斎藤恵子『海と夜祭』(思潮社、2011年07月31日発行)
「知る(知っている)」と「分かる(分かっている)」について考えながら、斎藤恵子『海と夜祭』を読んだ。
「夢虫」という作品の1連目の2行。
これは、とてもおもしろい。「わたしの中」なのだから、当然、「わたし」に「わかっていなければならない」。「わたし」の中に「わたしが知らないこと(もの、ひと)」がある(いる)というのは、たしかに理不尽な気がする。
そして、ここで私がおもしろいと思うのは、なぜ、「わたし(斎藤)」が夢の中に出てくるひとが知らない人であると「分かった」かということである。--というのは、変な言い方になるが、斎藤はここで「知る(知っている)」と「分かる(分かっている)」を明確に区別しているということに気づき、とてもおもしろいと思ったのだ。
この区別は「無意識」だと思う。無意識だからこそ、そこに大事な「思想」が隠れていると私は思うのだ。
「わたし」は「夢の中」だから当然知っているひとが出てくると思っていた。しかし、出てきたのは「しらないひと」である。出てくるひとが「しらないひと」だと「わたし」は「分かった」。「分かった」ということばは書いてないが、「分かった」のだ。
でも、どうして?
「しらないひと」を、どうして人は「しらないひと」ということができる? 「しらない」なら、それはもしかすると「ひと」ではないかもしれない。どうして、「ひと」と「分かった」のか。
「しらないひと」だけれど、何か「分かる」ものがあるのだ。そのひとを「しらないひと」と言うだけの「根拠」のようなものが「わたし(斎藤)」にあるのだ。
それは、何だろう。
ここには「わたし」が「分かる(分かっている)」ことが書かれている。ひとはひと(わたし)を囲むことがある。ひとは「きたないゲロをは」くことがある。ゲロは「くろくすえた臭い」がすることを、「わたし」は「知っている」だけでなく、「分かっている」。だれかを非難するとき「ゆび差す」ということも「しっている」だけではなく「分かっている」。--その「分かっている」ことが、そこにいるひとが「みしらぬ」存在であるにもかかわらず「ひと」を浮かび上がらせるのだ。
そして、こそにいる「ひと」がしらないひとであるにもかかわかず、なにかしら「分かる」ことがあるために、「わたし」は困惑するのである。
なぜ、「分かる」のだろう。何を、「分かる」のだろう。
ほんとうに「しらないひと」が「ふかい目をしてわたしをのぞ」いたのか。それは、わからない。違うものを見ていたかもしれない。けれど、「わたし」はそう感じた。「分かる」というのは「感じる」ことなのだ。
でも、「感じ」というのは、あやふやなもの。ひとによって違うもの。
それなのに「分かった」になってしまう。
あるいは「あやふや」である、きちんと(論理的に)ことばで説明できないから、「分かる」なのかもしれない。
私は、実は、そう思っている。
「分かる」ことはきちんとことばにはできない。しかし、「分かる(分かっている)」ことは、ことばにはできないくせに、「肉体」で「する」ことができる。
ゲロをはく。そのにおいを「すえた臭い」と感じることができる。ひとを「ゆび差す」ことができる。ひとの目を「のぞく」ことができる。--そのとき、それでは「わたし」が何をしたのか、もっと「客観的な」というか、「論理的な」、あるいは「精神的な」ことばで言いなおすと、どうなるのか。つまり、「知(知識)」として言語化し、その言語化したものを、「他人」と共有するには、どう言いなおせばいいのか。
