詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

季村敏夫『災厄と身体』

2013-01-17 10:22:45 | 詩集
季村敏夫『災厄と身体』(書肆山田、2012年10月25日発行)

 01月17日は阪神大震災の起きた日である。季村敏夫は『日々の、すみか』(書肆山田)にそのときのことを書いている。何度か感想を書いたので、違う本に触れることにする。『災厄と身体』は阪神大震災を体験した季村が東日本大震災後に書いたものである。『日々の、すみか』に書かれていたことと重なる部分がある。
 「超越者としての震災」という文章がある。

 体験したことのほんとうの意味、記憶のほんとうの意味は、遅れてわかる。わかるというか、気づく、自覚が促されるのは時間的な経過を待たねばならないとおもいます。

 これは私が『日々の、すみか』から衝撃とともに学んだことである。そのことを季村は再び繰り返している。「出来事は遅れてあらわれた。」を季村は季村自身でここでも書いている。何度書いても書き足りないのだと思う。それくらい「出来事は遅れてあらわれる」。そう言いつづけなければならない。出来事はどんなに「遅れても」あらわれたときにそのつど書き残さなければならないということだろう。
 季村は最初「わかる」と書く。そして「わかるというか、気づく」と言いなおす。さらに「自覚が促される」と言いなおす。ここにとても大切なものがある。私たちは「わかる」のではない。「気づく」のでもない。ただ「自覚が促される」のである。「自覚」は完全に覚醒されるわけではない。どうしても「自覚」できないものが残る。だから、何度でも何度でも「遅れてあらわれる」ことを「遅れてあらわれた」と書きつづけなければならないのだろう。
 季村はさらに言いなおしている。

いや、気づけずに、意識のどこか深いところで眠りにつき、目覚めることなく沈黙してしまう、これが普通かもしれません。わかりません。気づきという事態を想定すると、それは突如、時間を切断して訪れる。あるとき不意に、向こう側から、襲ってくるようにもたらされる。はじめに、このことを、自分への自覚のためにいっておきます。

 「出来事は遅れてあらわれた。」と書いた季村でさえ、なお、意識が眠ることを自覚している。「ことば」が「目覚めることなく沈黙してしまう」ということを自覚している。そしてそのことを「自分への自覚のために」書いている。--ここに、とても正直な季村を見る。正直に触れて、私はびっくりしてしまう。
 また「時間を切断して訪れる」ということばにも私ははっとした。いや、こちらの方にさらに衝撃を受けた。すぐにそれを衝撃とかけないくらいに衝撃を受けた。
 出来事は「遅れて」あらわれるのではなく、「時間」を切断して--無視して、つまり「時間」を越えて、言いなおすと過去-現在-未来というふうに「時間」は流れているという意識を突き破ってあらわれる。そこには「時間(過去-現在-未来)」はない。「過去」の出来事が「遅れて」いまにあらわれるのではないのだ。それは「過去」ではなく「いま」なのだ。出来事はいつでも「いま/ここ」でしか起きないのである。この、季村の肉体(思想)の強靱な力に私は肉体ごと揺さぶられた。
 だれでも自分が体験したことを「最大の体験」と思う。阪神大震災のような大規模な震災を体験すれば、それを上回る震災があるとは想像しにくい。そして、それを想像しなかったとき、それは「意識が眠っている(眠った)」のである。意識が眠ると、知らず知らずのうちに、その領域を「過去」が侵犯しはじめる。出来事が「過去」になる--と、いま、私が書くことは簡単だが、あ、きっとそれが人間なのだと思う。そういうことがないと、また生きられないのだとも思う。だからこそ、忘れながら、同時に思い出しつづけるという矛盾を生きるしかないのである。
 その「自覚」を季村は、東日本大震災によって促された。目覚めさせられた。それは、季村のことば通り「遅れてあらわれた」。「出来事は遅れてあらわれた」と書いた季村においてでさえ、まさかあらわれるとは想像していなかったときに、遅れてやってきた。そして、その遅れてやってきたものに促されて、あ、こういうことがあったと、阪神大震災のある出来事を「遅れて」、つまりいまになって思い出す。肉体が「覚えていて」、ことばにできなかったことをふいに思い出す。ことばが動きだす。阪神大震災が「過去」ではなく「いま」なのだ。「いま/ここ」に季村とともにある。季村は、東日本大震災に向き合いながら、阪神大震災を語りはじめる。語るしかない。

 家屋全壊、まさに偶然でした。全壊ですから、家屋の死。身体としての私は生き残り、このように生き延びることが出来ましたが、壊滅という事態の到来とともに、自分のなかの何かが、確実に滅んでしまった。抉られ、胃袋を鷲づかみにされ、何かを奪われ、奪われているという事態まで奪われてしまった。そんな感じでした。この事態は凌辱ではないのか。陽光にさらされた女性の下着、身体に薄くまとわりついていた下ばきをガレキのなかに見出したある日、自然による暴力、しかも凌辱だと覚りました。にもかかわらず、あまねく光が覆っている。ありえない光が、かつてみたことのない痕跡をあらわにした地平を覆っている。この光はなんなのだ、めまいを禁じえませんでした。

 光の発見。めまい。--これは、『日々の、すみか』のなかに書かれていたか。私には記憶がない。ここで詩集をもう一度読み返してもあまり意味はない。そこに書かれていたとしても、私はそのことに気がつかなかった。それを、東日本大震災のあと、いま、気がついた。東日本大震災を語る季村を通して(東日本大震災を通して阪神大震災を語る季村を通して)私はそのことに「いま」気づいた。気づかされた。--東日本大震災によって、私の中の何かが目覚め、それが、この季村のことばを受け止めさせてくれているということの方が大事なのだ。私はそのようにして自分自身の「遅れ」をいま自覚するのである。
 そして、たぶん、これは季村にも同じように起きたことだと思う。たとえ『日々の、すみか』にその光を書いていたとしても、そのときはそれほど「自覚」していなかったのではないかと思う。「出来事は遅れてあらわれた」というこの方が衝撃が強すぎて、ほかのことばを押さえつけていたというべきか。--それが、東日本大震災を目撃することで再び呼び覚まされたのである。
 季村は相馬海岸を訪れている。

