詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

白井知子『地に宿る』(3)

2011-12-13 23:59:59 | 詩集
白井知子『地に宿る』(3)(思潮社、2011年11月30日発行)

 白井のことばは、ときどき「散文」のような印象がある。「意味」を論理的にしっかり伝えようとする力があるからだと思う。たとえば「窓辺には誰もいなかったと」という作品。空爆された集落。誤爆された集落というべきか。多数の死者が出た。そのことに対して空爆した方は「窓辺にはだれもいなかった」と主張する。つまり、ひとがいるとは思わなかった(認識しなかった)ので、空爆したのだ、市民を殺戮する意図はなかった、と主張する。そのことに対する抗議の詩である。「意味」の強い詩である。「意味」の強さが「散文」的な印象を生み出す。特に、いま、私がしたような、詩の「要約」をすると、どうしても「意味」が一人歩きをして、詩から離れていってしまう。
 しかし、これは私の「要約」が間違っているのだ。白井は、私が書いたような「要約」とは違うことを書いているのだ。これは、白井の詩を読めばすぐにわかることだが、それをことばで説明するのはむずかしい。どう書いていいかわからない。--だから、それをことばにしてみたい。
 というのが、きょうの私の課題……。私が私に課した、私だけの問題なのだが。

窓辺の椅子にもたれ
ひと針 ひと針 たんねんに
記憶のほつれ目をかがっている人がいる

  窓辺には誰もいなかった 影さえ動いていなかった
  圧する声は たやすく 言いはる--

 書き出しである。静かなことばが動いている。窓辺にいる人を描写している。「記憶のほつれ目」は「比喩」である。ここから、これは詩である、ということができる。詩とは、いつもとは違ったことばで、何かを書くこと--という定義にあてはまる。「椅子に座って」ではなく「もたれ」、衣類の破れ目を「縫う」ではなく「かがる」。そういうことばの選択に、詩への指向が感じられる。「意味」だけではなく、響きやニュアンスに対する配慮が感じられる。だから、詩である、ということができる。
 けれど。
 「もたれる」とか「かがる」とかのことばの選択は、ある程度詩を書き慣れた人なら無意識にやってしまうことである。そこには「詩の肉体(文体)」が反映している。ことばの選択史(?)のようなものが働いている。白井の「肉体」というよりも、「日本語の詩」の「肉体」が動いている。
 つまり、そのことばを動かしているのは白井であっても、白井ではない、ということになる。ここから白井の特徴を抽出することは、ちょっとむずかしい。
 ね、書き出すと、なんだか白井の詩の否定になってしまいそう。少なくとも、白井はこんなにおもしろい詩人--という具合に、ことばが進んでくれそうにもない。変なところに迷い込んでしまう。
 でも、白井のことばは、詩である。
 そこへ行くために、私は何を書かなければならないのか--私は、よくわからないまま、私の課題にことばへと動かす。
 (私は書きはじめるとき、いつも、「答え」がわからない。私のことばがどこへ動いていくのか、わからない。わからないまま、動くところまで動かしていく。--だから、きょうはほんとうに白井否定論を書いてしまうかもしれない。)

砂漠地帯からぬけでた街
ナツメヤシがしげり
よりそうように民家がかたまっている集落
崩れそうなアパート群
あいたままの窓
住民の人生設計にはいつも砂塵が薄っすらとかかり
明日 家族そろって 食卓をかこめるかしら
料理は粗末であっても
いまは 家族でする食事こそご馳走だと
みずから言いきかせる夫人