「分かる(分かっている)」ことは、「知識」にはできない。--「知識」にする必要はない。「知識」にしないまま、何事かを「共有」してしまう。それが「分かる」ということなのだ。
斎藤の書いていることは、これである。
「分かる(わかっている)」ことを「知識」にしない。「知識」にとじこめない。むしろ、「肉体」のまま、そこに放り出す。「肉体」を「分かれ」と迫るのである。
つまり、ここでは「ことば」は否定されている。
「ことば」は書かれているが、それは「知識(頭)」で理解しようとすると、するりと「頭」の「網」をすりぬけていくものである。「肉体」で感じるときにだけ、斎藤のことばは、「肉体」のなかで動く。
--と、書きながら、書いていることがだんだん分からなくなる。
たぶん、「分からなくなる」ことが、「分かる」ことなのだろうけれど。--と、自分で書きながら、むちゃくちゃなことを書いてるなあ、と思う。
でも、これが実感。
斎藤の書いていることは、「批評のことば」(客観的、抽象的なことば、知のことば)では、つかみきれないのだ。
最終連。
書きはじめるときりがないが……。最後の2行。両手を鳥の翼のように伸ばす(ひろげる)。そうすると、飛べるような気がする。飛べるように感じる。「気」「感じ」というのは、もう、それ以上「論理的なことば」にはならない。
「知る」ことはできない。
それは「分かる」しかないものなのだ。
私はこの「日記」で何度も書いてきたが、人間はだれかが道に倒れて腹を抱え、うめいていたら、「あ、この人は腹が痛いのだ」と「分かる」。それは「知る」のではない。「分かる」のだ。「肉体」に「肉体」が反応してしまう。他人のからだ--つまり、「私」とはどこともつながっていないのに、まるで自分のからだの痛みのように、それが「分かる」。そういう変なところがある。
斎藤は、そういう「肉体」で「分かる」(肉体でしか分からない)変な領域を、「肉体」に非常に近いことばで書いている。「知」から遠く、あくまで「肉体」に近いことば、「肉体の内部」のことばで書いている。
これは「知」から、あるいは「頭」から「ことば」を「肉体」に取り戻すという仕事かもしれない。
海と夜祭 斎藤 恵子 思潮社
「知る(知っている)」と「分かる(分かっている)」について考えながら、斎藤恵子『海と夜祭』を読んだ。
「夢虫」という作品の1連目の2行。
夢の中はわたしの中のはずなのに
しらないひとばかりが出てきます
これは、とてもおもしろい。「わたしの中」なのだから、当然、「わたし」に「わかっていなければならない」。「わたし」の中に「わたしが知らないこと(もの、ひと)」がある(いる)というのは、たしかに理不尽な気がする。
そして、ここで私がおもしろいと思うのは、なぜ、「わたし(斎藤)」が夢の中に出てくるひとが知らない人であると「分かった」かということである。--というのは、変な言い方になるが、斎藤はここで「知る(知っている)」と「分かる(分かっている)」を明確に区別しているということに気づき、とてもおもしろいと思ったのだ。
この区別は「無意識」だと思う。無意識だからこそ、そこに大事な「思想」が隠れていると私は思うのだ。
「わたし」は「夢の中」だから当然知っているひとが出てくると思っていた。しかし、出てきたのは「しらないひと」である。出てくるひとが「しらないひと」だと「わたし」は「分かった」。「分かった」ということばは書いてないが、「分かった」のだ。
でも、どうして?
