詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

田原『石の記憶』(1)

2009-11-10 00:00:00 | 詩集
田原『石の記憶』(1)(思潮社、2009年10月25日発行)

 「田舎町」という作品がある。その書き出しの2連。

叙述が壟断する
記憶に沿って南下すると
川に臨む田舎町で
偶然出会った犬の鳴き声が
僕の郷愁を呼び覚ます

戦禍に壊れた木造の民家は文字によって復元された
澄みきった水の中で
魚の鱗はその時の星の光を帯びて
水底にキラキラ光る

 私は、いきなり「文字」に出会った。「ことば」というより、「文字」に。
 田原は中国人である。中国から漢字がやってきた。そこからカタカナやひらがなをつくりだして日本語の「文字」は成り立っている。「文字」(漢字)にはもちろん意味があるから、日本語は中国から「意味」も借りてきてことばを動かしてきている。「漢字」のなかに、「意味」が残っている。それをひきずるようにして日本人は(あるいは、私は、と言った方がいいのかもしれないけれど)、ことばを書いている。だれもが知っていることなのだろうけれど、私は、そのことをあらためて感じてしまった。
 「文字」。
 まず「壟断」が私には読めなかった。私はまず「龍」から検索して漢字を調べた。そうすると、「土」で調べなおせ、と辞書に書いてある。「龍」のはでな「文字」にひきずられてしまうけれど、そうか、「土」のことなのか。辞書によると、壟は丘のことである。竜の背中がうねるようにうねっているのが丘。(うねっている、から「うね」という意味があるし、うねっている部分は高くなっていて塚のようにみえるから、「つか」とか「はか」という意味もあるらしい。)
 で、「壟断」って何?
 丘の高く切り立っているところ。利益を独り占めすること。ふーん。丘って高いんだ。ながらかというよりは「龍」の激しさをもっているのか。「断」は「断崖」の「断」になるわけだ。風景を独占する。四方を、東西南北を見渡す--そんなふうにして、「叙述」が動く。ことばが動く。
 うーん、ことばが動くというより、「龍」そのものが動いていくイメージが見える。こんな日本語、日本人ならつかわない。(たぶん。)だいたい、日本人は「壟断」なんて、知らない。(たぶん。いや、私のワープロでは、「ろうだん」と入力すると一回で変換するから、だれもがしっていることばなのかな。かなり、不安。私自身の日本語能力に対して。)

 だんだん何を書いているか、あいまいになりそうだけれど。

 田原のことばは、「文字」として存在する。(私には、そういう印象が強烈にある。)「音」ではなく「文字」として存在する。「文字」のなかにある「文字」。「壟」のなかにある「龍」が、まあ、「りゅう・ろう」と変化させれば「音」としても存在するのかもしれないけれど、音を圧倒して「文字」そのものとして、そこに存在する。そして、その「文字」がもっている「意味」がイメージとなって動いていく。
 そのことと関係があるかどうかわからないが、2連目の書き出しの1行。

戦禍に壊れた木造の民家は文字によって復元された

 ここに「文字」そのものが出てくる。1連目の「郷愁」ということばの関係で言えば、私なら「記憶」によって復元された、と書いてしまうだろう。壊れた家を見て、その家が壊れる前の姿、なつかしい姿、郷愁につながる姿を思い出す--そして、その記憶のなかに、家が「復元」してくる。
 でも、田原は、「文字」と書く。
 田原の「文字」は私の「記憶」と同じである。(と、私は、勝手に断言する。)
 そうすると、「壟断」の「龍」は「記憶」ということになる。私にとっては「龍」は空想だが、田原には「記憶」なのかもしれない。龍そのものが記憶というと、たぶん、少し意味が違ってくるだろうけれど、激しくうねる丘、その起伏の激しさは田原の「記憶」であり、その姿から「龍」を思い描いたことがあるというのも、田原の「記憶」(幼い思い出、なつかしい郷愁)であるかもしれない。
 「文字」。中国と日本とで同じ文字をつかう。けれど、同じ文字なのに、そのなかに何か違ったものがある。その違いを私は具体的に指摘できないけれど、田原のことばにふれると、その文字の奥から、不思議と違った風景が見えるような気がするのである。このことを私はかつて「大陸の風景」と書いたような記憶がある。日本の風景ではなく、何かもっと広い風景、激しい風景が、ふいに、見えるような感じ。私の視界がいっきに払われて、新しい光が満ちあふれる感じ。そういうものがある。