 相馬海岸での光景、「いま・ここ」を、まざまざとおもいます。一月十七日以降のある日、「凌辱」という事態に突き当たったといいました。東北の惨状の「凌辱」には、自然の凶暴な意志が示されていました、まさに根こそぎ、奪われているということすら奪われている凌辱だった。しかも自然の光が極限の冷酷さで覆っていた。光の過剰、壊滅した光景に放擲され、光景という、まさに光そのものを私は目撃しました。

 「光の目撃」。東北で光を目撃して、そのことが季村の肉体が覚えていた阪神大震災の光を目覚めさせたのである。阪神大震災の光は、このように「遅れてあらわれた」のである。「遅れてあらわれる」ことで、「いま/ここ」にあることの「意味」をさらに問いかけるのである。「いま/ここ」にある、この「光」--それは何なのか。
 「光の過剰」「光そのもの」。それはなぜ、そこにあるのか。

壊滅したそこ、いまだ見たこともない痕跡の散乱、超越者は不在のまま、見たことのない痕跡を散乱させていた。壊滅の周囲を光が覆っていた、このことに、うちのめされました。

 「めまいを禁じえませんでした」から「うちのめされました」までの距離(?)の遠さ、あるいは近さ。肉体の中では、その遠近はない。だから、それをひっくるめて受け止めるしかない「肉体」を思う。そして、その「肉体」の外にあふれる「光」を思い、私は何書いていいかわからない。
 このわからなさを、季村はまた正直に書いている。

 敗戦後の坂口安吾は、壊滅した光景を「偉大な破壊」と呼び、「人間の姿は奇妙に美しい」と『堕落論』に刻み込みました。破壊した相馬海岸の光、崇高とした呼びようのない光、それは奇妙に美しい光だったか。偉大な破壊がもたらされた、確かにそうなのだが、崇高としか呼びようのないおののきにふるえ、私は光景のただなかに、うちすえられていただけですが、神戸に戻ってから、「出来事の表象不可能性」ということについて改めて考えました。

 「いま/ここ」にある光。光の過剰。「崇高」「美しい」ということばがそれに結びついてしまう。--それで、いいのか。よくないのかもしれない。けれど「肉体」が「覚えている」のは「崇高」「美しい」なのである。そのことを、季村は正直に向き合い、正直にそれをことばにしている。
 「いま/ここ」にある光を「崇高」「美しい」と呼ぶのは最終的には間違っているかもしれない。やがて訂正しなければならないかもしれない。けれど、「いま」は「崇高」「美しい」ということばを通らないとどこへもいけないのだ。そこをとおってしか「肉体」の「奥」、ほんとうに「覚えていること」にはたどりつけない。「覚えていること」は「遅れて」あらわれるしかないからである。「出来事の表象不可能性」とは、そういうことを含んでいると思う。
 季村は、次の体験も書いている。

釜石市両石町在住の瀬戸元(はじめ)さんが、三月十一日咄嗟に撮影した到来する大津波を、「いま・ここ」でいっしょに見ることになります。「いま・ここ」を暴力的に蹂躙する映像は酷薄そのものです。隠れているもう一つの自然、その凶暴性の顕現に、私たちはあっけなく飲みこまれます。ところがその後に宮本隆司さんによって切り取られ、読みとられた、日常に戻った光景、陽射しが美しく輝き、小鳥のさえずりが画面いっぱいにあふれる、日常という光景に、私たちは、改めて震撼させられます。めまいのするような落差、非日常と日常の「あいだ」、「あいだ」に居る死者を抱え、あくまでも陽射しにさらされながら、宮本さんの眼と耳は、どこに向かっているのでしょうか。

 わからない。ほんとうにわからない。自然の暴力。それは暴力的ではないはずの光にもあるのだろうが、暴力的である光は同時に輝かしい美しさにあふれている、崇高である。その「落差」を埋めるものを私たちは、まだ持っていない。「ほんとう」は「遅れている」。まだ「あらわれてはいない」。だからこそ「あらわしたい」。
 この苦悩の中で、季村は書いている。正直だ。

「いま・ここ」に、なぜ居るのか。ほんとうのところは、わからない、こうおもいます。要請に従い、今ここに来てはいますが、ほんとうの促し、内在的な促し、そういうものが実はあるのだ、もう一つの要請が「あいだ」から発せられる、促しは死者からなのだ、私はそうおもいます。表現というのは、「いま・ここ」からズレた「あいだ」からの促しであり、促しにつんのめっていく行為だとおもいます。

 何らかの「促し」に「つんのめっていく」。そこには自分の意思はあると同時にない。「促し」によって「肉体」がつんのめり、その「つんのめる肉体」をささえようとして、「肉体」の本能から何かがあらわれてくる。それを待ちつづける--それがたぶん書くということなのだろうと思う。

 季村のことば、その「ことばの肉体」のなかにある何か--それを私は「わかる」とは言えない。けれどそのことばに促されていることだけは確かである。「出来事は遅れてあらわれた(る)」と季村でさえ言う。「遅れ」に対していままでも待つことくらいはしなければならないと思うのである。せめて、そういうことだけはしたいと思う。





災厄と身体―破局と破局のあいだから
季村 敏夫
書肆山田
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