詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

辻井喬「マタイ受難曲異文」

2010-01-04 00:00:00 | 詩(雑誌・同人誌)
辻井喬「マタイ受難曲異文」(「現代詩手帖」2010年01月号)

 辻井喬は、私にとって苦手な詩人である。どうにも詩人としてなじめない。なぜ詩人としてなじめないかというと、その作品の1行1行が独立して感じられないからである。「散文」を行を変えて書いている--という印象が強い。「意味」がことばにしたがって動いていき、「意味」が「感動」にかわる。そういう印象が強い。ある1行(数行でもいいけれど)に立ち止まり、これいいじゃないか、このことばをつかってみたい--という欲望を刺戟してこないのだ。
 「マタイ受難曲異文」は戦時中に録音された「マタイ受難曲」のレコード(CDで復刻)に聴衆の咳が入っていることから、その咳をした人物を思いやる作品だが、この詩も非常に「意味」が強い。「意味」を伝えながら、ことばが動いていく。そのことばとことばの「意味」のつながりの強さは、私の感覚では「散文」である。なぜ行変えのスタイルをとっているのかわからない。
 書き出し。

ひかえめな咳がひとつ
ライヴ録音のなかに入っている
ずっと前に録音されたマタイ受難曲の一節
咳にも年齢や男女の区別があるから
おそらく三十前後の男
録音された時と場所ははっきりしている
一九三九年四月 アムステルダム
そのレコード盤が残っていて復元され
CDになっていま私の手元にある
それでも 彼がどんな男だったのか
来ていたのは背広かヂャンバーか
眼鏡をかけていたのかなどは分からない

 「ずっと前に演奏されたマタイ受難曲の一節」「おそらく三十前後の男」と体言止めの行をまじえることによって、「散文ではない」という工夫がされているが、その体言止めにしろ「である」という述語が簡単に想像できる。学校教科書の「散文」なら「である」をいれさせられるけれど、これくらいの省略はいまでは「散文」では珍しくない。
 どうにも、つまらない。
 ああ、つまらないなあ、と感じながら読んでいたのに、次の行で、私はびっくりしてしまった。突然、辻井の詩が好きになってしまった。

なにしろまわりは暗かったはずだ

 ええっ、男が誰だかわからないのは暗かったから? 違うでしょ? 単なる聴衆の一人にすぎないからわからないだけでしょ? 「記録」されるような人間ではなかったからわからないだけでしょ?
 「なにしろまわりは暗かったはずだ」には、「論理」「意味」がない。
 そこに「意味」がないから、辻井が好きになってしまった。
 「意味」のかわりに、では、何があるか。
 辻井の生きている(生きてきた)時代感覚、そのときの「感情」「認識」が、「男」や「マタイ受難曲」を突き抜けて噴出してきている。1939年当時「暗かった」のはアムステルダムだけではない。コンサート会場だけではない。日本も暗かった。辻井がどこで、どんな生活をしていたか、私は知らないが、辻井のまわりは「暗かった」のだ。「暗かった」はずである。
 「なにしろまわりは暗かったはずだ」と書いた瞬間、辻井はコンサート会場の男を書いているのではなく、辻井自身を書いていることになる。
 その後につづく砲撃やいろいろなことも、「男」が体験したことではなく、辻井が体験したことをもとにした想像である。辻井が学んできた「歴史」と辻井自身の体験を交差させながら書いていることがらである。
 そうなのだ、ここからは、もう「男」ではなく、辻井自身が書かれている。
 辻井が1939年当時「マタイ受難曲」を聞いたかどうかは問題ではない。アムステルダムの「男」が「マタイ受難曲」を聞きながら

 「私を知って下さい私の守り神よ 私の
 牧者よ どうか私を受け入れてください」

 と祈ったかどうか知らない。しかし、同じような思いを抱いて生きただろう。同じような祈りを辻井もしたはずなのである。

 「私を知って下さい私の守り神よ 私の
 牧者よ どうか私を受け入れてください」
と歌は続く 合唱隊は歌い続ける
ライヴ盤に残された生命の痕跡は消えない
人間がこの世にいるのはわずかな時間
やがて時のなかに消えるというが
その先が夜か朝日の当る山脈のような所か
それとも海原か 地球の外なのか
これもまた不確かなこと
ただひとつはっきりしているのは
彼が生きていた時 ひかえめな咳を
消えない形で残したということ
それだけが確かなのだ

 辻井はライブ録音に偶然のようにして「咳」を残さない。そのかわり、ことばを書く。小説を書き、詩を書く。それは辻井にとって「男」の「咳」と同じように、「生きていた」というたしかな痕跡、「消えない形」なのである。
 辻井は自分の生きていた歴史を「消えない形」に書き留める。そして、そのときのことばには、「なにしろまわりは暗かったはずだ」というような、辻井自身と同時代の他者をつなぐ感覚がある。辻井の歴史ではなく、辻井の生きている時代の、ことばを残さない人々とをつなぐ感覚がある。それをこそ辻井は書きたいのだ。そういうことを書きたいからこそ、過激な(?)現代詩ではなく、多くの人にとどく「散文」に似たことば、「意味」を十分に含んだことばで詩を書いているのだろう。



 補足として。

 私が辻井の詩を突然好きになった1行、私に「好き」という感情を呼び込んだ1行は、作品全体のなかで見れば、実は「なくてもいい行」である。なくても「意味」は完全に成立する。ためにし詩全体からその1行を削除してみるといい。はじめて読んだ人はなんの違和感もないまま読み通すだろう。何度か読んだ人でも、その行が削除されていても、そんなに気にならないかもしれない。たとえば、最後の「彼が生きていた時 ひかえめな咳を/消えない形で残したということ」という2行が削除されたら、読んだ人なら、あ、最後の部分が欠落していると気づくだろうけれど、「なにしろまわりは暗かった」という行が欠落していても気づく人は少ないかもしれない。
 こういう「なくてもいい行」(その1行がなくても意味が、あるいは感動の内容が成立する行)にこそ、実は、私は「思想」があると考えている。それこそが「思想」だと思っている。
 辻井には、この行を書いているという意識はないかもしれない。「彼が生きていた時 ひかえめな咳を/消えない形で残したということ」という2行は、こういう意味のことを書こう、そのためにことばをこんなふうに整えようと意識したかもしれないが、「なにしろまわりは暗かった」という行では、そういうことは考えなかっただろうと思う。辻井の「肉体」に深くしみついた「肉体のことば」である。「意識のことば」ではなく、「頭のことば」ではなく、「肉体のことば」。他人から見れば、その行はなくても成立するが、その行を通らないことには辻井のことばは動いていかない。
 「なにしろまわりは暗かったはずだ」というときの「暗さ」を辻井は「肉体」として知っている。それはなにもコンサート会場だけの「暗さ」ではない。証明を消した人工的な暗さではなく、その当時はどこもかしこも「暗かった」。そのことを記憶している「肉体」が、「なにしろまわりは暗かったはずだ」ということばを動かしているのである。そこには「意識」では操作できない「真実」がある。「肉体」が知っている真実がある。
 こういう「思想」がしっかりとからみついたことばが私は好きだ。そういう1行、あるいはそういう1語があると、私は、その詩が大好きになる。



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