「しらないひと」を、どうして人は「しらないひと」ということができる? 「しらない」なら、それはもしかすると「ひと」ではないかもしれない。どうして、「ひと」と「分かった」のか。
「しらないひと」だけれど、何か「分かる」ものがあるのだ。そのひとを「しらないひと」と言うだけの「根拠」のようなものが「わたし(斎藤)」にあるのだ。
それは、何だろう。
しらないひとがわたしを囲み
きたないゲロをはきました
くろくすえた臭いがします
みちを粘液になっておおいます
しらないひとたちは
わたしがしたのだとゆび差します
くびをふると大声でわらいます
ここには「わたし」が「分かる(分かっている)」ことが書かれている。ひとはひと(わたし)を囲むことがある。ひとは「きたないゲロをは」くことがある。ゲロは「くろくすえた臭い」がすることを、「わたし」は「知っている」だけでなく、「分かっている」。だれかを非難するとき「ゆび差す」ということも「しっている」だけではなく「分かっている」。--その「分かっている」ことが、そこにいるひとが「みしらぬ」存在であるにもかかわらず「ひと」を浮かび上がらせるのだ。
そして、こそにいる「ひと」がしらないひとであるにもかかわかず、なにかしら「分かる」ことがあるために、「わたし」は困惑するのである。
なぜ、「分かる」のだろう。何を、「分かる」のだろう。
みしらぬ町でした
みしらぬ町でしらないひとがいて
わたしは無目的にあるいているのです
いろとりどりの服を着たひとびとが
ふかい目をしてわたしをのぞきます
わたしはそしらぬかおをしてあるきます
まっすぐにわき目もふらずに手をふって
ほんとうに「しらないひと」が「ふかい目をしてわたしをのぞ」いたのか。それは、わからない。違うものを見ていたかもしれない。けれど、「わたし」はそう感じた。「分かる」というのは「感じる」ことなのだ。
でも、「感じ」というのは、あやふやなもの。ひとによって違うもの。
それなのに「分かった」になってしまう。
あるいは「あやふや」である、きちんと(論理的に)ことばで説明できないから、「分かる」なのかもしれない。
私は、実は、そう思っている。
「分かる」ことはきちんとことばにはできない。しかし、「分かる(分かっている)」ことは、ことばにはできないくせに、「肉体」で「する」ことができる。
ゲロをはく。そのにおいを「すえた臭い」と感じることができる。ひとを「ゆび差す」ことができる。ひとの目を「のぞく」ことができる。--そのとき、それでは「わたし」が何をしたのか、もっと「客観的な」というか、「論理的な」、あるいは「精神的な」ことばで言いなおすと、どうなるのか。つまり、「知(知識)」として言語化し、その言語化したものを、「他人」と共有するには、どう言いなおせばいいのか。
「分かる(分かっている)」ことは、「知識」にはできない。--「知識」にする必要はない。「知識」にしないまま、何事かを「共有」してしまう。それが「分かる」ということなのだ。
斎藤の書いていることは、これである。
「分かる(わかっている)」ことを「知識」にしない。「知識」にとじこめない。むしろ、「肉体」のまま、そこに放り出す。「肉体」を「分かれ」と迫るのである。
つまり、ここでは「ことば」は否定されている。
「ことば」は書かれているが、それは「知識(頭)」で理解しようとすると、するりと「頭」の「網」をすりぬけていくものである。「肉体」で感じるときにだけ、斎藤のことばは、「肉体」のなかで動く。
--と、書きながら、書いていることがだんだん分からなくなる。
たぶん、「分からなくなる」ことが、「分かる」ことなのだろうけれど。--と、自分で書きながら、むちゃくちゃなことを書いてるなあ、と思う。
でも、これが実感。
斎藤の書いていることは、「批評のことば」(客観的、抽象的なことば、知のことば)では、つかみきれないのだ。
最終連。
粘液のみちを越えていきました
ねばりはなく靴には付きませんでした
影色の長い衣服のひとがとつぜん
わたしの前に立ちはだかりました
じっとわたしをみつめ
くびをふりました
わたしは走りました
町は迷路になっていくような気がします
わたしはりょう手を伸ばしました
飛べるような気がしました
書きはじめるときりがないが……。最後の2行。両手を鳥の翼のように伸ばす(ひろげる)。そうすると、飛べるような気がする。飛べるように感じる。「気」「感じ」というのは、もう、それ以上「論理的なことば」にはならない。
「知る」ことはできない。
それは「分かる」しかないものなのだ。
私はこの「日記」で何度も書いてきたが、人間はだれかが道に倒れて腹を抱え、うめいていたら、「あ、この人は腹が痛いのだ」と「分かる」。それは「知る」のではない。「分かる」のだ。「肉体」に「肉体」が反応してしまう。他人のからだ--つまり、「私」とはどこともつながっていないのに、まるで自分のからだの痛みのように、それが「分かる」。そういう変なところがある。
斎藤は、そういう「肉体」で「分かる」(肉体でしか分からない)変な領域を、「肉体」に非常に近いことばで書いている。「知」から遠く、あくまで「肉体」に近いことば、「肉体の内部」のことばで書いている。
これは「知」から、あるいは「頭」から「ことば」を「肉体」に取り戻すという仕事かもしれない。