白井知子『地に宿る』(思潮社、2011年11月30日発行)
白井知子『地に宿る』の詩は、どの作品も1行1行のことばが強い。
「九歳の鎖骨」は祖母の思い出と、祖母が夢にやってきたときのことを書いているのだが、あれこれの説明を省略して「事実」だけを書いている。「説明」というのは「事実」ではなく、「頭」でつくりあげる関係なのかもしれない。
祖母は軍鶏に似ていたのかもしれない。目もそうだが、全体の印象--あちこち闘いの傷跡があって、羽がそろっていない。それで、寒さが身に沁みる。でも、寒くても、身繕いしないと、いっそう寒々しい。「寒いから、おまえのからだを被せるようにして、わたしを温めてくれ」ということと、「外見がぼろぼろだと寒々しいから、みっともなくないように身繕い(?)してくれ」というのは、人間ではなく軍鶏の場合、とっても矛盾している。「白髪抜いたら 頭がつるつるになっちゃうよ」。
なんだか、矛盾しているからこそ、そこに祖母がしっかりと見えてくる。軍鶏と祖母のあいだを往復しながら、祖母は祖母になる。
それにしても……。(こういう日本語でいいのかな?)
この1行はすごい。
人間のからだでも、死が近づくと、そしてその死が内臓の病気が原因であるときは、皮膚がだんだん透明になってゆき、内臓の病巣が見えるような錯覚に陥るときがある。軍鶏の場合は、「透ける」というより傷口から覗いて見えるということかもしれない。だから、これは正確な(?)ことばの運動ではないのかもしれないけれど、「間違い」を超えた「真実」が強い光を発している。その強い眩しさに、目がくらみ、真っ暗の目で見る何かのように、網膜に張りついて離れない。
九歳なのに、祖母の死と、そのときの気持ちを白井は知ってしまったのだ。いや、知るというより、肉体でつかみとってしまったと言うべきか。
肉体でつかみとったこと、肉体で覚えたことは忘れることができない。それは、いつでもよみがえってくる。祖母と軍鶏はいつもいっしょになって白井の肉体のなかによみがってくる。
祖母は、祖母の人生を生きているだけなのではない。白井は祖母と軍鶏を「比喩」として結びつけているのではない。軍鶏は「比喩」ではなく、「事実」なのだ。三十八億年かけて、軍鶏は軍鶏になり、祖母は祖母になった。それは三十八億年前は「ひとつ」の「いのち」だった。祖母と軍鶏が「ひとつのいのち」なら、その血をひいている白井は、祖母であり、同時に軍鶏である。
だから祖母を思い出すとき、白井は軍鶏になり、網目のある小屋にとじこめられる。
この祖母に、そしてこの軍鶏に、白井は、記憶のなかだけで出会うわけではない。
詩は、つづいてゆく。
三十八億年かけて「ひとつのいのち」は祖母と軍鶏なった。それが「事実」なら、その「ひとつのいのち」は日本ではなくたとえばアジアや東欧でもまた別の「老女」になっている--というのは、当然のことがらである。祖母が死んでから五十年たったとしても、その五十年という時間の長さのなかでは何も起きない。たとえ起きていても38億分の50である。そんな「小さな」ものは見えない。見えないから、「ない」のと同じである。
日本とサンティニケタンはどれくらい離れているか私は知らないが、祖母と軍鶏とのあいだにある「ひろがり」に比べたら、ぐんと小さいはずである。だから、そこに祖母がいたって何の不思議もない。
三十八億年かけて、祖母は日本では白井の祖母になり、ここではだれかの祖母になっている。そのだれかの祖母は、「ひとつのいのち」まで遡って、さらに「いま」にもどってきていえば、白井の祖母でもある。祖母に似た「親類」である。「あのポーズは祖母の癖だ」と白井は書いているが、ほんとうは、「あのポーズは祖母だ」である。
白井知子『地に宿る』の詩は、どの作品も1行1行のことばが強い。
「九歳の鎖骨」は祖母の思い出と、祖母が夢にやってきたときのことを書いているのだが、あれこれの説明を省略して「事実」だけを書いている。「説明」というのは「事実」ではなく、「頭」でつくりあげる関係なのかもしれない。
九歳の冬
春のような陽気にさそわれ
脚のわるい祖母といっしょに内緒で多摩川べりまで行った
鉄橋のたもとで電車を何台も見おくった
祖母の目が潤んでいた
とうとう誰にも言えなかった
夏も終わるころ 祖母は亡くなり
わたしのもとへやってきた
--ぞっくりと寒くなっちまってね
傷口が攣れる おまえのどこでもいいから被せておくれ
祖母は軍鶏の目で睨めつけてくる
きしむ鶏小屋の隅
しゃがんでいるわたしを動けなくする
--さあ 羽繕いをしておくれな
--だって 白髪抜いたら 頭つるつるになっちゃうよ
嘴でいきなり鎖骨のあたりを突つく
軍鶏の腐りだした贓物が透けてくる
蹴爪があっても まだ人間の老いた脚だ
祖母は軍鶏に似ていたのかもしれない。目もそうだが、全体の印象--あちこち闘いの傷跡があって、羽がそろっていない。それで、寒さが身に沁みる。でも、寒くても、身繕いしないと、いっそう寒々しい。「寒いから、おまえのからだを被せるようにして、わたしを温めてくれ」ということと、「外見がぼろぼろだと寒々しいから、みっともなくないように身繕い(?)してくれ」というのは、人間ではなく軍鶏の場合、とっても矛盾している。「白髪抜いたら 頭がつるつるになっちゃうよ」。
なんだか、矛盾しているからこそ、そこに祖母がしっかりと見えてくる。軍鶏と祖母のあいだを往復しながら、祖母は祖母になる。
それにしても……。(こういう日本語でいいのかな?)
