詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

山田亮太「私の町」、山本勝夫「喪失」

2011-12-16 23:59:59 | 詩(雑誌・同人誌)
山田亮太「私の町」、山本勝夫「喪失」(「現代詩手帖」2011年12月号)

 山田亮太「私の町」(初出「文学界」06月号)もまた、大震災をテーマに書かれたものである。

四千の筏を穏やかに揺らす波と赤い鳥居と出漁する船と
収穫まで三年間ロープに吊るされるカキと
放流されるアサリと鮭をつかみどるこどもたちと舞う虎と
鯨が押し寄せて境をなした山と
飲み水や食料を求め入港したオランダの船と島と
千二百年前の姿をとどめた古墳群と製鉄炉跡と
枯れ木に生える椎茸と

 詩は、「……と」という形でずーっとつづいて行く。途中を省略する。その「と」を繋ぎ止めるものは、最後に明らかになる。

二十五センチメートル移動した地面と埋められた手紙と
ペンと折り紙の花と夢と
午後三時二十五分に止まった時計の針と駅前のイチョウと
学校新聞に書かれた「海よ光れ」の文字と
最後のマッコウクジラの骨格標本について
ここに書いておく
岩手県山田町
訪れたことのないこの町のすべてを
私は知りたい

 山田が書きつらねていることばは「岩手県山田町」に関係している。山田が書いていることばの「対象」は「岩手県山田町」にある。あるいは、「あった」の方が正しいのかもしれない。
 この詩で不思議なのは、タイトルが「私の町」なのに、その「岩手県山田町」を山田が「訪れたことのないこの町」と書いていることである。「訪れたことのない町」なら、当然、住んだこともないだろう。それがどうして「私の町」なのか。
 ふたつのことが考えられる。
 ひとつは、そこに住んでいた(住んでいる)けれど、そのすべてを知っているわけではない。知らないところがある。また知らないことがある。町のすべてを訪れたわけではない。町のすべてを知っているわけではない。だから「訪れたことのない町」というしかない。そして、実際に住んでいるにもかかわらず「訪れたことのないこの町」というとき、そこには、まだ「訪れたことのない場所」、そしてまだ「知らないことがら」についての、深い愛情がある。知らなかったすべてを知りたい--という欲望のなかに、強い愛が感じられる。
 「この町」の「この」が、山田の思いの強さをあらわしている。ほんとうに「訪れたことのない町」なら、そして山田が「岩手県山田町」にいないのなら、その場合「この」ではなく、「その」町というのが一般的である。「この」という限り、山田は「岩手県山田町」に生きている。
 もうひとつの可能性。それは山田の名前と関係がある。「山田亮太」の「山田」。同じ名前を、被災地に見つけた。山田町については何も知らない。「訪れたことがない」のだから。それでも、「知っている」ことがある。その「知っている」は、たぶん、報道で知ったことである。「山田町」は港町。漁師の町。カキを養殖している。古墳群がある。そして、小学校には「タイムカプセル」(子どもたちが思い出をつめたカプセル)があり、それは地震によって地面が移動したために地下から出てきた。また学校新聞には「海よ光れ」ということばがあった。そういうことを知っている。
 知ることで、山田は「山田町」に近づいていく。
 あ、たしかにそうなのだ。3月11日を境に、私たちは多くの被災地のことを知り、多くの被災者を知り、そのことばに触れながら、被災地に近づいていった。私の場合、その近づき方は漠然としていた。東北に何人か知人がいて、その知人たちのことを考えた。無事であるという知らせでほっとした。そういう近づき方をした。それは、ほんとうに少ない近づき方だが、どこまで「広く」近づけるのか、見当もつかなかった。
 山田は、私のような近づき方をしていない。自分の名前と同じ町の名前--そこに近づいていこうとしている。そして近づいてみると、知らないことばかりである。あたりまえだが、知らないことしかない。そして、その知らないことを知るたびに、そこに人が生きはじめる。そのひとに対して何ができるというわけではない。でも、近づきたい。近づいて、そばにいたい。だから、聞いたこと(読んだこと、見たこと)を「ことば」にする。その山田の「ことば」が正確にとらえているのは、山田が実際に肉体で触れた「カキ」や「学校」であり、「山田町」のカキ、学校とは完全に一致するわけではない。けれど、山田は自分の肉体で知っているカキや学校をとおして、近づいていく。
 「ことば」の力を借りて、近づいて行く。
 そうすると、「山田町」が「その町」ではなく、山田にとって「この町」になる。「この町」になっても、しかし、まだまだ知らないことだらけである。だから、もっともっと「私は知りたい」。「知る」ということ、「知っていることをことばにする」ということをとおして、「山田町の町民」に「なる」のだ。

