詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

坂多瑩子「建物」

2011-12-04 23:59:59 | 詩(雑誌・同人誌)
坂多瑩子「建物」(「ぶらんこのり」12、2011年12月01日発行)

 坂多瑩子「建物」は、一か所、とても好きな部分がある。どんな詩でも、一か所、あ、ここがいいと思ったとき、私はその詩が好きになる。

国道沿いの初めての道だったが
「つぼさか病院」
その古めかしい書体の看板に
なかを覗いてみたら
それは中ががらんどうで
白い車が数台 駐車していて
コンクリート打ちされた床は
靴音がやけにひびくが
入口に病院とあったから
もっと陰気くさいかのか思ったら
あんがいのんびりしている
ここらあたり
ベッドが並んでいたのかもしれない
いや診察室かも
医者の手が
ひやりと胸にあたった
なんだか急に胸が熱くなってくる
熱でもあるのかな
ぞくっとする
少しさわがしくなってきて
みそ汁の匂いがしてきた
そうか

つまり朝なのだ

 私が強くひかれたのは「医者の手が/ひやりと胸にあたった」の「ひやり」である。病院で医師の診察を受ける。触診。胸に医師の手が触れる。そのときの「ひやり」。この触覚が、突然登場するところに、坂多の「過去」がふいに噴出してくる。
 この「過去」は、まあ、私の「誤読」である。つまり、私の勝手な捏造であるのだが、そこに坂多の「過去」を感じてしまうのである。坂多は、書いていないのに……。
 どんな「過去」か。
 それはそれ以前の行が暗示する「過去」である。
 私は無意識のうちに、書き出しへもどって読み直している。
 坂田は「つぼさか病院」を訪ねている。それはほんとうの「つぼさか病院」(の建物)なのか、あるいは「記憶」なのか。建物を訪ねながら、「記憶」を訪ねているのだと思う。そこには「いま」と「過去」が二重に存在している。その病院は、たぶん、かつて坂多が通ったことのある病院なのだ。
 「いま」その病院は病院ではなく、単なる「建物」である。あれた建物である。中はがらんどう。車が駐車している。「コンクリート打ちされた床」と坂多は書いているが、コンクリートが打ちっぱなしの状態、むき出しになってしまっている。一種の「廃墟」のような状態になっている、ということだろう。
 そして、それはたぶん坂多がそのとき通っていた彼女の肉体の状態なのだろう。肉体のなかに得体のしれない「がらんどう」がある。「病巣」がある。胸が、つまり肺が「がらんどう」というと言い過ぎになるだろうけれど、病んでいるのだ。
 だからこそ、医師は「手」で「触診」する。その「手」の感触を、坂多は「がらんどう」の建物を見て、その中を歩いて、ふいに感じた。
 「建物」の「いま」と、坂多の「肉体」の「過去」が重なる。重なって「ひとつ」になる。

 --これは、一種の「夢」である。「幻」である。
 たぶん、明け方に見た坂多の夢をていねいに書いているものなのだ。
 胸に触れる医師(たぶん男性の医師)の手--その手の「ひんやり」に逆にからだが火照る。自分のからだの熱を感じ取り、さらに火照る。--からだが火照った記憶がふいによみがえってくる。
 この「感触」(この触覚の記憶)は、「ほんもの」なのだ。
 そして、それが「ほんもの」であるから、「夢」を突き破っていく。--というのは、論理的な言い方ではないのだが……。
 その「触覚」の記憶が、あまりにも「ほんもの」すぎるので、「夢」は「夢」のまま、もちこたえられない。リアルすぎる夢を見た瞬間、からだが反応して、夢を破って、目が覚めてしまう。

 坂多は、夜、「つぼさか病院」へ通っていた夢をみる。その夢のなかで、医師の手の「ひやり」とした感触を思い出す。それはリアルすぎて、坂田の夢--眠りを突き破る。からだが熱くなるとき、どこかから「熱い」現実が近づいてくる。
 夢が夢のまま、ずーっと眠りの中にいることを許さないのだ。
 からだが火照る、熱をもつ、熱い--からみそ汁の「熱い」朝へ動いていってしまうのは、なんだかロマンチックではないが(肌の触れ合いのロマンはないが)、あ、そうなんだなあ、と思う。理由はわからないが、納得してしまう。
 でも、まあ、この部分は、詩を終わらせるためにつけくわえられたものだろう。こういう「種明かし」は、なければなくてもまったくかまわない。
 というか、「熱くなった」がら、ことばは冒頭の1行へ逆戻りしていった方がおもしろいかもしれない。「陰気くさい」「あんがいのんびり」という「過去」へもどっていって、不謹慎な言い方になるが、病気を楽しむと、とってもおもしろくなる。
 医師の手を「ひやり」と感じるときの、こころの動きがもっとほかの肉体をくぐって、肉体が「いま」に鮮やかにもどってくるようにも思える。
 そういうところへ行こうか行くまいか、迷って、こういう詩になったのかもしれない。それはそれで、不思議に「正直」が見えるようでおもしろくもある。

コメント
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