を訴える。「句読点」をぶつける。こういう「文体」の違いに抵抗する方法は、一色を見守る家族にはない。異質の「句読点」を受け止めるだけである。異質の「句読点」を受け止めることが、たとえ、自分自身にとって不都合であっても。--それが、「親」というものだからである。
こどもは、自分の、どうしようもない「呼吸」をぶつければ、それで満足する。そして、眠る。
そういうことをしてきた、と、いま、思い出している。--この「強さ」は、たぶん、一色が「こども」ではなく「親」になった、いま、「親」であるということと関係しているのだと思う。
こどもがこどもではなく、親になる--というのは自然なことだけれど、そういう自然を、ちょっと悲しいような(なつかしいような)感じで思い出している。そういう人間の自然な「強さ」がある。
そんなふうに思い出すことのできる「強さ」。自然さ。途中にはじめてのセックスのことがちらりと出てくる。この「句読点」にも、人生の、自然の「強さ」を感じる。
*
松岡政則「平渓線老街散歩」の詩には「弱い」ではなく、「強い」が出てくる。
「強い朝」。この対極にあるのが「薄いひかり」である。
「強い」は個人的な強さ、ひとりひとりの強さ、競争社会(都会)を生き抜く強さが寄り集まったものだろう。2連目の、行商風の老女に通じる強さである。松岡は台北では、「強い」個人に出会っている。「強い文体」をもった人に出会っている。
「薄いひかり」は「弱い」に通じる。個人が弱い。そのかわり「濃い共同体」がある。台北では身ぶり手ぶりで個人と対話するが、菁桐では写真を撮らせてくれと頼めば、手ぶりで拒まれ、そこで対話はおわる。個人ではなく、共同体が「強さ」として立ちふさがる。個人ではなく、「共同体」が文体をもっている。
そういうものと向き合いながら、松岡は、松岡自身の「句読点」を探している。文体(思想)を探している。そして、最終行に、
という美しいかなしみにたどりつく。
旅行とは、さまざまな文体に出会い、自分の文体をあらいなおすことなのだと気づかされる。
「文体探し」が、この作品では、形の上にもあらわれている。
「強い朝」。この短いことばのなかにある「漢文体」。大胆な省略と凝縮。それによって、つぎのことばへの飛躍。森鴎外を思い出してしまう。いま、こういう素早い文体を書く詩人を私は知らない。台湾旅行、台湾という漢文の空気が影響して、たまたまこういう文体になったのかどうかわからないが、日本での暮らしも、この漢文体で書いてもらいたいなあ、どうなるかなあ、とふと思った。
一色真理「句読点」に出てくる「弱く」(弱い)ということばを読みながら、「弱い」と書ける「強さ」を思った。
ぼくは体が弱くて
学校を休んでばかりいた
句読点のいっぱいある作文みたいに、
「弱く」は1行目に出てくる。これは文字通り弱い、病弱、体力が弱いという意味だろう。その「弱さ」を「句読点」と一色は名付けている。
息継ぎ、そして中断。それは、別の言い方をすると、呼吸をととのえるということかもしれない。「句読点」とは、そういう「中断」の比喩である。比喩であるかぎり、それは「わざと」書かれたものである。そこには、そうした「呼吸」「息のととのえ」「中断」というものが意識的におこなわれていることを意味する。
自分は、いま、ここで、「わざと」休んでいる。そういう「意識」は「世界」をやはり「比喩」にかえて行く。現実が、一色自身の「わざと」に影響されて、「比喩」へとずれてゆく。
この過程がおもしろい。
2連目以降は、次の展開になる。
襖の向こうでは家族がにぎやかに
夕ご飯を食べている
蒲団をかぶってネタふりをしながら
作文を書いていると
枕元をごきぶりが
触覚をふりながら通りすぎた
真っ黒なつるつるした顔のごきぶり
よく見ると眼鏡をかけている
「バガ!」と叫んで
ぼくは書きかけの作文から
句読点をひとつつかんで
投げてやってた
ゴキブリの脚がもげた
句読点をもうひとつぶつけると
下腹がぱっくり裂けて