 うーん。ことばがまるで「新聞用語」。特に前半が、まるで安直な新聞記者のルポである。「民家」「集落」「住民」。まるで自分(白井)とは無関係な感じがする。「人生設計」ということばも無機質だなあ。「かがる」のような、「暮らしの肉体」を通り抜けたことばではない--と言いたくなるのだが。
 ところが、「明日 家族そろって 食卓をかこめるかしら」から何かがかわる。この「明日 家族そろって 食卓をかこめるかしら」はいったいどこからでてきたことば? 白井のことばではない。前半の「集落」の描写が白井のことば(あるいは新聞のことば)であるのに対し、これは、そこに住んでいる「婦人」のことば。他人のことばである。
 そして、この他人のことばは、よく読むと、とっても不思議。最初の3行と比較すると、不思議さがわかる。最初の3行は句読点がないけれど、句読点を補って書くと「窓辺の椅子にもたれ、ひと針ひと針たんねんに記憶のほつれ目をかがっている人がいる。」となる。主語は「人」。その人は「記憶のほつれ目をかがっている」。ほかにも分析の方法はあるだろうけれど、私がいま書いたように、主語-述語の関係を、簡単に「要約」できる。
 ところが「明日 家族そろっててんてん」以下は、きちんと散文の文章にしようとするとむずかしい。「婦人(主語)」が「みずからに言い聞かせる(述語)」というのが「要約」になるだろうけれど、その「言い聞かせる」ことがら、その「内容」が、むずかしい。むずかしいとは、いうものの「いまは戦争中であり、こういうときは家族がきちんとそろってする食事こそが何よりのご馳走である」ということは、簡単にわかる。また、それは何を食べるかよりも、家族全員が安全に生きていると確かめあうことの方が重要だから、そういうことばで表現されるのだということも簡単にわかる。婦人の願いは、家族そろって食卓をかこむこと--というのも簡単にわかる。
 全部、簡単にわかるのだけれど、そのわかったことは、そのまま「文章」にならない。ときどき、ことばが飛躍している。飛躍と感じないような飛躍だけれど、ともかく、最初の3行のように、そのまま「文章(散文)」にはならない。
 ここが、ポイントなのだと思う。このことを、私は指摘したいのだ。書きたいのだ。ここに白井の詩の「秘密」、詩の「力」があるのだと書きたいのだ。
 「文章(学校教科書の主語-述語の明確な文章)」を破って、噴出することば。そこに、詩がある。

住民の人生設計にはいつも砂塵が薄っすらとかかり
明日 家族そろって 食卓をかこめるかしら

 この2行の、接続と切断は、複雑である。「かかり」とことばは中途半端のまま、突然、「明日 家族そろって 食卓をかこめるかしら」と他人のことばによって切断される。そして、それが「婦人」の思いへとつながる。
 そして、この「切断」は「婦人」にだけ「接続」するのではない。文章としては、つまり「主語-述語」でくくられた文章のなかでことばを整理しようとすると、「明日 家族そろって 食卓をかこめるかしら」と婦人は思ったという具合に「接続」していくしかないのだが、私が詩を読みながら感じるのは、「婦人」の「思い」への「接続」を超えている。
 それは、次の部分でさらに強くなる。

日はとっぷりと暮れ
国境の村里を夜風がわたる
少女が習ったばかりの大文字で手紙を書いている
煤けたランプの灯り
鉛筆をなめなめ
遠くにいる神様のところへ
とても大事なことを知らせようとしていた
未来とたわむれる装飾音のように
文字が散らばり
少女は磁石と同じくらい
自分の鉛筆が誇らしかった
できたての短い文章を口ずさみ
窓の手すりの方へ

 「婦人」のことば、ことばといっしょに動く「思い」は、手紙を書く「少女」とつながる。そして、それは「神様」へとつながる。この「つながり」を白井は「論理的」に説明しない。かわりに「鉛筆をなめなめ」というような、人間が遠い昔にしてきたこと、「肉体でおぼえていること」へとつないで、それを「説明」にかえてしまう。
 私は、ここで「論理」を超えて、「意味」を超えて、突然「少女の肉体」とつながり、それから「できたての短い文章を口ずさみ」という「肉体」へと変わっていく。白井の「肉体」が「少女の肉体」とつながっているのを感じる。白井の「肉体」と私の「肉体」がつながるのも感じる。
 「意味」ではなく、「肉体」とつながる。

明日 家族そろって 食卓をかこめるかしら

 さっきの、この1行も「意味」ではなく、「肉体」としてつながる。そう思いながら食事をつくる--その動き、肉体の動きそのものとして、つながる。
 そしてそれは、「ひとりの婦人」「ひとりの少女」の「肉体」ではないのだ。
 「暮らし」のなかで「つながり」つづける「肉体」なのだ。
 それを感じる。

窓ではどこでも
仕事をしながら つい話しこんだり
記憶のほつれ目に 悲哀や微笑みの布をあてがってみたり
今日の重さを測りかね
明日へむけて祈りがなされている

  耳をすませたい 他者の声を遮ってはいけない
  窓辺には誰もいなかった 爆撃のつもりはなかったなどと いつわっては
   ならない--

 「暮らし」、「いのちのつながり」を切断する爆撃。その切断するものを切断し、もう一度「いのちのつながり」を「つなげる」。
 ここにあるものを書くのではなく、三十八億年前からつづいている「もの」を、三十八億年前からつづいている「こと」を、「つなげる」。「いま」を切断し、「三十八億年」と「接続」する。
 「切断」することが「接続」することであり、「接続」することが「切断」することである。この矛盾は、「学校教科書散文」にはおさまりきれない。詩になって、そこに独立して存在するしかない。
 独立して存在すること--それが連帯なのだ。
 という具合に、「要約」してはいけないんだろうなあ。
 私の「要約」ではなく、白井の詩を読んでください。


秘の陸にて
白井 知子
思潮社
コメント
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