監督パーシー・アドロン 出演 マリアンネ・ゼーゲブレヒト、CCH・パウンダー、ジャック・パランス
ポスターに特徴がでているが、映像の色彩がおもしろい。画面がそのまま自然の色ではなく、一部に黄色、黄緑色などのフィルターがかかっている。それが砂漠に不思議な表情を与える。これから始まるのはちょっとだけ作り物ですよ、お話なんですよ、という安心感が生まれる。
アメリカの砂漠の真ん中で夫婦げんかをしたドイツ人の中年夫婦。けんかした勢いで、そのまま別れ、別々の行動。車を運転している男はいいけれど、スーツケースひとつで路上にほうりだされた女はたいへん。どうやって空港へ行く? どうやって帰国する?
そういう深刻な問題は、ちょっとわきにおいて。
女は、途中で「バグダッドカフェ」を見つけ、併設のモテルに泊り込んで、居ついてしまう。あれっ、こんなこと、ありうるかなあ。ありえないでしょうねえ。ありえなくていいんです。映画だから。物語だから。嘘だから。--その嘘がこれからはじまりますよ、というのが独特の画面の色分割。グラデーションのかかった色の、画面への侵入。しゃれていますねえ、この画面。
ドイツ人とアメリカ人の気質の差も、うまくいかされている。
これがドイツ人ではなくフランス人だったら(と、書くとフランス人が起こるかもしれないけれど)、きっとこんな具合にはいかない。フランス人のわがまま、不潔さは、アメリカ人の比ではない。借りたモテルの部屋が汚いからといって、自分で掃除して快適な空間に仕立てる、なんてことは清潔好きなドイツ人ならでは。まして、他人の部屋まで片付け、きれいにするなんて、ドイツ人以外の誰がするだろう。
アメリカ人の、なんというのだろう、英語を話すなら「アメリカ人」として受け入れるという基本的な生き方(思想)と、カタコトのドイツ人の英語との出会いというもの、なんともいえずいい感じだ。カフェの女主人は、ドイツ人女のやることなすこと、「私のスタイルとは違う」と怒りながらも、だんだん受け入れていってしまう。受け入れるだけではなく、その交流によって、少しずつこころも変わっていく。
まるで、アメリカの砂漠が、ドイツのカメラで色を変えてしまうように、少しずつ変わる。けれど全部が変わるわけではなく、変わった部分を抱え込みながら、「色のまじり具合」、その微妙なバランスの美しさを輝かせる感じだねえ。
女主人だけではなく、その娘、息子、そしてキャンピングカーで居候(?)をしている映画看板描きも変わっていく。それぞれが、それぞれの「本質」に変わっていく。(この本質のこと、私は「正直」と呼んでいるのだけれど。)とっかえひっかえ、ボーイフレンドと遊び回っていた少女はファッションに目覚め、人との交流を大切にするようになる、少年は自分のめざしている音楽をはっきり自覚する、看板画家はほんものの画家に変わる……。彼らも、全員、まったく別人になるのではなく、ドイツ人女が運んできた「色」をちょっぴり自分の世界に紛れ込ませる。そういうことをしているだけなのだけれど、その紛れ込んできた色とのコンビネーションが、そこに美を立ち上がらせる。いままであった色なのに、それがはじめてそこにあらわれたような美しい輝き。
これはいいなあ。
最後も楽しい。ビザが切れ、ドイツに追放された女がもどってくる。そして、バグダッドカフェの楽しい楽しいショー・タイム。いや、マジック・アワー。ほんとうに魔法だねえ。みんながそれぞれの色を出し合い、(観客の飛び入りまである)、その色模様が美しいハーモニーになる。だれもがみんな、探していたものを見つけ出したのだ。
小さな街の、小さなカフェ。そこで起きた奇蹟。ほんとうに楽しい。有名なテーマ曲も哀愁があって、一度聴いたら忘れられない。
(公開当時、私はこの映画を見逃している。ディレクターズカットの作品が上映されており、それをやっと見ることができた。)
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