白いあぶらがいっぱい出た
ぼくはとても気持ちよくなり
満足して朝まで眠った
「眼鏡をかけている」ゴキブリは、もちろん「比喩」である。「家族」という「文体」を、「句読点」となって、眺め直している一色。そのとき「家族」がゴキブリに見える。「家族」の「句読点」と一色の「句読点」が一致しているなら、そういう「ずれ」というか、「家族」がゴキブリに見えるということもないのだが、呼吸がずれているので、一色と「家族」は「異質」な生き物としてぶつかりあう。
一色は、自分ではどうすることもできない「弱さ」を訴える。「句読点」をぶつける。こういう「文体」の違いに抵抗する方法は、一色を見守る家族にはない。異質の「句読点」を受け止めるだけである。異質の「句読点」を受け止めることが、たとえ、自分自身にとって不都合であっても。--それが、「親」というものだからである。
こどもは、自分の、どうしようもない「呼吸」をぶつければ、それで満足する。そして、眠る。
そういうことをしてきた、と、いま、思い出している。--この「強さ」は、たぶん、一色が「こども」ではなく「親」になった、いま、「親」であるということと関係しているのだと思う。
こどもがこどもではなく、親になる--というのは自然なことだけれど、そういう自然を、ちょっと悲しいような(なつかしいような)感じで思い出している。そういう人間の自然な「強さ」がある。
ぼくが書いた一番最初の詩の題名がそれだ
「父を殺した小学生」
そんなふうに思い出すことのできる「強さ」。自然さ。途中にはじめてのセックスのことがちらりと出てくる。この「句読点」にも、人生の、自然の「強さ」を感じる。
*
松岡政則「平渓線老街散歩」の詩には「弱い」ではなく、「強い」が出てくる。
商店街の店先で、男がおもちゃのお札を燃やしていた。身ぶり手ぶ
りでたずねると、身ぶり手ぶりで神様へのおそなえものだという。
強い朝。どこからか臭豆腐を揚げる臭いがする。
臺北車站(台北駅)から瑞芳車站まで特急に乗る。指定席をみつけ
ると、もう誰かすわって目をつむっていた。行商風の老女だった。
床に置かれた荷物も膝に抱えた荷物も、どちらも善良だった。
(略)
終点は菁桐車站の改札口を抜ける。何かをあきらめたような、この
薄いひかりならよく知っている。どことはなしに近しい喉も感じる。
土の道もあった。濃い共同体のあることがわかった。
「強い朝」。この対極にあるのが「薄いひかり」である。
「強い」は個人的な強さ、ひとりひとりの強さ、競争社会(都会)を生き抜く強さが寄り集まったものだろう。2連目の、行商風の老女に通じる強さである。松岡は台北では、「強い」個人に出会っている。「強い文体」をもった人に出会っている。
「薄いひかり」は「弱い」に通じる。個人が弱い。そのかわり「濃い共同体」がある。台北では身ぶり手ぶりで個人と対話するが、菁桐では写真を撮らせてくれと頼めば、手ぶりで拒まれ、そこで対話はおわる。個人ではなく、共同体が「強さ」として立ちふさがる。個人ではなく、「共同体」が文体をもっている。
そういうものと向き合いながら、松岡は、松岡自身の「句読点」を探している。文体(思想)を探している。そして、最終行に、
暮れがたは鐡路の犬の舌もさみしい。
という美しいかなしみにたどりつく。
旅行とは、さまざまな文体に出会い、自分の文体をあらいなおすことなのだと気づかされる。
「文体探し」が、この作品では、形の上にもあらわれている。
「強い朝」。この短いことばのなかにある「漢文体」。大胆な省略と凝縮。それによって、つぎのことばへの飛躍。森鴎外を思い出してしまう。いま、こういう素早い文体を書く詩人を私は知らない。台湾旅行、台湾という漢文の空気が影響して、たまたまこういう文体になったのかどうかわからないが、日本での暮らしも、この漢文体で書いてもらいたいなあ、どうなるかなあ、とふと思った。
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