軍鶏の腐りだした贓物が透けてくる
この1行はすごい。
人間のからだでも、死が近づくと、そしてその死が内臓の病気が原因であるときは、皮膚がだんだん透明になってゆき、内臓の病巣が見えるような錯覚に陥るときがある。軍鶏の場合は、「透ける」というより傷口から覗いて見えるということかもしれない。だから、これは正確な(?)ことばの運動ではないのかもしれないけれど、「間違い」を超えた「真実」が強い光を発している。その強い眩しさに、目がくらみ、真っ暗の目で見る何かのように、網膜に張りついて離れない。
九歳なのに、祖母の死と、そのときの気持ちを白井は知ってしまったのだ。いや、知るというより、肉体でつかみとってしまったと言うべきか。
肉体でつかみとったこと、肉体で覚えたことは忘れることができない。それは、いつでもよみがえってくる。祖母と軍鶏はいつもいっしょになって白井の肉体のなかによみがってくる。
かわいがっていた軍鶏の胴体や頭を少しずつもらって継ぎはいで
三十八億年かけてきた道を
脚をひきずりながら還っていく
日暮れていく庭
小屋の網目ごと
黄色い風のなかへ閉じこめられてしまう
祖母は、祖母の人生を生きているだけなのではない。白井は祖母と軍鶏を「比喩」として結びつけているのではない。軍鶏は「比喩」ではなく、「事実」なのだ。三十八億年かけて、軍鶏は軍鶏になり、祖母は祖母になった。それは三十八億年前は「ひとつ」の「いのち」だった。祖母と軍鶏が「ひとつのいのち」なら、その血をひいている白井は、祖母であり、同時に軍鶏である。
だから祖母を思い出すとき、白井は軍鶏になり、網目のある小屋にとじこめられる。
この祖母に、そしてこの軍鶏に、白井は、記憶のなかだけで出会うわけではない。
詩は、つづいてゆく。
半世紀ちかくたち
わたしはアジアや東欧で
祖母とおぼしき老女に出あうことになった
考えてみれば 五十年など三十八億年に比べれば一瞬
インド亜大陸
コルカタから二百キロ北にあるサンティニケタン
褐色の肌をした原住民
少数民族サンタル人の村は
牛糞が家や塀に塗りつけられていて
どこか懐かしい
翠のサリー 千年二千年も過去のような風景の祠にもたれ
はるか彼方を見つめる老婆になりすまし
ちらり ちらり こちらを盗み見ているのがわかった
あのポーズは祖母の癖だ
三十八億年かけて「ひとつのいのち」は祖母と軍鶏なった。それが「事実」なら、その「ひとつのいのち」は日本ではなくたとえばアジアや東欧でもまた別の「老女」になっている--というのは、当然のことがらである。祖母が死んでから五十年たったとしても、その五十年という時間の長さのなかでは何も起きない。たとえ起きていても38億分の50である。そんな「小さな」ものは見えない。見えないから、「ない」のと同じである。
日本とサンティニケタンはどれくらい離れているか私は知らないが、祖母と軍鶏とのあいだにある「ひろがり」に比べたら、ぐんと小さいはずである。だから、そこに祖母がいたって何の不思議もない。
三十八億年かけて、祖母は日本では白井の祖母になり、ここではだれかの祖母になっている。そのだれかの祖母は、「ひとつのいのち」まで遡って、さらに「いま」にもどってきていえば、白井の祖母でもある。祖母に似た「親類」である。「あのポーズは祖母の癖だ」と白井は書いているが、ほんとうは、「あのポーズは祖母だ」である。
中央アジアへ移って
ウズベキスタンのソグディアナの地 サマルカンド
強風と寒さのため ナンを売る女性たちが
せっせと足踏みをしていた
その年初めての雪の降りしきるバザール
なかの一人が振りかえりざま
九歳の鎖骨に疼いた
目許から 祖母の温かなかなしみ
すでに彫りつける余地もないほど皺くちゃになった小さな顔が
崩れないように
花柄のスカーフにくるまれていた
言いなりの値で残りのナン三枚も買わされた
目をつぶれば
ハンガリー プタペスト東駅
派手な笑い声を散らかしほうだい
女性ばかりで移動しているロマにちがいない一群がいた
そこにも瘤のような蹴爪が生えかけていた老女がいたっけ
秘の陸にて | |
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