詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

平田俊子「警報器」

2011-08-23 23:59:59 | 詩(雑誌・同人誌)
平田俊子「警報器」(「現代詩手帖」2011年08月号)

 柏原寛「なぎさの胚珠」という奇妙な詩を選んだ平田俊子は、いま、どんな詩を書いているのだろうか。
 「警報器」という作品。

火災警報器がけたたましく鳴っている
「三〇三号室で火災が発生しました」
「至急避難してください」
まだ朝刊さえ配達されない時間だ
避難どころか 眠たくて
起き上がることもできない
深夜の火事は安眠妨害だ

 この1連目だけを読むと、どこが「詩」なのか、わからない。--かもしれない。平田を読みつづけている読者なら、「平田節」ともいうべきことばに気がつくかもしれないけれど、初めて読む人には、最後の「深夜の火事は安眠妨害だ」は、まるで漫才のことばのように思えるかもしれない。
 その、漫才に見えるような「軽い」ことばのなかにひそんでいる「本音」、そういうことばの「出し方」が詩なのである。ことばそのものが詩というよりも、ことばの出し方が平田の場合、独特なのである。
 ほんとうは、そんなことを思ってはいけない。でも、ことばは、思ってはいけないことも思ってしまう。--こころが思うのではなく、ことばが思ってしまう。ことばが、こころをつくりかえてしまう。ことばによって、こころはつくりかえられてしまう。
 そこが、おもしろい。
 2連目。

三〇三は隣の隣
生意気そうな男が出入りするのを
何度か見かけた
生意気な男の 生意気な火事は
わたしの部屋も燃やすだろうか
椅子も タマゴも
燃えないゴミも
真っ黒に焼いてしまうのか
「三〇三号室で火災が発生しました」
「至急避難してください」
消防車のサイレンが近づいてきた
と思ったら
また遠くにいってしまった
違う建物の三〇三が
ぼうぼう燃えているのだろう

 「生意気な男」は「生ゴミ」だろうか。そうかもしれない。そんなことは書いていないのだけれど、きっと遠慮して書かないだけなんだろうなあ。
 だが、そんなことよりもおもしろいのは、「燃えないゴミも/真っ黒に焼いてしまうのか」だ。笑ってしまうなあ。そうか、「燃えないゴミ」は別に燃えないゴミではないね。燃えるのだけれど、「燃えないゴミ」と呼ぶ。それは「燃やさないゴミ」。燃やしてしまうにしろ、普通の「燃えるゴミ」とは違った火力で燃やすことになる。なんてことは、どうでよくて……。ようするに、火事は、対象を区別しない、何かを区別するのは人間だけだということだ。
 これも、現実がそうである、事実がそうである--というよりも、ことばが動いてつくりだす現実である。普通は、そういうことを人間は意識しない。だから、そこには、「ことば」は存在しない。
 存在しない「ことば」を書くことで存在させ、そして、それにあわせて「現実」をつくりだして行く。ことばによってつくり出された現実を見ながら、そういうことばをつくりだす平田の、「声の他人性」を私は感じる。
 この「声の他人性」がおもしろい。
 ことばというのは「共感」によって共有される。そのとき「他人」は「他人」ではなく、「まるで私」になるのだが、そういうことばとは別に、この人は私とは違う、絶対に違う何かで動いていると感じる人がいる。そういうことばがある。「他人」。「他人の声」「他人のことば」。
 そのひとと、一緒の人間になってしまうのは、ちょっと困るなあ。でも、そういう人っているなあ。--そして、こんなことを思うのは、もしかすると「私」もそういう人間でありうるからだ。
 「共感したくない」。共感してしまったら、なんというか、生活がうまくいかない。たとえば、火事を知らせる警報器に、眠たいから邪魔しないでくれ、といっていたら死んでしまうかもしれない。だから、共感はしたくない。けれど、どこかで共感してしまう。共感したくて共感するのではなく、共感したくないのだけれど、共感してしまう。「他人のまま」でいたいのに、なぜか、つながってしまう。
 そういう「他人の声」を平田は、平易なことばのなかに隠して書いている。この「他人の声」の形が、「他人の声」の出し方が、柏原寛と似通っているように感じられる。

 3、4連目にも平田独特のことばがある。

火災警報器は去年も鳴った
あのときも真夜中だった
「至急避難してください」と機械にいわれ
わたしは急いで逃げ出した
消防車がやってきた
野次馬たちも集まった
なのに火事はどこにもなかった
機械の誤作動だったのだ
一度嘘をついたら信用されない
避難を呼びかけても従う人は少ない

消防車はもうすぐくるだろう
三〇三は燃えているだろう
若い消防士が間違えて
わたしの部屋に放水するだろう
夢の中で起きたことは現実には起きない
火事と洪水の夢を見るため
わたしはもう一度眠りに落ちる

 「機械にいわれ」「なのに火事はどこにもなかった」「一度嘘をついたら信用されない」「夢の中で起きたことは現実には起きない」--そのことばに、私は「他人の声」を強く感じる。
 笑ってしまう。
 そして、「若い消防士」の「若い」に平田の願望を感じ、そこには、おっ、かわいいじゃないか、と思ってしまう。
 私は突然、「他人」になってしまう。--あ、この私の最後の感想。わかりにくいでしょ? わからないように書いているのです。はい。



私の赤くて柔らかな部分
平田 俊子
角川書店(角川グループパブリッシング)
コメント
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