渋谷卓男「地上」(「現代詩手帖」2011年12月号)
「現代詩手帖」12月号には3月の東日本大震災のことを書いた詩がたくさん掲載されている。断り書きはないのだが、そう感じさせる詩が多い。渋谷卓男「地上」(初出「冊」43、2011年06月)も、その1篇である。
たくさん書かれている東日本大震災の詩のなかで、私には、この詩がとても不思議な感じで印象に残った。
大震災のことを書こうとしている、書いていることがわかる。大震災を目撃した人の眼について書いているのもわかる。そして、--わかると書いたのにこういうことを書くのは無責任な感じがするのだが、何がわかったんだろう、という静かな疑問がわいてくるのである。私に、いったい、何がわかっているのだろうか。
何かをわかったといっても、それは私の思い込みである。私は、その人にはなれないから、ほんとうは何もわからない。
何もわからないから、私の書く感想は、勘違いそのものである。そして勘違いであるということを承知で、それでも書いておきたいことがある。
3連目の「なぜと問うな」。
これは「なぜ、私たちがこの災害にあわなければならないのか、それを問うな」ということだろうと思うが、思いながら、私はほかのことを考えたのである。違うことを感じたのである。
この部分をそのままに、「泣け」という命令(?)に疑問をもたずに、つまり「なぜ泣かなければならないのか」と問いかけるのではなく、何もせず、ただ泣きなさい、と言っているように感じたのだ。
それも、
と、具体的に「姿勢」まで指定して「泣け」と言っている。「足もとに手を置き」とはよつんばいになって、ということだろう。二本の足で直立する「おとな」ではなく、よつんばいの、つまり無力な「赤子」になって、無力なまま「泣け」と言っているように感じたのだ。
がんばろう、ではなく、「泣け」と命じている。泣くことが大切なのだと言っている。悲しいとき、いや、悲しいというよりも、どうしていいかわからないとき、ただ泣きなさい。赤ん坊は、自分が何をしていいかわからない。何をしていいかわからないけれど、何かしてほしくて、泣く。泣けば、母親が気づき、何かしてくる。そういうことを求めるように、ただ泣けと言っていると感じたのだ。
大震災のあと、多くの人が泣いただろう。泣く時間もなく、亡くなったひとは、その死後、きっと泣いているに違いない。けれど、その泣き声は、意外と聞こえてこない。
泣くことをこらえているように感じられる。泣くかわりに、たとえば「ありがとう」ということばを言っている。「手をさしのべてくれて、ありがとう」と。
そこでは悲しみが解き放たれていない。
そのままでは、きっと苦しくなるに違いないと思う。
だから、泣きなさい。
渋谷が書いている「その人」は(そして、その眼は)、きっと多くの泣いている姿を見たのだと思う。「復興」のためにがんばるひとの姿も見ただろうけれど、そういう目に見える姿だけではなく、隠れるようにして泣いたひとの、その泣く姿を見たのだと思う。それは一瞬、ほんの短い姿かもしれないし、ひとりひとりが孤立して、無力のなかで泣いている姿かもしれない。
泣かなければ、泣きやむことができない。泣いても泣いても、泣きやむことはできないのだけれど、それでも泣かなければならない。そういうことを知っているひとではないだろうか、と思う。
泣いたときにだけ見えるものもあるのだ。
この3行を、たとえば復興の希望を掲げて歩く人--ではなく、私は「泣きながら歩いている人」と読みたいのである。
復興の希望を掲げて歩く人(この詩では一輪の花を灯りのようにかかげて歩く人と書かれているけれど……)の後ろ姿を見るとき、私たちは、ほんとうその後ろ姿ではなく、その人のかかげている「希望の灯」を見ている。
でも、そうではなく「後ろ姿」そのものを、私たちは見て歩かなければならないのかもしれない。
言い換えると。
泣きながら歩いているひとの後ろ姿。その涙は、かかげられた希望の火とは違って後ろからは見えない。想像するしかない。けれど、そのときの想像というのは「空想」ではない。私たちは「肉体」を見るとき、そのひとの「肉体」の内部で起きている「苦痛」を知ることができる。
路傍で倒れて、うめいている人を見ると、あ、この人は腹が痛いのだと思う。
同じように、泣いて歩いているひとの後ろ姿を見ると、あ、あの人は泣きながら歩いていると知ることができる。自分のなかにある「肉体の記憶」、泣きながら歩いたときの肩の位置とか、歩幅とか、手の動きとかが、肉体の中でよみがえり、まったく知らないひとの(名前も知らないひとの)肉体と重なって、その肉体を感じるのだ。肉体のなかにある何かを感じるのだ。
そういうものを、私たちは、ほんとうは共有しなくてはいけないのではないだろうか。「がんばれ」とはげます前に、まず、大震災で苦しんでいるひとの、ことばにならない「肉体」のなかにあるもの、それを共有しなくてはならない。
だから、というのは変な言い方なのだが。
「泣いてください。ただ泣いてください」と私はまずいいたい気持ちになるのだ。
私は渋谷がどこに住んでいるか、どういうひとなのかはまったく知らないのだが、渋谷は被災者の一人で、同じ被災者に「泣こうよ」と呼びかけているような感じがするのである。静かに、「いっしょに泣こうよ」と誘っているように感じられるのである。
「現代詩手帖」12月号には3月の東日本大震災のことを書いた詩がたくさん掲載されている。断り書きはないのだが、そう感じさせる詩が多い。渋谷卓男「地上」(初出「冊」43、2011年06月)も、その1篇である。
その眼は
国が廃墟に変わるのを見た人の眼だ
地平を埋める瓦礫の上に立ち
くりかえされる復興と破壊とを
すべて見届ける人の眼だ
その眼は
故郷に無数の死骸を埋めた人の眼だ
