「早春の賦」(「志賀直哉小説選 三、昭和六十二年五月八日発行)
「同感」ということばがある。
「奈良に来て最初の印象は不相変(あひしはらず)の奈良だと云ふ事だつた。」という感想を志賀直哉が持つ。奈良に着くまでは、なんの感想も持っていないような直吉がふとことばをもらす。そのシーン。( 133ページ)
特別な「意味」があるわけではない。同じように感じること、考えること--それだけのことばであるけれど、その意味が、すとん、と胸に落ちる。
それには、理由がある。
それまでに「同感」ということばをつかわずに、少しずつ違ったふうに書かれているからである。
丸い山の裾に畑があり、そこに人が働いている。それを見て、「私は和やかないい気分になつた。」その後。
志賀直哉の「感傷主義」と直吉の気持ちの違いがくっきりと浮かび上がっているので、直吉が突然「感情(感傷)」をもらすとき、離れていたものが一気にぴったりと重なり、「同感」が「同じ」「感じ」が凝縮して「同感」になったものであることが、すとん、と納得できるのである。
「同じように感じていた」では、まだるっこしい。「同感」であるからこそ、すとんと胸に響く。ここは、「同感」という熟語であらねばならないのだ。
志賀直哉は、ことばのリズムの必然性を熟知しているのだと思う。
それは、いまの「同感」だけではない。たとえば、先に引用した部分でいうと、「おい。宇治川だ。工兵の鉄舟が浮いてゐる」「木津川に来た。久しぶりで来たんだ。少しはそとを見ろよ」この二つの志賀直哉のことばにもあらわれている。短いことばのたたみかけ。文と文とを結ぶことばはなくて、ぶつんぶつんと切れる。それでいて、その文と文とは強い接着力で結びついている。「久しぶりで来たんだ(だから)、少しはそとを見ろよ」というように、ねちねちしない。ねちねちしているほどの余裕もなく、感情が突っ走るそういうリズムのあとに、「同感」ということばがある。
さらに。
この三つを比較すると、もっとおもしろいことがわかる。
文章が少しずつ長くなっている。
ひとは、感情が強く動いているときは、長いことばを言えない。感情はことばにならないまま、ことばからはみだしている。
「おい。宇治川だ。工兵の鉄舟が浮いてゐる」は、「おい。宇治川に来た。工兵の鉄舟が浮いてゐる。そとを見ろよ」なのである。「に来た」「外を見ろよ」はことばにならないまま、声にのみこまれている。その声を志賀直哉は、そのまま書いているのである。そして、その声のなかのことばになっていない部分が正確に直吉につたわっていないと感じたからこそ、次に直吉に外を見ろよ、というとき、それをことばにしている。「外を見ろよ」といっている。理由も「久しぶりで来た(のだから)」とつけくわえている。
そういうことばがあって、それに同感するとき、直吉は、その重複するものを省略している。
直吉のことばは次のように言いなおすこともできるのだ。
「ほんとうだね。久しぶりに来たのに、何も彼もあんまり同じだね。同じに見えるので、二年間高田馬場に住んで来たやうな気が少しもしないぢやないか」
直吉のことばには、志賀直哉が二度目のことばで言った「久しぶりに来た」と「見る」が省略されている。
この省略が「同じ感じ」の「じ」を省略する動きにつながっている。「同感」につながっている。
「同感」ということばがある。
「奈良に来て最初の印象は不相変(あひしはらず)の奈良だと云ふ事だつた。」という感想を志賀直哉が持つ。奈良に着くまでは、なんの感想も持っていないような直吉がふとことばをもらす。そのシーン。( 133ページ)
「何も彼もあんまり同じだね。二年間高田馬場に住んで来たやうな気が少しもしないぢやないか」
直吉も同感である。
特別な「意味」があるわけではない。同じように感じること、考えること--それだけのことばであるけれど、その意味が、すとん、と胸に落ちる。
それには、理由がある。
それまでに「同感」ということばをつかわずに、少しずつ違ったふうに書かれているからである。
丸い山の裾に畑があり、そこに人が働いている。それを見て、「私は和やかないい気分になつた。」その後。
