監督 マーク・ウェブ 出演 ジョセフ・ゴードン=レヴィット、ズーイー・デシャネル
「ボーイ・ミーツ・ガール」。ただし、ボーイはすでにボーイではない。若くはない。「卒業」のダスティン・ホフマンのように大学を卒業してしまっている。いまどき、「卒業」のラストシーンを思い出したりしている。若いのに。若い--というのは、「卒業」なんて知らない、で通じる年齢なのに、という意味である。でも、まあ、年齢は関係がないかもしれない。男女の仲には。
男の仕事は「カード会社」でカードのことば、コピー(?)を考えること。この、ちょっと映画の舞台にはならなかったような会社(仕事)を題材にしているところが、おもしろいといえば、おもしろいのかな。でも、あ、ここがおもしろい、といえるほどの特徴的なおもしろさがない。
万人向け(?)のことばをひねり出しつづける。けれど、自分自身のことばはもっていない。--というところまでつきつめて描くと、おもしろくなるけれど、そこまではつきつめない。「脳内ニューヨーク」のように、哲学的(?)にもなれない。
中途半端。
年齢も仕事もそうだが、この中途半端というか、この見落としてしまうそうな「すきま」に目を向けているのが、この映画の一番いいところなのかもあれない。主役の二人にしても同じだ。美人・美男子ではない。役者になるくらいだから「中の上」「上の下」くらいの感じではあるのだけれど、トップスターのもっている輝かしいものはない。かといって、醜いわけではない。その中途半端な二人が、中途半端な恋をする。
そういう時期というのは、確かにあるなあ。
ジョセフ・ゴードン=レヴィットの半分眠たいような、やる気のなさというか、覇気にかける肉体と動きは、この映画にぴったりあっていて、それを楽しむ映画といえば、そうなるかもしれない。--たぶん、その肉体論というか、役者の特権論から書きはじめれば、少しはおもしろい感想になったかなあ。
でも、もう遅いね。
いっそうのこと、「卒業」とこの映画とどこが違うか--を考えてもよかったかもしれない。ダスティン・ホフマンも、背は低いし、眠たいような、ぴりっとしない肉体の役者である。中途半端な役者である。その中途半端な役者が、この映画と同じように、中途半端な生活をしている。でも、ひとつだけ違った点がある。「卒業」にはミセス・ロビンソンとの恋というか、情事があった。乗り越えるべき「障害」があった。「大人」の壁があった。この映画には、それがない。
「大人の壁」がない。
仕事に行き詰まったときも、大人である上司はボーイを攻めたりはしない。あたたかく見守る。ボーイは何とも戦わない。--これは、不戦の映画なのだ。そして、大きな壁と戦わないということが、中途半端をいっそう「ずるずる」とした感じでただよわせる。
そして、「大人の壁」がないかわりに、とてもこましゃくれた「子供」が登場する。中学生(小学生?)の女の子が、ボーイの恋の悩みを聞いて、冷静に、何をすべきかを教えるのだ。諭すのだ。
その教えは、体験というよりは、一種の「耳年増」の知恵という感じなのだが、それがこの映画の一番楽しいところかなあ。へんに笑えるところかなあ。
でも、まあ、見なくていいよ。(笑い)
「ボーイ・ミーツ・ガール」。ただし、ボーイはすでにボーイではない。若くはない。「卒業」のダスティン・ホフマンのように大学を卒業してしまっている。いまどき、「卒業」のラストシーンを思い出したりしている。若いのに。若い--というのは、「卒業」なんて知らない、で通じる年齢なのに、という意味である。でも、まあ、年齢は関係がないかもしれない。男女の仲には。
男の仕事は「カード会社」でカードのことば、コピー(?)を考えること。この、ちょっと映画の舞台にはならなかったような会社(仕事)を題材にしているところが、おもしろいといえば、おもしろいのかな。でも、あ、ここがおもしろい、といえるほどの特徴的なおもしろさがない。
万人向け(?)のことばをひねり出しつづける。けれど、自分自身のことばはもっていない。--というところまでつきつめて描くと、おもしろくなるけれど、そこまではつきつめない。「脳内ニューヨーク」のように、哲学的(?)にもなれない。
中途半端。
年齢も仕事もそうだが、この中途半端というか、この見落としてしまうそうな「すきま」に目を向けているのが、この映画の一番いいところなのかもあれない。主役の二人にしても同じだ。美人・美男子ではない。役者になるくらいだから「中の上」「上の下」くらいの感じではあるのだけれど、トップスターのもっている輝かしいものはない。かといって、醜いわけではない。その中途半端な二人が、中途半端な恋をする。
そういう時期というのは、確かにあるなあ。
ジョセフ・ゴードン=レヴィットの半分眠たいような、やる気のなさというか、覇気にかける肉体と動きは、この映画にぴったりあっていて、それを楽しむ映画といえば、そうなるかもしれない。--たぶん、その肉体論というか、役者の特権論から書きはじめれば、少しはおもしろい感想になったかなあ。
でも、もう遅いね。
いっそうのこと、「卒業」とこの映画とどこが違うか--を考えてもよかったかもしれない。ダスティン・ホフマンも、背は低いし、眠たいような、ぴりっとしない肉体の役者である。中途半端な役者である。その中途半端な役者が、この映画と同じように、中途半端な生活をしている。でも、ひとつだけ違った点がある。「卒業」にはミセス・ロビンソンとの恋というか、情事があった。乗り越えるべき「障害」があった。「大人」の壁があった。この映画には、それがない。
「大人の壁」がない。
仕事に行き詰まったときも、大人である上司はボーイを攻めたりはしない。あたたかく見守る。ボーイは何とも戦わない。--これは、不戦の映画なのだ。そして、大きな壁と戦わないということが、中途半端をいっそう「ずるずる」とした感じでただよわせる。
そして、「大人の壁」がないかわりに、とてもこましゃくれた「子供」が登場する。中学生(小学生?)の女の子が、ボーイの恋の悩みを聞いて、冷静に、何をすべきかを教えるのだ。諭すのだ。
その教えは、体験というよりは、一種の「耳年増」の知恵という感じなのだが、それがこの映画の一番楽しいところかなあ。へんに笑えるところかなあ。
でも、まあ、見なくていいよ。(笑い)
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