一人の喜びと一人の悲しみとを
誰もが忘れたあとも
みな記憶しつづける人の眼だ
泣け
なぜと問うな
足もとの土に手を置き
赤子となって涙を流せ
その人は一輪の花を捧げ持つ
未だ咲かぬ
咲くべきときを待ち
永遠にふくらみつづける一輪のつぼみ
その花だけを灯りのように掲げ
目を上げた人がいま
ひとけの絶えた地上を歩きはじめる
名は知らない けれど
少し前を行くうしろすがたを
私たちは生まれる前から知っている
たくさん書かれている東日本大震災の詩のなかで、私には、この詩がとても不思議な感じで印象に残った。
大震災のことを書こうとしている、書いていることがわかる。大震災を目撃した人の眼について書いているのもわかる。そして、--わかると書いたのにこういうことを書くのは無責任な感じがするのだが、何がわかったんだろう、という静かな疑問がわいてくるのである。私に、いったい、何がわかっているのだろうか。
何かをわかったといっても、それは私の思い込みである。私は、その人にはなれないから、ほんとうは何もわからない。
何もわからないから、私の書く感想は、勘違いそのものである。そして勘違いであるということを承知で、それでも書いておきたいことがある。
3連目の「なぜと問うな」。
これは「なぜ、私たちがこの災害にあわなければならないのか、それを問うな」ということだろうと思うが、思いながら、私はほかのことを考えたのである。違うことを感じたのである。
泣け
なぜと問うな
この部分をそのままに、「泣け」という命令(?)に疑問をもたずに、つまり「なぜ泣かなければならないのか」と問いかけるのではなく、何もせず、ただ泣きなさい、と言っているように感じたのだ。
それも、
足もとの土に手を置き
赤子となって涙を流せ
と、具体的に「姿勢」まで指定して「泣け」と言っている。「足もとに手を置き」とはよつんばいになって、ということだろう。二本の足で直立する「おとな」ではなく、よつんばいの、つまり無力な「赤子」になって、無力なまま「泣け」と言っているように感じたのだ。
がんばろう、ではなく、「泣け」と命じている。泣くことが大切なのだと言っている。悲しいとき、いや、悲しいというよりも、どうしていいかわからないとき、ただ泣きなさい。赤ん坊は、自分が何をしていいかわからない。何をしていいかわからないけれど、何かしてほしくて、泣く。泣けば、母親が気づき、何かしてくる。そういうことを求めるように、ただ泣けと言っていると感じたのだ。
大震災のあと、多くの人が泣いただろう。泣く時間もなく、亡くなったひとは、その死後、きっと泣いているに違いない。けれど、その泣き声は、意外と聞こえてこない。
泣くことをこらえているように感じられる。泣くかわりに、たとえば「ありがとう」ということばを言っている。「手をさしのべてくれて、ありがとう」と。
そこでは悲しみが解き放たれていない。
そのままでは、きっと苦しくなるに違いないと思う。
だから、泣きなさい。
渋谷が書いている「その人」は(そして、その眼は)、きっと多くの泣いている姿を見たのだと思う。「復興」のためにがんばるひとの姿も見ただろうけれど、そういう目に見える姿だけではなく、隠れるようにして泣いたひとの、その泣く姿を見たのだと思う。それは一瞬、ほんの短い姿かもしれないし、ひとりひとりが孤立して、無力のなかで泣いている姿かもしれない。
泣かなければ、泣きやむことができない。泣いても泣いても、泣きやむことはできないのだけれど、それでも泣かなければならない。そういうことを知っているひとではないだろうか、と思う。
泣いたときにだけ見えるものもあるのだ。
名は知らない けれど
少し前を行くうしろすがたを
私たちは生まれる前から知っている
この3行を、たとえば復興の希望を掲げて歩く人--ではなく、私は「泣きながら歩いている人」と読みたいのである。
復興の希望を掲げて歩く人(この詩では一輪の花を灯りのようにかかげて歩く人と書かれているけれど……)の後ろ姿を見るとき、私たちは、ほんとうその後ろ姿ではなく、その人のかかげている「希望の灯」を見ている。
でも、そうではなく「後ろ姿」そのものを、私たちは見て歩かなければならないのかもしれない。
言い換えると。
泣きながら歩いているひとの後ろ姿。その涙は、かかげられた希望の火とは違って後ろからは見えない。想像するしかない。けれど、そのときの想像というのは「空想」ではない。私たちは「肉体」を見るとき、そのひとの「肉体」の内部で起きている「苦痛」を知ることができる。
路傍で倒れて、うめいている人を見ると、あ、この人は腹が痛いのだと思う。
同じように、泣いて歩いているひとの後ろ姿を見ると、あ、あの人は泣きながら歩いていると知ることができる。自分のなかにある「肉体の記憶」、泣きながら歩いたときの肩の位置とか、歩幅とか、手の動きとかが、肉体の中でよみがえり、まったく知らないひとの(名前も知らないひとの)肉体と重なって、その肉体を感じるのだ。肉体のなかにある何かを感じるのだ。
そういうものを、私たちは、ほんとうは共有しなくてはいけないのではないだろうか。「がんばれ」とはげます前に、まず、大震災で苦しんでいるひとの、ことばにならない「肉体」のなかにあるもの、それを共有しなくてはならない。
だから、というのは変な言い方なのだが。
「泣いてください。ただ泣いてください」と私はまずいいたい気持ちになるのだ。
私は渋谷がどこに住んでいるか、どういうひとなのかはまったく知らないのだが、渋谷は被災者の一人で、同じ被災者に「泣こうよ」と呼びかけているような感じがするのである。静かに、「いっしょに泣こうよ」と誘っているように感じられるのである。
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