此感興は再び来て同じやうに感じられるかどうか分らない性質のものだが、現在の感興が私だけの主観でない事は紫峰君も感心してゐる事で私には分つてゐた。只一緒に居る直吉がどう感じてゐたか、これは訊いて見なかつたが、「いい加減にきりあげて呉れないかな。腹がへつて来た」とこんな事を思つてゐたかも知れない。子供は光りのないかういふ静かな景色、しかも寺は、決して愉快には感じないものだらう。(130 ページ)
私は京都で二年、奈良に十三年、前後十五年間此辺の風景に親しんで来たから、久振りに眺める窓外の景色は珍しくないが、何か淡い楽しみとなつた。然るに奈良で生れ、奈良弁を使つて育つた直吉にはこれらの風景に対し、何の感情も持つ風なく、首を不自然な位に垂れて、持つて来た大衆小説に全心惹込まれ、読耽つてゐた。
「おい。宇治川だ。工兵の鉄舟が浮いてゐる」
私がかういつても、一ト言では返事もしない。
(略)
「木津川に来た。久しぶりで来たんだ。少しはそとを見ろよ」と云ふと、直吉は困つたやうな変な笑ひを浮かべ、本を伏せ、拳固で首筋を叩きながら窓外を見るが、依然何の興味もない風だ。つまり、私のやうな感傷主義がないのだ。(131 -132 ページ)
志賀直哉の「感傷主義」と直吉の気持ちの違いがくっきりと浮かび上がっているので、直吉が突然「感情(感傷)」をもらすとき、離れていたものが一気にぴったりと重なり、「同感」が「同じ」「感じ」が凝縮して「同感」になったものであることが、すとん、と納得できるのである。
「同じように感じていた」では、まだるっこしい。「同感」であるからこそ、すとんと胸に響く。ここは、「同感」という熟語であらねばならないのだ。
志賀直哉は、ことばのリズムの必然性を熟知しているのだと思う。
それは、いまの「同感」だけではない。たとえば、先に引用した部分でいうと、「おい。宇治川だ。工兵の鉄舟が浮いてゐる」「木津川に来た。久しぶりで来たんだ。少しはそとを見ろよ」この二つの志賀直哉のことばにもあらわれている。短いことばのたたみかけ。文と文とを結ぶことばはなくて、ぶつんぶつんと切れる。それでいて、その文と文とは強い接着力で結びついている。「久しぶりで来たんだ(だから)、少しはそとを見ろよ」というように、ねちねちしない。ねちねちしているほどの余裕もなく、感情が突っ走るそういうリズムのあとに、「同感」ということばがある。
さらに。
「おい。宇治川だ。工兵の鉄舟が浮いてゐる」
「木津川に来た。久しぶりで来たんだ。少しはそとを見ろよ」
「何も彼もあんまり同じだね。二年間高田馬場に住んで来たやうな気が少しもしないぢやないか」
この三つを比較すると、もっとおもしろいことがわかる。
文章が少しずつ長くなっている。
ひとは、感情が強く動いているときは、長いことばを言えない。感情はことばにならないまま、ことばからはみだしている。
「おい。宇治川だ。工兵の鉄舟が浮いてゐる」は、「おい。宇治川に来た。工兵の鉄舟が浮いてゐる。そとを見ろよ」なのである。「に来た」「外を見ろよ」はことばにならないまま、声にのみこまれている。その声を志賀直哉は、そのまま書いているのである。そして、その声のなかのことばになっていない部分が正確に直吉につたわっていないと感じたからこそ、次に直吉に外を見ろよ、というとき、それをことばにしている。「外を見ろよ」といっている。理由も「久しぶりで来た(のだから)」とつけくわえている。
そういうことばがあって、それに同感するとき、直吉は、その重複するものを省略している。
直吉のことばは次のように言いなおすこともできるのだ。
「ほんとうだね。久しぶりに来たのに、何も彼もあんまり同じだね。同じに見えるので、二年間高田馬場に住んで来たやうな気が少しもしないぢやないか」
直吉のことばには、志賀直哉が二度目のことばで言った「久しぶりに来た」と「見る」が省略されている。
この省略が「同じ感じ」の「じ」を省略する動きにつながっている。「同感」につながっている。
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