 田原の「文字」ということばに出会って、ああ、そうなのだ、中国というのは「文字」の国なのだ、とあらためて思った。何でも「文字」にして残す。「文字」は残る。「文字」のなかには、記憶そのものがある。田原は、それを「肉体」としてもっているということだろう。

 そして思ったのだ。中国が「文字」の国なら、日本は何の国だろう。私の独断で言えば「音」の国である。私たちの祖先は中国から漢字を借りてきた。そして、それを「音」にあてはめた。万葉集の文字を見ればわかる。そこには漢字の「意味」ではなく、まず「音」そのものがある。中国の音というより、日本の音。日本の音を残すために、日本人は中国の漢字を借りたのだ。「意味」を剥奪して、「音」を借りたのだ。
 この、「意味」から「音」への「ずれ」。そこに不思議な何かがある。
 「意味」から「音」へと動いていきながら、一方で「意味」そのものをも借りている部分もある。日本で書かれる「漢詩」。そこにはもちろん「音」があるけれど、漢字そのものの「意味」も引き継がれる。
 日本語というのは、いわば、ごちゃまぜなのだ。
 そのごちゃまぜを、田原のことばが洗い清めている--そういう感じが、田原の詩を読むとしてくるのだ。

 そして、というのも少し(かなり?)奇妙なことなのだが、私は田原の詩を読みながら、それが「日本語」として書かれているのを読みながら、もし谷川俊太郎が田原の詩を翻訳したら(もちろん日本語に、である)、それはどんなふうになるだろうか、と想像してしまった。
 谷川の詩の魅力はいろいろあるだろうけれど、そのひとつに「音」がある。谷川の音は、私には無垢の音に感じられる。無垢--というのは「意味」を背負い込んでいない、意味にしばられていないというほどの意味である。意味を否定して音がはじけていく、その瞬間のよろこびのようなものがある。そういうことばを発する谷川が、もし田原のこの詩集を日本語に翻訳すると、どうなるのだろう。
 詩というものは、それぞれの「外国語」である。たとえば田原が書いているのは、見かけは日本語だが、実際は「田原語」という特殊な外国語である。西脇順三郎のことばも日本語というより「西脇語」である。詩を読むとは、特殊な外国語を読むのに似ているのだ。もちろん谷川の書いているのも「谷川語」であって、「共通日本語(こんなものがあるかどうかわからないけれど)」ではないのだから、正確には、谷川の「音楽語」で翻訳したら、どうなるのだろう、というのが、私の、素朴な、そして、あきらめることのできない夢想である。

 田原の詩について感想を書いているのか、それともまったく違うことを書きはじめているのか、だんだんわからなくなってきたが……。
 先に引用した2連目の3行目。

魚の鱗はその時の星の光を帯びて

 この「その時」って「どの時」? いつのこと? 私にはよくわからない。そして、そのよくわからない部分に、なぜか、「日本語」を感じた。別なことばで言えば「中国語」を感じなかった。「壟断」や「文字によって復元された」には「中国語」のなごりというか、ことばの「底」を「中国語」が流れているのを感じたが、「その時」にはそういうものを感じなかった。さらに別のことばで言えば「意味」を、「表象」を感じなかった。「音」だけを感じた。それも、次の「音」を、音といっしょにあるイメージを誘い込むだけの「音」だけを感じた。
 「その時」を読んだとき、私の意識の中では「意味」は中断していた。わきに置かれていた。そして、そのことを何の苦痛にも感じなかった。
 「その時」って「どの時」? と私は書いたけれど、それは便宜上のこと。
 今でも私は、それが「どの時」であってもかまわないと感じている。家が復元され、郷愁の家の姿がもどったとき--なつかしい昔の川が記憶の中でよみがえったとき、というふうに面倒くさく考えたくない。時制の意味を捨て去って、ただ魚が星の光を浴びて鱗を輝かせていればそれだけでいい。

 ねえ、田原さん、もし、この詩を中国語に翻訳するとすれば、そのとき、田原さんの書いた「その時」はどういうことばになるの? 中国語では、その「文字」はどんなふうな「意味」を背負い込むの?
 私は、そんなことをたずねてみたい気持ちにもかられた。


水の彼方 ~Double Mono~
田原 (Tian Yuan)
講談社

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