 大震災後、私は私のことばをどんなふうに動かしていいかわからなかった。いまもわかっているわけではない。わからないまま、いままでと同じように動かしている。変なことだけれど、ことばは、何かがあったあとも、何もなかったかのように動いてしまう力をもっている。その力をたよりに私はことばを動かしている。(もちろん、意識できない何かが、ことばに反映しているということはあると思うけれど、私は、特に何かを意識してことばに盛り込んではない。)
 そうして、この山田の詩を読むと、あ、そうか、こんなふうにして「ことば」で接近していく方法があるのかと気づいた。気づかされた。
 ことばをとおして「なる」という接近の仕方を教えられた。
 被災者の発する「ありがとう」ということばにびっくりしたが、この山田の静かなことばの動かし方にもこころが震えた。



 山本勝夫「喪失」(初出「花粉」19、06月)は、大震災後の「言葉」そのものを主題にしている。

初めに言葉があったという どこにあったのか そのとき
すべては砕かれ 流されて 言葉さえも太古のもとの形に戻っていった
文字も砕かれ 形を失い 声を失ってきらめきながら
怒濤とともに 午後の眩暈を裂き 驕慢な胸をえぐって去っていった

 だが、ことばは去っていくだけではない。

夜明け前 沖へ流されていった言葉たちが ばらばらにきらめいて戻ってくる
わたしは浅い眠りのなかで 戻ってくる言葉を貝殻のように拾い集めて
濡れたまぶたに並べ 地異の残骸の間に綴り込むように揃えていく

その夜 並べられた言葉の向こうに横たわっていた死者たちが 月光を浴びて
渚の砂に立ちあがり耳をすます きこえてくるのは
沖の海草とともに戻ってきた むなしくなった昨日の声たちだ

 ことばは戻ってくる。声ももどってくる。そして、そのことば(声)の向こうには「死者たち」が「横たわっている」。ことばを取り戻すこと、声を聞くことは、死者たちに寄り添うことなのだ。ともに生きることなのだ。そのために、山本はことばを書く。
 私たちは、ことばでしか、だれかに接近することはできない。ことばなしでは、だれかといっしょにいることはできない。

 山田と山本の詩は、ことばがしなければならない仕事を静かに告げている。



ジャイアントフィールド
山田 亮太
思潮社
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八柳李花ー谷内修三往復詩(11)

2011-12-16 00:34:22 | 
たましいの色 谷内修三

雲脂てふことばが旧かなで歩いてゐる
あっちの方が許せないくらい優雅である
頭垢ということばが激しく嫉妬している
告発状を書いて通報したいくらいである

あっちの方が許せないくらい優雅である
ことばは意味ではなく見かけである
告発状を書いて通報したいくらいである
ふけということばは笑いだしたくなったが我慢している

ことばは意味ではなく見かけである
フケということばにしきりに同意を求めている
ふけということばは笑いだしたくなったが我慢している
人間的なあまりに人間的なたましいの色

フケということばにしきりに同意を求めている
雲脂てふことばが旧かなで歩いてゐる
人間的なあまりに人間的なたましいの色
頭垢ということばが激しく嫉妬している
                     (2011年12月16日)
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